サッカーの中田英寿選手は、こう言っているそうです。
「他人のマネをするということは、自ら考える必要がないだけに実はとっても楽だし、言い訳もできるため、責任を感じることも少ないように感じます。しかし、それを続けていくと、どんな経験をしても『~のおかげ』『~のせい』になってしまう。逆に自分で考えて行動したことは成否にかかわらず必ず自分の糧、経験になる。それにはすべての行動、言動に対して自己責任が出てくるわけで簡単なことではないと思いますが・・・・。」「重要なのは、周りの意見等をしっかり吟味して最終的には自らの意志で決める、ということだと思います。その決めたことが他の多くの人の普通と違うと、大きな反発を受ける可能性もありますが、それは常にあることという前提で行動しているので、あまり気にならないです。」
ヒデほど言い訳をしない人はいない。その根底には「自らが考え自らが意思決定し、自らが行動し、自らが責任を負う」という一本の筋が通ってるんですね。決して万人に好かれる生き方では無いのかも知れない。でも、私は教育の根底にもこの考えが重要だと思います。そのためには「型」に無理やり押し込まないこと、です。今の偏差値教育は「型はめ」するから「言い訳人種」が量産されるような気がします。永田某とか言う醜態をさらした議員も、大蔵省出身だとか。いわゆる偏差値エリートですね。だから(?)言い訳ばっかり。
ところで今日私は長男の学校の先生と話し合いました。まあ、よく聞いてみれば長男の意地になっている部分が根本的に社会正義になっていない。社会悪でもないのですが、どうにも周囲への迷惑度合いと、貫く意思とのバランスが悪い。長男ももう少しバランスを覚えないと周囲を説得はできない。そんな感じでした。でも、やはり一番やっかいなことになっていたのは、自己の意見に固執する長男を粘り強く説得し、理解させると言う過程を途中で放棄したために超えがたい心理的な壁を作ってしまった教師にありました。個性的な長男に手を焼いたんでしょうが、でも逃げたら駄目ですね。教育は。
発端となった事象は、私が教師3人の前で長男を粘り強く説得する事例を示したことで結果的に解決しましたが、こじれた感情の壁は容易には崩せません。感情は説得では覆らないのです。感情論に行く前に、粘って欲しかったですね~。まあ、教師も大勢の生徒を受け持っていますから、うちの頑固息子に構ってたらとても時間が足りないでしょうが。だから、もっと早く親を巻き込んでくれれば良かった。それが結論ですかね。
ただ、私は3人も居る教師の目の前で親の私の説得にも強固に反論を続ける息子に半分手を焼きながら残り半分は「たくましくなってきてるな~」とも感じたりしました。少なくとも頑固さだけは中田クラスですわ。(笑)