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It colors of one day

( ゜Д゜)y─┛~~

夏には丁度いい気もする、


ドライ、クール。





私も、「若いころは」などという歳になった。



人へ情熱を注ぎ、


ぶつかり合ったその結果、


人に振り回されている事を自覚し、


自分自身に立ち返った。




「人は人」だと。


社会は人でできている。


一人でできることなど限られている。


だからこそ、言葉があり、そこに想いがあり、


そしてコントロールする理性が、そこにはある。


それがあるからこそ、個人ではなく団体、グループとしての活動、成果が成立する。


一人では成し得ない事の達成が見える。



私は、想いを理性でコントロールできない事を蔑視した。


そういう人間との関わりを割り切った。



私に意思があるように、他人にも意思があり、


それは必ずしも両立できるとは限らない。


もしくは、衝突しない保証はない。


互いのニーズがストレートに満たされないことがある。


かといって、それをそのまま主張し、貫き通せばよいというものではない。


そこに、互いのニーズを満たす方法がないか相談する余地がなければ、


「なら一人で勝手にやりなさい」ということになる。



私は、それに同意する。


そして他人にも、自分自身にもそう求める。



やりたいようにやりたければ、


一人になって、気が済むまでやればいいのだ。


一人でできるなら、人は必要ない。


一人でできないなら、自分の要求のみ満たすことを考えず、


頼むということ、頭を垂れること、Win×Winの法則を適用すること、


それらは必要だ。



・・・当たり前かもしれないが。


それができない人間とぶつかることが多い環境下においては


改めて認識せざるを得ない。




以前は真正面からぶつかっていたものが、


今はもう避けたい事。




・・・避けて通れないこともあるにせよ。




今なら、「友を選ぶべき」という言葉も理解できる。


・・・あまりこういう考えは好きではないのだが。




そうして、淡々と生きていく中、ふと思う。



この先は、一人の道なのか、あるいは新たな人たちとの出会いへの道なのか、と。




暑い日ざし、吹く風、空気の中、ここにあって、どこかへ行く存在。



何も持たず、ただこの風に、時に、今というこの瞬間に、


ふと、「ただ純粋に、らしくあればいい」と思った。



それは何かと意識的に、そして不器用に、


意味を求め、答えを探し、確かめようと足掻く私たち人間、


それらを笑うかのように。



風のように、水のように、音のように、日差しのように、雨のように。


ただそこに在ればいい。



そう在り続けることは、社会に生きる人間としてはただの理想で、不可能な話。


それでも、そう、「ただそこ在ること」、それだけの瞬間は、


なぜか赦され、全てに受け入れられている気がした。



これが本当の、幸せではないかと思うほどに。



犬も歩けば棒にあたる。



ぶつかるって事は、


歩いてる証拠だろ。