何を書こうか考えていたんだけれど、結局何も決まらないまま書き始める。


少し期限をオーバーしましたが、ブログは、今日で止めます。
大学を出るまでにどれだけ悩みを解決できるか、の試みで始めたので、ここで区切りです。

悩んでいたことの大半は解決したと言っていいと思います。
残りはほとんど、具体的に対処しなければならないものと、一生かけて考えるものです。
ここで話を聞いていただいて助けられました。
人に話を聞いてもらったことで、過去について考えてみる気になれました。
過去に整理をつけたから、この先を生きていけます。
本当にありがとうございました。

せめて学んだことの報告として、
家族に対して、以前よりも自分の考えをストレートに出せるようになりました。
「家族を刺激する言動は悪」という考えが、少しずつ抜けていっていると思います。
本来の自分に戻りつつある感じ。言葉で説明できない感覚であるだけに貴重です。


自分のログには未練がないので、そのうちこの記事もアカウントも消します。
後戻りできないほうがいいと思うし。
アカ消しは、そうだな、来週の土曜が来る前に。

さてまた環境が変わるぞっと。
頑張りましょう。

書きたいことを書き尽くすことはできませんが。
では。



十一月の記事の後書き的に。

タイトルにしたのはむかし母が言った台詞で、このあと「なんか勝手に大人になってた気がする」と続いた。

母は「子供の頃どんなに毎日死にたいと思っていたか」「その子供時代よりもどんなに辛い気持ちで働きながらお前たちを食わせてやっていることか」を小学生(どうかすると低学年)だった私に鬱々と語り聞かせてはリフレッシュ、というような心理的ケア以外に、

高校に上がって以降は、その辺で拾ってきた小遣い稼ぎの話がマルチ商法かどうか?という常識的なことの判断も、私に委ねていて、

心理面でも判断面でも逆転した親子関係でやって来たので、お互いそんなふうに感じてて自然なんじゃないかと思う。

そんなわけだったから、カウンセラー役の私は「お前がいないと家が回らない」「あたしの味方はお前だけ」と依存されたし、大人になり代わって詐欺商法に無駄金を遣うなと注意していた私は「何でもそう疑って心が汚い」「お前みたいな人間になったらオシマイ」と罵倒された。どちらも母のような人にはよくある反応だ。


そんなふうに親の役に立ってみても喜べなかったのは、

多分、何かそういうことをすると、

「子供なんて役に立って当然。
宿と飯を与えてやってる恩に比べたら、
それくらいのことが何なの?」

って感じの反応が返ってきたせい。

役に立ったかどうかの判定も気まぐれなら、役に立ったことを褒めるかどうかも気まぐれ、あるいは「一応褒めてやるが大したことじゃないってことを忘れるなよ」という感じの、およそヒトのしつけとは思えない育て方。

こういう親に付き合って無力感を重ねていくより、外の世界を見て生きたほうがいいだろうなあ。


個人的に思うに、解毒のやり方には大まかに二通りあって、
1、親への恨みや親と似てしまったところを棚卸しする。それら認知の歪みなどと呼ばれるもののうち、どれを正してどれをそのまま抱えるかは自由選択。
2、外の世界でまともな価値観や楽しいものを学んで相殺する
このうちどちらかが欠けるとあまりよろしくないのではないか。

母はこのうち2のやり方で若い頃頑張ったらしいのですが、1については全くおろそかにしたため、「幸せでいることより幸せなふりをすることのほうが大事」という態度が抜けず、毒を増やして子供に肩代わりさせてしまった感じ。
そんな母に反発する私としては、1に力が入って2がおろそかになってるなーと、そこまで分かってりゃ世話ねぇな。


あと、私は自分が何歳なのかよく分からず混乱しているところがあって、それも多分向こうの両極端な態度、
親の親代わりを務めるときには「親より賢い子」扱いだったり、逆に向こうの自尊心が揺らいでて何かをけなさないと自分を保てないらしいときには「ほとんど幼児と変わらない、何もできない奴」扱いだったりと、不安定な接し方が原因にあると思う。

親にとっては、そういう自分の心の不安定さに気づくよりも、私のことを賢いんだかバカなんだか分からない変なやつ扱いするほうが楽だったんだろうな。
私はずっと「良識を持った親と人間らしい会話がしたい」と願っていたけど、それができる日は多分永遠に来ないので(来るとしても失うものが多すぎるので)、これ以上向こうにかまって再起不能になるより、自分が幸せになることを考えたほうが良さそうだ。


親との関係にどうけりをつけるかについて、だいたいの意思は固まった。最近気づいたことが象徴的なので書いてみる。

小中のときは(多分ろくにペンを持たなかったために)気にならなかったことだが、高校から受験期以降、右手がやけに痛むことがあった。模試のときは特に、休憩を挟むとはいえ、ペンを持つのが苦痛で汗をかいていたほど。
骨にくるような、嫌な痛みなので、当時母に言ってみたら、「お前が小さいときに怪我をした痕だろう」と言った。

向こうの話をまとめると、どうやら母の不注意で右手の一部をドアに挟んで骨が逝った後、放置されたらしい。ので、受傷後二十年経ってもいまだに痛むという。そういうことをけろりと言ってのけた母も母だが、当時どうとも思わなかった自分も自分だなぁと。
大学四年間も、授業がふたコマも続いたら辛くなってたのに(つまりほぼ毎日)、スルーしてしまった。

色々こじらせたけど、結局私たちは子供を愛せない親と親を愛せない子供で、それだけのことなんだろうな。
好きになれないものを、嘘をついてまで好きなふりをする必要はない。そういうマイナスの努力に注いでいたエネルギーを前向きなことのために使うのがいい。


思うんだけど、周囲の誰一人として私の痛さ辛さに関心を持たなかったとしても、むしろだからこそ、自分では分かっているべきだったんじゃないかな。
私の好きな大人はみんな、ちゃんと分かってた。悲しいとか腹立たしいとか申し訳ないとか、ごまかしたりしなかった。だから自分にとって何が大事なのかも分かっていた。
私にはそうする権利と義務があったんだよ。
その権利を踏みにじられたことと、自分で義務を放棄したことを、容易く許したりはしない。



きょうだいの事については一通り考え尽くして、とりあえず落ち着いたので(といっても考えなきゃいけないことはまだある)、今度は親について棚卸ししてみるか、と整理し始めたら、ガクッと調子を崩した時期があった。

表面的には、兄は親よりも悪質で、だから昔の私が親に助けを求める気を失くしたのだけど、
親が諸悪の根源だったんだな、と腑に落ちた。


いまは自分の考えや感情に正直になる&親の酷さを直視する練習をしているところですが、息をするのがずっと楽になりました。生きていけるかもしれない、とさえ、時々思います。




この間本を読んでて気づいたこと。

食中毒って病院に行くものなんですね?

私が今までに食中毒を起こしたのは、たしか中2のときの1回きりで、高熱や嘔吐で何日か寝込んだ記憶があるけど、病院にも連れて行かれなかったし、薬も飲まなかった。
兄や弟がかかったときも、同じように治療らしいことはなかったと思う。

自力で病院にかかれなかった頃の話は仕方ないとして、これからは自分の判断で行けるわけだけど、

考えてみろよ、自分。
病院に行くようなことだから、医師の保健所への報告義務なんてものがあるんだろうが。
(注:感染症法に規定があります。)


前に大学の先生と駄弁っていたとき、「君はそんなことにまで興味があるの?」と言われたのを思い出しました。(たしか松果体がどうたらいう話の流れで)

私があっちこっちの分野を散発的に勉強するのは、腰を落ち着けてひとつのことができないっていう、行動面の問題もありますが笑、

何よりも知識を増やすことでしか、他の人のように暮らしていけないからです。

言い換えると「いい年こいてサルモネラ菌をまき散らすような、歩く生物兵器になりたくない」という具体的な動機であったりもします。

親が私やきょうだいにしたような対応は、医療ネグレクトと呼ばれるかと思います。
誰しも自分の家が普通だと思って育つものだけど、その自分ちの常識と社会の常識の乖離が激しいときは、何とかすり合わせていかなくちゃいけないんだよなぁ。並大抵の労力じゃないよ。

(今回は外していますが)私は普段からこの「医師の保健所への報告義務がある→病院にかかるようなことなんだろう」といったような推測でかなりの部分を補っているので、判断力や生活力の程度なんかについて人がどう慰めてくれても、心許ない気分が払えないっぽい。

肩肘張った、体系立ったお勉強じゃなくてもいいから、しぶとく雑学を蓄えていこう。
親の悪影響を凌駕して、ひとりで生きていけるだけの知恵も、きっとついてくると思う。



母が私について見せた「ありもしない体の不調をでっち上げ、治療さえしてみせようとするわりに、現実の怪我や病気は無視する」という態度は一体何だったんだろうと思っていたんだけれど、代理ミュンヒハウゼン症候群ぽい何かとでも言えばいいんだろうか。

でっち上げ傾向については私が高校生の頃から悪化し始めたので、自分の意思で撥ね付けることができたけれど、ひどく精神力を消耗したのには違いないし、幼い子供だったらどう抗いようもないな、と思う。

このことについては、また調べて何か書くかもしれないし、書かずじまいかもしれません。