少し話しが脱線しますが、かつて私自身「囚人のジレンマ」を体験したことがあります。
あれは高校1年の頃。まだやんちゃ盛りだった私と友人は、とある件で同級生と喧嘩になりました。よくある男同士の喧嘩。詳細は述べませんが、まあ若気の至りです。しかし、なぜかその後妙な目撃証言など怪情報が飛び交う羽目となり、私たちは生徒指導の先生から取調べを受けることになったのです。友人と私は授業にも出られず別々の部屋に閉じ込められ、執拗な取調べ。今考えても、何であんなに執拗な取調べを受けなければならなかったのか分からないですね。怪我人が出たわけでもない。当人たちが問題にしていないのに、周囲が問題を大きくした。そんな感じです。多分、当時文部省で少し問題になり始めていた「いじめ」か何かと勘違いされたのでしょう。
で、事実は単なる喧嘩ですから、いくら取り調べてもそれ以上何も出るわけが無い。ところが、生徒指導の先生方は頭から「私と友人が悪。喧嘩相手はいじめられた善。」などと決めつけた態度で強圧的に出てくる。そうすると我々も反発する訳です。そして事態は泥沼化。収拾が付かなくなってきてしまいました。そこで対応に苦慮した先生方が出した条件が「囚人のジレンマ作戦」です。「私が悪かった」と認めれば、認めた者だけは開放する、という姑息な条件提示。あ、20数年たった今思い出しただけでもむかつき始めた。本当に教師がこんなこと言ったんですよ。信じられます?単なる喧嘩なんですから、「悪い」とはこれっぽっちも思っていない。少なくともこちらが悪で向こうが善、というのはあり得ない。でも業を煮やした教師はそれで事態の収拾を図ろうとしてきました。
友人とは別室で取調べを受けてます。でも私は事実は曲げない。(曲げる理由も無いですしね。)友人も信じてた。断固「悪い」とは言わない。あとで聞きましたが、友人も全く同じ考えだったそうです。
結局この件は囚人のジレンマ作戦が功を奏さず、我々は「悪い」と認めないまま自宅謹慎処分となりました。相手はちなみにお咎め無しです。
でもたかだか高校生の同級生同士の喧嘩でこれですから。刑事事件なんかで、警察が取り調べたらどうなるのか?私はこのとき「権力の怖さ」と「そこに対して自我を通すことに大切さ」を同時に知ることが出来ました。
今では懐かしい思い出のひとつですが、「囚人のジレンマ」を見るたびに理論としては非常に面白いのに、なぜか少し腹立たしいキモチにもなる私でした。