私は埼玉出身ですが、縁あって、4年前から仙台で暮らし、働いています。
東北大震災から3年。
私はその時、個人病院で仕事中でした。
大きな揺れの中、ママ達のお部屋に行こうとするも、全く動けず、少し揺れが弱まった瞬間に、お部屋へ行きました。
ベッドは位置を変え、色々な物が落ちていましたが、幸い怪我人は出ず皆赤ちゃんを抱きしめ守っていました。
お部屋は使い物にならなくなってしまったので、入院中の方は、マタニティビクスや母親教室をする為の大きなホールに集まって過ごしてもらいました。
電気、水道、ガス、全てが止まりました。
そんな中、私が担当して居た、36週で破水入院されて居た方の陣痛が強まってきて、これから進んできそうな予感。
ライフラインがない中、どーやってお産をするか、皆で考えました。
分娩台も動かせないので、低い位置でも産めるように高さの調整や、産まれてから吸引も出来ないので簡易的にある物品で作った吸引器、赤ちゃんを温める為に、カセットコンロと大きな鍋を使い、点滴ボトルを温めて湯たんぽ代わりの物を作成、明かりもないので、懐中電灯を照らす係りや、産まれてからの手順などを決めていざ出産になりました。
その病院では分娩椅子を使っての座位分娩だったのですが、椅子の高さはさすがに動かせなかったので、ベッドで座位を取り、座位分娩といぅ形を取りました。
私もそんな状況下での分娩介助は初めてだったのですが、周りのスタッフが沢山付いてくれていたので、とても心強く、あまり不安はありませんでしたが、真っ暗で二つの懐中電灯の中で産声をしっかりと聞けた瞬間、どっと安心感を感じました。
ホールで過ごしていたママ達も、皆励まし合い情報を共有し合い、支え合っていて、その時居た全員が母乳のみで乗り越えました。
その日に感じたのは、人が居てくれるだけでやはり安心感を得る事が出来る事。
支え合って生きていく事が大切なんだなと当たり前の事を実感しました。
あの日の出来事や教訓があるからこそ、何かあった時の心構えを持つ事が出来ました。
様々な医療機関でも、震災以降何かに備えての練習はよりリアルに強化されています。
あの日の教訓を忘れない様に、助産師としての仕事、これからの生活に活かしていきたいと思います。