タバコをやめようと努力中。
私は、数日吸わない事はさして苦にならないが、
逆に吸わないという理由もないのが問題。
以前より1週間ほど吸わないことは何度かあるものの、
ふとした時に、やはり思い出してしまう。
だが、最近体調も思わしくない。
というか、喫煙して恐らく脳は満足するのだろうが、
体への負担がすぐ分かるほど明らかになってきた。
・息が上がる。
・脳への血流が下がり、感情の起伏は落ち着くものの、全身の血流も悪くなる為、体が落ち着かない。
・脳への血流が下がるためか、意欲・想像力等に違いが出る。
・気持ち悪い。
・食欲が落ちる(口内に残るタバコの味がまずいと思うようになった)
・・・こうして書いてみると、自身でも「やめればいい」と思うほどで、思わず笑ってしまうが・・・。
やはり日常的にストレスはあるもので、
そのストレスの根源が思うように解消されない、あるいは解消できないと分かった際、
どうしようもなく、行き場のない強い感情を抱いてしまう。
・・・そういう時、その気持ちを霧散させるために吸ってしまう傾向がある。
しかし、上記に書いたように、吸ったからといって、何もかもがすっきりするわけではなく、
感情を沈めるために、それなりの代償を支払わなければならない。
ある意味、問題を置き換えただけ、というべきか。
これに対し、「落ち着く」とは何だろう、と時々考える。
タバコを吸うとき、立ち止まり一息つく。
それが以前は落ち着いたものだが、今はあまりそうでもない状況となっている。
深呼吸することは、感情を落ち着かせるためによいことでは、と思うが、
体の反応を見てみると、喫煙時はどちらかというと胸式呼吸である。
と、いうことで、喫煙を控え、腹式呼吸により気持ちを落ち着け、
ひいてはタバコへの依存をなくす、という狙いで今現在動いている。
人間的生産性の観点から見ても、コストは下がるし、
脳への血流は(喫煙せず、腹式呼吸をすることにより)増す。
すなわち、生産的活動を行える能力も増すことになるだろう。
おおげさかもしれないが、私にとってそれほど影響のあるものになっている。
各種サプリメントを取ってはいるが、タバコで相殺されては意味がない。
それさえもただのコストとなってしまう。
また、新たな気分転換のための娯楽を探すべきである、とも思う。
立ち返ってみて、特に最近は強い刺激を求めることよりも、
安定した安らぎを得ることに主軸をおいており、
人間的欲求が少ない。
それ自体は、穏やかに生きるために適しているとは思うが、
逆に波風が立ったときの耐性がないというか、
例えるならば、酸性に傾いた性質をアルカリ性側に引き戻すツールがない、ということだ。
ちなみに、ちょっと違った視点で見てみると、
タバコをすったところで、これがアルカリ性になる気はしていなく、
むしろ酸性が強くなる気がしており、
毒をもって毒を制している気がしてならない。
・・・主観的ではあるが。
課題のひとつとして、新しい娯楽の発見を、と捉えているが、
なかなか見つかりそうもない。
と、いうのは、
探す必要性があるほど、自身が知っている、あるいは経験があることには、
すでに興味がなくなっている。
つまり、新しい分野の開拓が必要であるということ。
そして、ふと立ち返ったとき、
自身のストレス解消法を能動的に、「何かをする」ことによって得ようとしているが、
果たしてそれが正なのか、と考える。
疲れが溜まったとき、脳内の休息が必要なとき、
能動的に動くよりも、単純に「休む」ことが必要ではないのか、と。
十分な休息から、新たな視野、考えが浮かんでくることも知っている。
だからこそ、最近は休息をおろそかにしないよう、心がけている。
そのような現状。
やはり人生を楽しむためには、何かに埋もれることなく、
前向きな意欲と、開かれた「眼」をもって生きていく必要がある、と思う。
それを阻害するものは、無くすべきだと考える。
・・・頭では分かっていながらできないのが人間だと知りつつも。
その自分をコントロールするのも自身の役目だと言い聞かせて。
只今、週休と併せて4日の夏季休暇中。
とはいえ、今日は一日中家から出る事がなかった。
しまったな、と思ったのは夜になってからだったが、
今日は雨だった事を思えばまぁ仕方がないとする。
夏になれば、暑いと分かっていながら、外に出たくなるのが私の性分である。
夏はアウトドアに適していると思うからだ。
海や川で泳ぐ。
釣りに行く。
キャンプやバーベキューもいい。
比較的頭脳労働を好む私が、何故外に出たがるのだろうと考えたことがあった。
その答えは、至って科学的に証明された。
人の体というのは、日光に当たることでセロトニンの分泌が促進される。
このセロトニンという物質は、人間の精神的活動に大きく影響する、
すなわち、「やる気」に影響を及ぼす神経伝達物質だということだ。
他にスポーツや瞑想でもこのセロトニンが分泌されるというが、
それらの行為から考えると、改めて日光とは偉大なものだと感心した。
女性はこのセロトニンの量が、男性に比べ52%しかないという。
それにより、女性的な活動不順、冷え性や偏頭痛、更年期障害などを引き起こしているという説もある。
言われてみれば、小麦色に焼けた肌を持つ女性が、
そのような不調を訴えるイメージはない。
透けるような色白の女性もいいが、そのような活発な女性に好感が持てるのもそれが理由・・・かもしれない。
・・・それはさておき。
こうしてみると、改めて、自分の世界とは実に小さいと実感する。
そして、楽しみが少ない、とも。
学生のころから、そうは言っても重きを置いていた趣味はゲームや音楽であり、
多少のスポーツを好んではいた。
しかし、最近それが非常に淡白に感じられて仕方がないときがある。
そしてそれらを、当初は楽しむ、ゆとりある心の喪失かと思っていたが、
改めて認識するとそうでもないと感じる。
確かに、心のゆとりはあるはずなのに、もう楽しめない。
自分で言うのもなんだが、心の成長に依るものかと思う。
思えば、いくらでもあるこの世の「楽しみ」のうち、私はいくつ知っているというのか。
例え知っていても、それを体験したことはあるのか。
まだまだ、体験していないことなど山ほどある。
視野を広げるときだと感じた。
ただただ、「慣れ」で同じ会社に年を取るまで勤め、
気付けば家庭を持ち、生計を立てる。
限られた時間とお金の中で、手身近な楽しみを・・・。
将来それが幸せだという時がくるとしても、
ならば今のうちに、この両手両足、頭を使って、
できる限りの事はしてみようと思った。
少なくとも私は、
同性であれ異性であれ、何もせずその小さな幸せにたどり着いた人間より、
人生経験に富んだ、活動的な人生を歩んできた人を好ましく思う。
その道を歩んできた人独特の人間性、価値観を尊く思う。
だから、私もそのように生きてみようと思う。
一人とは、自由なものだから。
そう思い、今年の夏をすごす。
そうこうしている間に、あっという間に過ぎていく時間を。
この時間は、限られたものだと自覚して。
さぁ、楽しいことを探しに行こう。
今までやったことのないことを、やってみよう。