ヴァーサ号は1628年代に建てられた木製巨大戦闘船。
2段階に設置された大砲は、左右船横側に並び、その時代に世界最強力な軍力を表したと思われるほどです。しかしタイタニックの様にこの船は不幸にも初航海旅で沈没してしまい、戦闘には参加できませんでした。そして333年間ストックホルム近郊の海底で眠り続け1961年に引き上げられ博物館にスエーデンの造船技術の誇りとして展示されています。
■驚きの全長、そして大砲の数
博物館に飾られたヴァーサ号の姿は想像を超える巨大な木造船建築。
アメリカからのペリー将軍の黒船が下田に到着したのは1853年。ヴァーサ号の建築から225年後の事です。もし沈没を避けていたら歴史が変貌していたかも。もしその時代にヴァーサ号が日本へ上陸していたらと想像してしまいました。
完成までの期間は2年の歳月を要しました。ヴァーサ号には3本のマストがあり、10枚もの帆を掲げることが可能でした。マストの頂上から竜骨までは52メートル、船首から船尾までは69メートル、そして重量は1200トンにもおよびました。大砲の数は、64砲と24の砲撃銃。完成時において、ヴァーサ号は過去に類を見ない最も強大な戦艦でした。


飾りが描写された大砲は、64砲設置されていました。船の全長69m。
その時代のスエーデン海軍力の歴史を語っていました。
■惨事の理由
この時代の設計者たちは、これまでに成功した船舶の寸法表を採用していました。国王が通常を上回る大砲を積載したいとの考えを実現化させるための無理が生じた惨事でありました。
船体に積まれた64台の大砲の多くが24ポンド砲(11 kg超の弾丸を発射する砲身)でした。スウェーデンは20隻ほどの軍艦を所有していましたが、ヴァーサ号のように多数の巨大な大砲を搭載した軍艦はありませんでした。
■引き上げ作業
ヴァーサ号は1961年4月24日にその姿を海面に現しました。次なる任務はヴァーサ号を保存することでした。これほど長い期間海水に沈んでいた難破船を未処理のまま放置することは不可能です。保存処理を怠れば、木材はひび割れ、朽ち果てていくことになります。
専門家によって適切な保存方法が考案されるまでの間、ヴァーサ号には海の状況を再現するために水が噴射されました。その後防腐剤をゆっくりと木材に染み込みこませる作業が数年に渡り続けられました。
■ヴァーサ号のデコレーションの美しさは芸術作品
数百もの曲線的な彫刻に彩られたヴァーサ号は芸術品であります。
大工、建具士、彫刻家、画家、ガラス工、造船工、鍛冶屋など多くの専門業者の援助を受けながら総勢400名もの人々がスエーデンの夢に従事しました。
ヴァーサ号とともに、700点もの彫刻品を含む14,000点以上の木製品が復元され、船舶の元の位置へと戻されました。それは巨大なジグソーパズルを解くかのような地道な作業でした。
ヴァーサ号は戦時に使用されるだけでなく、宮殿を遊走することもありました。引き上げられた彫刻にはメッキ材や塗料の跡が残されており、現代の分析によって、これらの彫刻が赤色の背景に派手な色彩で塗装されていたことが判明しています。彫刻のモチーフは、ライオン、聖書の英雄たち、ローマ皇帝、海獣、ギリシャ神などです。スウェーデンの君主の栄光を称えるものでした。



ヴァーサ号の後方には、いかにも君主制度を表した彫刻が色鮮やかに描写されていました。最上方には君主、下には行政にあやかる人形の姿、そして下方には庶民の様に見える人形が並び、いかにも王国のイメージを語りかけていました。これはミニチュア模型でオリジナルの姿を再現し、分かり易く比較できる様に並んでいました。
■保存技術
ヴァーサ号の保存と管理は現在も続けられています。この難破船が海面下に沈んでいる間、鉄のボルトは錆び付き、オーク材は黒く変色しました。船舶の形が保持されたのは、ひとえに木製のダボの力によるものでした。
海水中の多量の硫黄分が木材に浸透していました。現在、硫黄分は酸素に触れて硫酸を形成しており、木材の腐蝕は進んでいます。ヴァーサ号を長期間保存するための研究は現在も続けられています。
■1600年代へタイムスリップ
1961年に引き上げられた船体は、17世紀の様子を現在へタイムスリップさせました。修復された数千の品が語る物語が伝わってきます。乗組員たちの遺骨や所持品、そして船舶設備品など価値あるものばかりでした。発見された品々の研究は現在も続けられています。博物館の展示室には多くのユニークな品々が展示されており、過ぎ去った時代と人々に新たな息吹を与え続けています。

大砲のある穴の隙間からは、インテリアのリフォームの工事が今でも継続している様子が伺われました。