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It colors of one day

( ゜Д゜)y─┛~~

やっとひと段落つけて筆をとることができる。
多少覆されはしたが、もうそれは仕方がないことなのだろう。
 
価値観や優先順位が異なる相手同士では行動が異なるのが当然。
そこに同調を求めても負担になるだけなのだろう。
結論、そこに至った。
 
残念なのは、自己開示がないこと。
嘘を嘘と知らされながら、踏み込み難いこと。
 
私は、不誠実なことは好きではない。
だからこそ、許しがたい気持ちにもなった。
そこまで歩み寄れない、歩み寄る意思が見られない相手になぜこだわるのか。
 
きっとそれは、自分にないものを持っているという確信からだろう。
人を見抜き、感じ取るセンス。
部分的ながら器用な立ち回り。
技術的知識の吸収速度の高さと、ストイックさ。
 
本当は友達に、この先長く付き合える親友になりたかった。
見てる景色が違うからこそ、
互いに刺激し合えるのではないかと思った。
 
ただただ、限られた時間が減らされていく緩やかな焦燥。
次はないかもしれない。
やはり無理だったのかな。
 
そうは言っても私を慕い、頼ってくれる子たちがいる中で、
その子たちを愛でながらも、
手の届かなかった子への未練を残し、去る運命か。
 
 
落ち着いたと思えば、かき乱される。
まったくもって、退屈させない人生だと皮肉が出るほど。
 
暗い感情は持ちたくないし表現もしたくない。
でも、記録し、振り返るために筆をとる。
 
楽しい時間を作るはずだった。
そうなるよう計画し合意もされていた。
その大半が、崩れた。
人の都合によって。
 
それぞれ理由はあるだろうし、責めるようなことをしたくはない。
ただ、そこに相応の価値を感じていたがゆえに、
達成できなかった時の無念は大きい。
 
このようなことがあるから、人に期待したくなかったんだ、と、
自らのこれまでの生き様を振り返ってしまうほどに。
できなかった理由は、各々の人に別の真意があるのではないかと、
疑ってしまうほどに。
 
信じたい、それでも疑ってしまうのは、
それだけ私がまだ人の心を理解できておらず、
距離もそれほど近くないということなのだろう。
 
必要ないなら、そう言ってくれたほうがどれだけ楽か。
迷惑なら、そう言ってくれたほうがどれだけ楽か。
どうでもいいと、切り捨てることができたらどれだけ楽か。
 
ほら見ろ、心を開けばこれだけ痛い。
知っていたはずなのに、
なぜ今になって、それでも心を開こうとする。
その先にある期待は、あとどれだけこの心に傷を作る。
 
もういいよ。
もう閉じれないよ。
蓋を閉じても、虚しいだけ。戻りたくない。
ならばいくらでも傷をつけてみればいいさ。
それでもまだ、人を信じ、愛してみたいから。
自分でも意外なほどに今、満ち足りている。
 
それが目的だったとはいえ、
追い求めることで歩みを進められるのに。
心地よさに、歩みが止まった。
 
少し張りつめていたものが、すっと解ける。
同時に自覚していなかった疲労感がこの身を包む。
悪くはないものだけれど。
 
結局のところ、整理すると私は大切にしたい人を、
単に大切にしたかった、というだけなのだろう。
 
大切な人が離れてしまうのは凄く辛い。
それでも、求められなければ大切にすることは難しい。
少なくとも行動レベルで実現することができない。
ただのおせっかい、迷惑な人になってしまう。
 
一般的に大切にすべき人は自らの家族であることは明白。
ただ、現時点私には大切にしたい家族は妻以外にいない。
だからだろうか、大切にしたい人を増やすことで、
充足感を得ようとしたのだろう。
 
それは法律上、名称の付くような血縁関係ではなく、
またそれに縛られた関係性でもなく。
 
あえてお互いに役割を課さないことで、
お互いの個人としての自由を維持したまま、
あくまで心がそう感じるから大切にする関係。
 
大切にすべき、という義務などは全くないにもかかわらず、
お互いが大切に思える関係、そして人。
 
分かりやすくいうのであれば、
それは親友であったり、心の中の家族、といえるのかもしれない。
 
わがままかもしれないが、私はそれを求めた。
肩書も性別も気にすることなく、
互いが本来の自分自身でいられるような関係。
言い換えれば、互いが互いの"自分自身"を取り戻せるような関係。
 
私自身が求めると同時に、
私自身が誰かにとって自分自身を取り戻せる人、
あるいは場所でありたかった。
 
そう、これがきっと核心だろう。
 
ああ、そうか。
だから、妻にも「楽な友達と一緒にいるみたい」と言われるのかもしれない。
たぶん、それでいいんだ。それが理想的な形なのだろう。
 
 
たった一つの出来事だけれど、
それだけで本当に今日は良い一日であり、よい決断と行動をできたと思う。
 
 
この記事で書いた友人へ連絡した。
かつての恋人であり、今は妻とも友人となった人。
 
この子は、あの時何を思っていたのだろう。
なぜ、強烈なまでに人を惹きつけ、周囲を巻き込めていたのだろう。
なぜ、些細なことでも大いに楽しみ、生き生きとしていられたのだろう。
 
かつて同じ時間を共にしたからこそ、問えること。
目の前で見て、感じてきたから分かること。
 
 
少しだけ、また私は答えられない答えを問うているのではないかと懸念した。
でも、聞かずにはいられなかった。
懸念は、杞憂に終わった。
 
 
『自分が楽しみたいから』
 
明確な答え。
言われてみれば、合点のいくこと。
 
そして、常に物事の新たな視点を見つける『想像力』
 
その2つが鍵となって、過ごすその時間を決して無味無臭なものにすることなく、
まるで子供が常に新たな物事に目を輝かすかのように、生きていられる。
 
楽しいことは待っていても降ってこない。自ら見つけるもの。
人の為にするのではなく、自分のためにすること。
それが結果として周囲を楽しませ、輪を作った。
 
もちろん、そこにいた人たちが優しかったのも確かだろう。
でも、その中心となることは、誰にでもできることではない。
やっぱり君は素晴らしい人だ、と心底感じた。
 
かつてはお互いを傷つけあってしまいながらも、
こうして時間が経ち、お互いを許し、認め合うことができた。
そしてそれが内なる自信へと繋がり、
また明日からの生きる活力ともなる。
 
過ごした時間は無駄ではなかった。
お互いにとって意味のある関係。
離れていても一つの源泉を共にしている感覚。
 
ありがとう。
やっぱり君は運命の人だったと確信する。
きっとこれからもそれは心の中で生き続け、
それを糧として、互いの道を歩むのだろう。
幸いにも、そう遠く離れていない場所で。
 
語ればきりがなさそうな感謝の思いを胸にしつつ、
今日はこの思いを抱きしめて眠ることにしよう。
 
 

・・・にしても、やっぱり良くできた子だなぁ。

仕事面といい、立ち回りといい、実に賢いものだ。

 

言い方は悪いかもしれないけれど、

ある程度女を武器にしていることを踏まえても、

なかなか、これほど可愛がりたくなる要素を持つ子もいないだろう。

 

はてさて、それが天性のものか、後天的なものか。

 

やっぱり自然体で興味は沸くけれど、これ以上は近づけさせてくれなさそうだな。

親しくなればいろいろと得られることがあったように思えるからこそ、

このままサヨウナラ、は惜しいんだけどなぁ。

 

まぁ、それも求められなければ仕方がない、

それが答え、か。

 

面白そうなのに近づけない、

これはなかなかに残念だ(笑)