
私は耐えられる派!
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されば人と共に住(じゅう)するも独なり、そひはつべき人なき故なり
人は生まれたときも独り、死ぬときも独り。 ならば、この世を人と暮らしていても独りである。 人の一生は、最初から最後まで、本当の意味で一緒にいられる人は一人もいないからである。
時宗の開祖、一遍上人の言葉らしい。
人は生まれながらにして、当然のごとく、等しく「ぼっち」なのだという。
日本国憲法第14条第1項に「すべて国民は、法の下に平等であって」と規定されているが、これはその後に続く「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」ことを意味しているわけではない。
なぜなら、実際に、人種、性別、門地(出身地)等による差別は未だ横行している。
日本の最高法規である憲法に規定されているにも関わらず、である。
子どもの「いじめ問題」も未だ解決をみない。
なぜなら、子どもの鏡である大人の世界で「いじめ」があからさまに実行されているためである。
大人に許される行為であれば、子どもは当然、社会的に認められている権利と考えることになんら不思議もない。
そして、「いじめ」の行き着く先は「ぼっち」である。
「ぼっち」は耐えることができるか?という問題ではなく、「ぼっち」こそが人として最も自然な状態なのである。
そこに、耐えることができるかどうか?という議論は無意味である。
耐える必要はない。受け入れるだけで良いのだ。
だから、私がぼっちであることになにも問題はない。
別に耐えているわけではない。取り立てて意地を張っているわけでもない。
この世の真理に身を任せているにすぎない。
そう。私がぼっちであることになにも問題はない。
問題は・・・(T^T)
悪かったですねっ! どうせ、私はぼっちですよっ!!
いっしょうけんめいにガマンにガマンを重ねていますよ。
えぇ、堪えがたきを堪え、忍がたきを忍んでいますよ。
だって、耐えるしかないじゃないですか?!
ぼっちを抜け出せる方法がわからないんだもん!!
そりゃあ、表面的な付き合いはありますよ。
私だって、ちゃんと働いていますし、一応社会人の端くれですから。
でも、実際、だからといって、それで「ぼっち」じゃないか?ときかれると、間違いなく「ぼっち」ですよ。
まず、彼女なし。親友なし。家族なし。親戚付き合いなし。
職場だって、リアルいじめですよ。一応、チームプレーや後輩の面倒とかもちゃんと考えていますよ。
でも、私が知らないところで自主学習グループができていて、その名簿に自分の名前がなかったのをみたら、さすがに凹みますよ。
よく、「オレは会社の歯車には成り下がらない!」と息巻いている人がいますが、最初から歯車に組み込まれていないオレって・・・orz
多分、私の場合、取れても特に問題がないネジ程度なのでしょう。
そのくせ、面倒事は全て自分に回ってくる。
って、自分で書いてて、マジで悲しくなってきた・・・orz
ぶっちゃけ、耐えれませんよ。淋しいッスよ。辛いッスよ。
でも、耐えるしかないじゃないですか?
ぼっちは頼る人がいないからこそ、ぼっちなのですから。
とあるアニメで喪女が「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」と息巻いていますが、もこっち、君には理解ある弟くんがいるじゃないか?
温かい家族がいるじゃないか?
オレにはない・・・orz
さぁ、もこっちとオレ、どっちが真のぼっちだ?!
もこっち、君は「モテない」だけじゃないか? ゆうちゃんという親友がいるじゃないか?
オレは「モテない」だけじゃなくて、ほぼ、社会から抹殺されかけているのだよ。
今はオレが死んでも、誰も気付かないのだよ。
どうだ! かわいそうだろう?!
・・・(T^T)
誰か、助けてください。この哀れなぼっちを・・・。
って、ネットで呼びかけている時点で敗者確定な気持ちになるのはなぜ?
いいんです。一遍上人を仰せのとおり、人は生まれながらにしてぼっちなのですから。
この世の真理に従って、ぼっちを死ぬまで貫き通してみせますよ。
って、マジ、今死んでも誰にも気付かれないのは非常に困る・・・orz
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