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It colors of one day

( ゜Д゜)y─┛~~







飽きないこと。


「人は概ね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないこと」


引用。




今の自分が概ね幸福であろうことも自覚しながら、


時折自分の中が空っぽになったような、


0(ゼロ)になったような感覚を覚えることがある。




ここ最近、ストイックに居るがゆえに、


今を楽しむことを忘れがちになっている。




・・・とことん、覚めている。


それは、自覚している。


それでも、覚めないでいることはできなくなっている。


・・・自分に嘘がつけない。




でも、せめて、


些細なことを、馬鹿げた、どうでもいいことを笑って楽しめるようにしよう。


それを失えば、私の周りから笑顔がなくなる。



気付きを、感謝を、好奇心を持って生きよう。




・・・今まで「幸せそうだ」と思っていたあの人も同じように、


気がついていても笑っていたのだろうか。


知っていて、それでもなお、無邪気であろうとしたのだろうか。








遊んでいますか?






企業のカウンセラーは、仕事が出来る人間は特に、この言葉を掛けると言う。


「仕事が出来る人間ほど、よく遊ぶ」という言葉も聞くが、それは理想論だとも言っていた。


現在、「仕事が出来る」と本当に評価されるには、感情も頭もフレキシブルに、常にアンテナを張っていなければならない。


公私の切り分けが困難であり、それがひいてはストレスの解消を妨げているとのこと。



エゴグラムを活用し、その人間の傾向を推し測ってみても、


実際にストレス解消が得意かどうかは別。



特に生真面目な人間ほど、仕事の事でよく悩み、頭の切り替えをする間がなく、


ストレスを蓄積させていってしまう。




こういった悪循環を解消するための啓発でもある。




「遊んでいますか?」




個々人の趣味、嗜好は様々であり、


何が気分転換になるのか、と言えば一概には言えない。


その中でも、おおむね万人に当てはまるのが、


「スポーツ」体を動かすことだという。


頭の切り替えを促し、問題から一度離れることで、新たな視野を得ることも多いという。




また、


「朝日を浴びること」


これは、人間の生理的サイクルを適正に保つための良い方法だという。


朝、脳を自然に目覚めさせる事ができ、


人間本来の体内サイクルを取り戻す。


これは慢性的な生活サイクルの乱れの解消にもなる。


かくいう私も、精神的にまいっていた時でも、


朝日を浴びることで元気になった覚えがある。


光合成ではないが、日光は人間の体内でビタミンDを生成する為にも必要である事を考えると、


日の光を浴びない体は不健康であり、


定期的に日の光を浴びる事が必要に思えてくる。


また、ストレスに効果的といわれるカルシウムは、ビタミンDが体内に存在しないと、効率の良い吸収が行われない。


日光とストレスとの関連性は、探せばまだ他にあるかもしれない。




考えてみれば、


運動、日の光を浴びること、など、


至極当たり前の事に思えるものではあるが、


その再認識と励行が呼びかけられる今は、


やはり社会全体がその「当たり前」が出来ない状況にあるのだろう。


技術の高度化により、デスクワークに携わる人も増えてきた。


その社会に適合するには、時に強いストレスを抱えることもある。


その今の社会を生き抜くためにも、


再度その「基本」に立ち返り、自身を省みることが必要だろう。



「~なければならない」


「~であるべき」



好きじゃない。




義務を認める自分と、


自由でありたい自分がせめぎあう。


・・・疲れる。



結局は会社の人間である以上、その歯車であらねばならないのか。


人に「仕」える「事」。


それが仕事。



わかっちゃいるけど、


様々な人間の思惑の中で、


その思惑に嫌気がさし、


人との距離を置きたくなることもある。


矛盾する意見の中で、


どれほど私は貴方たちに「使」われたらいいのか。



オーバーフロー。


明らかな人手不足。


高い離職率。



そして、計画は現場によってなし崩しになり、


成長は見込めなくなる。



稼動増大はトップダウンなのに、


その削減は現場任せ。


・・・できるか、そんなもん。



こればかりは、


いくら心にゆとりを持とうとも、どうしようもない現実。



・・・いっそのこと、声を荒げて「間違ってる」と言ってしまえばいいのか。





・・・そうまでして。


本来ある人の心のゆとりまで失って。


それでも求めているのが、結局のところ一企業の繁栄。


その一企業からお金をもらっている以上、何も言えない皮肉。


・・・消化できない。

最近、何気ない日常の中で、ふとひらめく事が増えた。


それは、切迫された精神状態から開放しているからだろうか。


こういったひらめきは、何かに集中しているときや、周囲に意識を向けていないときは起こらない。


集中力も大事だとは思うが、集中しないことも決して悪いことではないと、こと最近はよく思う。


ある意味で脳を自由に「遊ばせて」あげることも必要なのだ。


そうした時間の中で思いついたことは、本当に気まぐれな、


「思いつき」でしかないと、最初はそう思っていた。


だが、深く考察してみても、案外核心をついている事が多くある。



これらをうまく活用し、日々に新たな彩りを加える事ができたら。



そう思い、そのひらめきを頭の中だけで終わらせないように心がけるのだが・・・。


このひらめきは、あっという間にどこかへ消えてしまうのだ。


頭の中で、異なる2つのものが、今までまったく関わりのなかった情報が、


まるで当たり前とでもいうかのように、ある期を境に結びつく。


そこに、核心をついた真実がある。


そのように理解するまでにいたるほど、確かにインスピレーションを呼び起こされたことは何度もあった。


だが、そのうちどれほど実践できただろうか。


それらが実践できなかった理由として「忘れてしまうこと」が一番の大きな要因であると気がついた。



このインスピレーションが、人との会話をしている中で、


その話題に対するものであれば、覚えるまでもなく、その場で伝えればよい。



だが、その話題とはまったく別の内容であれば、


さすがにその会話を中断してまで、そのインスピレーションを形にすることは出来ない。


そうした場合、私は周囲によほど関わりづらい相手だと認識されることになるだろう。



そして、結論。


「常にメモを傍らに置く。そのひらめきを、ひらめきで終わらせない為に」


よくビジネスマン向けの本には、メモの携行を薦める事柄が書いてあり、


それらと何も変わりはしないのだが。


ただ、そのインスピレーションを感じるがあまり、必要性を感じている。


あくまで、その必要性を感じればこそ、であり、


それらを感じない、忘れないと思う人はそのようなことはしなくて良いのだ。