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It colors of one day

( ゜Д゜)y─┛~~

「言葉にすると噓になる。」

この意味、解釈は複数あるのかもしれないけれど、

少なくとも一つの解釈が今私に当てはまっているといえる。

 

コトノハでいろんな意見が見えた。

http://kotonoha.cc/no/129189

 

相手の受け取り方ひとつで、言葉の持つ意味は大きく異なる。

言葉以外のコミュニケーションにも言えることかもしれないが、

伝える、発信するということは常に誤解を生む可能性が含まれる。

 

言葉でいくら適切な表現を行い、正確に伝わるよう努めても、

相手の状況、気持ちはコントロールできない。

そういう意味で、伝えるタイミングが大事、ということも言えるのだろう。

 

では、この場合「正しく伝わった」とする基準はなんだろうか。

それは伝える側の意図したものが、正確に相手に伝わり、

相手にも全く同じものが理解できることだ。

 

これもまた、改めて考えると相当難しいようにも思えてくる。

なにせ、価値観も考え方も異なるであろう相手に、

自らの価値観や考え方をもとに伝えるしかないからだ。

それに発信対象が自分以外である以上、

意図したとおりに受け取るかどうかもまた、相手に委ねられる。

それは無意識か、選択か、感情か、理性。

そのいずれかによって。

 

共通点が多い友人や、家族などであれば比較的伝わりやすいだろう。

それは、お互いのことを理解する期間が事前にあり、

互いの価値観や考え方を共有できているからだ。

 

それがない関係性の相手に、いくら伝えようとしても限界があるだろう。

本当に、この感情にどう名前を付ければいいのか、
今はよくわからない。

 

屈託なく笑う姿を、

何の垣根もなく話しかけてくることを、

他愛のない話で一喜一憂する姿を見ることを。


それら、全てが愛しく思える。


もっとこの景色を見ていたい。
泣けてくるほどに。
ひょっとしたら、これが私がずっと求めていたものかもしれない。

 

面白いのは、全てが逆だということ。

 

話がしたいのではなく、話を聞きたい。
適度な距離を保つのではなく、ずかずかと踏み込んでくれていい。
その子が満たされているほど、自分が満たされていくのが分かる。

 

これが親の、子を愛でるような気持ちなのだろうか。
そしてこれが、これほどまでに心に沁みるのはなぜだろうか。
どれだけ、心が乾いていたのだろうか。

それもきっと、自分が選んだことだったのだろうな。

 

きっかけはきっと、誰でもよかったのだろう。

 

気付かせてくれた。
本当に些細で、見逃していたかもしれないことから始まって。
それを見失うまいと手探りで探して。
たぶん、今回掴んだものに間違いはないと思う。

 

掴んだものは、人そのものではなく、
恐らく人と繋がるためのもの。

本当はきっと、その人そのものを大切にしたいのだけれど。

できることには、限りがあるから。

 

どんな技術よりも今、これをしっかりと今、抱きしめたいと思う。
その感覚を強く研ぎ澄ませて。


今なら、自分の感情をコントロールできる。
多少傷ついても立っていられる。

 

そして私自身が守りたいものを守る。

 

今はまだ、それができる精一杯。
導くことができるようになるのはもう少し先かもしれない。


もしも導くことができないとしても、
ただただ、守るだけがすべてではないことは忘れずにいよう。


忘れてはいけない、人を幸せにできるのは自分自身が幸せである人間だけだと。

ふと、これまでの自分に立ち返る。

 

それはきっと、嫌われてしまったのだろうと、そう思うから。

あるいは、興味がないのだろうと。

そして、あれほど強く感じたインスピレーションでさえ、

想起させる機会を失えば、また喪失する。

 

今の状態を、現状維持のままだと認識し「大して失ったものはない」といえるのか。

それとも、インスピレーションの先にあった何かを得る機会を失った、「大失敗」といえるのか。

 

心は穏やかだ。

だが、「本当にそれでいいのか」と問う自分がいる。

 

認識している通り、人の好き嫌いの差は激しい。

あるいは、興味を持つ相手かどうか。

 

興味を持たない相手から世話を焼かれたところで、

所詮第三者からの「おせっかい」にしかすぎないだろう。

少なくとも、若い人間にとっては。

 

そして私は、人から興味をそそられるような人間ではない。

受け身には慣れていて、寛容とは言えるかもしれない。

ただ、自ら提供できる面白い話題など、さして無い。

自分でも「つまらない人間だ」と思う。

 

ここしばらくの間に、分かったことといえばその程度。

それを変えてみたかったのだろうか。今更。

 

興味がない者同士の会話はすぐに終わる。

一方が興味を持ち、もう一方が興味を持たない場合は、

・・・何らかの関係を紡ぐことができるのだろうか。

 

限られた時間の中で、どこまでできるのだろうか。

何も怖くないと思うフラットな状態と、

疑心暗鬼になっては暗中模索する状態。

 

この狭間を行き来している。

少々揺り動かされ過ぎたのかな。

 

そこに未知のものがある。

それは動揺する要因。

 

知っている「つもり」だったそれが、実は違うものだったら。

勘違いだったとしたら。

既知のものの中に未知があるのではと想定してしまったら。

 

当然探りたくなるのが知性。

 

その認識の不確かな中で、

手を差し出すこと自体に感じる恐怖と希望が入り混じった感情。

 

こんなことで自信を失いそうになる自分が嫌いになる。

それでも心は手を伸ばしたいと願う。

 

それがものであればよかった。

それがものなら、動かず、変化せず、単に認識されるのを待っているだけだから。

 

 

それが人なら。

触れることで見失ってしまったら。

反応し、醜悪な己自身を暴かれてしまったら。

傷つけてしまったら。

・・・嫌われて、しまったら。

 

 

成長する過程において、気づくことは重要だと理解しながら、

人によって気づかされることへの不安、恐怖。

 

もしも取り返しがつかなくなったとしても、

その一歩を踏み出せるのか。

 

望むのは、未知を未知のままでよいとした安寧か。

それとも、何かを失う恐れをはらんだ革新か。

 

もう今までのままでいいとは思えない。

 

誰も傷つけずに、どうやったら前へ進める?

どうしたらもっと強く、優しくなれる?

 

少しだけ、わがままを言いたかった。

ただ、愛おしいと思ってしまった。

抱きしめたかった。

 

何も、誰も損なわれないはずの願いは、

それでも誰かを傷つけてしまうのだろうか。

今まで愛した人を裏切るつもりはなくても、それは裏切りになるのだろうか。

 

自分の胸に空いた穴に気付いてしまった。

出会わなければ気が付かなかったかもしれない穴に。

それを君で埋めようとした。

 

そうすればもっと、愛せる気がした。

自分を、君を、人を、世界を。

 

叶わないわがまま、それがきっと答え。

ならばせめて、心の中で。

抱きしめよう、自分を、君を、人を、世界を。