人は多かれ少なかれ心にガードが出来る。心の傷や障碍と年月の経過、周りの人との関係でその程度は変容する。
私はもう56歳。長く心と向き合っている。考えているから、先日バイクの運転でコケてしまった。
不注意ではあったが考えて解決する問題ではないとわかりつつも、1人の世界に入る。
一緒にいる妻はいつもそれでストレスを抱える。当然機関銃が飛んでくる。
「あんた話聞いとらんやろ。」
機関銃に耐えられなくなった私は、バツーカ砲を繰り出す。
「確認しているのに、怒らんでええやんか。」
ばばばばーん
ズドーン
の応戦になる。収集を図るには…間を置く、距離を置く、離れる、沈黙するしかない。
そんな事ではいつまでたっても、解決しないのでお互いに腹を割って話す時がある。
生い立ち、家庭環境、幼少期、青年期、人生の色んな状況を話し合うと見えてくる。
性格も違えば人格も違う夫婦が、生活する中にはやはり現実面のストレスや不安感も抱えているのだ。
互いに役割があり、互いに支え合うことで生活は成り立つ。
そこにある大きなテーマが、見えない心を見つめ分析し、原因を見つけて対策を立てて行く。
心の鎧は、周りの心地よく無い争いや怒り、ケンカ、いじめ、パワハラ、抑圧、ネグレクトなど愛のない環境によって出来てしまう。
ネガティブ。と言われてしまうのもその一つ。それが引きこもりや不登校、無気力の原因になっている。ネガティブ自体は否定してはいけない。それは卵の殻の様なもので生命を守る自己防衛でもあるからだ。
心の殻とも言えるこの鎧は、簡単に外せるものではない。
大切なのは共感や同調するプロセス時間が必要になるのだ。
野犬は牙をむき、吠える。それは自分を護ろうとする本能でもある。人間は倫理道徳宗教などの価値観で吠えないように牙をむかないようにする。
ある時は力で押さえつけるようにする。
一定の効果はあるけれど解決にはいかない。色々と試行錯誤し、優しく接して行くだけでは依存を生み出すこともあるからだ。
最悪の形に変容するのが共依存関係。
可愛そうな存在と見て、尽くして行ったり放置して行けば問題は長引くだけなのである。
大切なのは、未来を見据えた寄り添う時間。
共に食事する場、健全なスキンシップを取り合う関係。安らぎを与える協調の場。
語り合う為に、まずは心の痛みを共に感じて、鎧をつける原因となったことを1つ1つ明らかにしながらも、責めることなく共に涙するようになれば、そこから自ら鎧を外すきっかけになる。
誰もその人の心の鎧を外すことは難しい。力で外すなどとは論外である。
自らが心の鎧を外せるように周りはサポートすべきである。
自覚と自制。
心の鎧に気付き、それは心と言う生命の中心を護る殻の様なものであることに気付き、自分を責めず、周りの責任転嫁にと止まらず、未来を見据えて…
静かに自分から鎧を外せるようになればと思う。時間はかかるけれど周りとの信頼関係ができなければ鎧は外せない。
同調共感は単なる方法手段ではない。生命が光を求めて成長する様な時間をかけた大事な営みである。
私と妻はそんな事を話し合う中で、互いに意見を聞いてもらう客観的な人も重要な存在となった方もいる。一緒に考える目線。
共に我慢し頑張っている姿に気づく。
いじめの問題は比較を促す風潮がまだ大人に残っているから、子供の世界にも伝播する。
私の美術教室も健常者も障害者も本当はいない。そういう目線ではなく、共に生き抜いている魂である。
私も自分自身と向き合う。ベストと言う道の中でベターな道を歩む。より良き道を見つけながら内省する。理想を失わず現実と向き合う。
独善的であってはならない。ナルシストであってはならない。価値観の押しつけはあってはならない。
心の殻を一緒に破れる関係をこれからも見守りながら歩みたい。私の鎧を外してくれる人を探し、迷い込んだ藪にいて気づいた。
私の娘の誕生日に色々考えてみた。23歳になりました。