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あなたのお父さんとの思い出を教えて? 参加中
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タビオ “父の日フェア”Tabioオフィシャルブログ We Love 靴下私の父は、すでに3年前に亡くなっています。
残念ながら、再び会いたいとも思っていません。
父とは、お世辞にも仲が良かったとはいませんでした。
特にケンカしていたわけではなかったのですが、ケンカさえしない仲だったのです。
正直、私は父のことが嫌いでした。
特に大きな原因があったわけではありません。
しかし、思い当たる節はあります。
家族でしたので、いっしょに外出することを拒むほどではありませんでした。
私はまだ子どもの頃、父と私の趣味は魚釣りでした。
その日も、二人でヘラブナ釣りに出かけました。
特に会話もなく、いつもの場所で、いつもの作業。
それが二人の関係でした。
しかし、その日、ちっちゃな事件が起こりました。
私たちが釣っている側で、子どもが溺れたのです。
父はそれを見るや、何の迷いもなく水に飛び込みました。
子どもは何事もなく助けられました。
その後、何事もなかったかのごとく、再び釣りをはじめる父。
当然びしょぬれです。しかし、本人は何食わぬ顔。
私いった一言は「このことは誰にも話すな。」。それだけでした。
「誰にも話すな」は、びしょぬれになった父をみれば、母が何事か訊ねてくることを止めたのです。
案の定、家に帰って、「川に落ちた。」とウソをつきました。
子どもを助けたことで心配をかけたくなかったのでしょう。
ちなみに、ウソはバレていましたが・・・。
おそらく、この一連の行動に、自分がこの人を越えることができないことを思い知らされたのだと思います。
なんのためらいもなく、他人のために命を投げ出す覚悟。
父には、常にそれがあったのです。
父の葬儀のとき、父の甥や姪、つまり、私の従兄弟が集まったのですが、その言葉に改めて気付かされました。
「おじちゃんは、みんな、自分の子だったもんね。」
私にとっては従兄弟だったのですが、従兄弟にとっては、父は父親同然だったのです。
はばかりながら、父は器が違ったのです。
そして、その葬儀で従兄弟にいわれた一言で全てを理解しました。
「(私の本名)くん、お父さんそっくりになったね。」
確かに、外見は、悔しくも父に似てしまいました。
しかし、外見だけではなく、性格まで似てしまったようです。
結局、あの日以来、私は父の背中をおっかけていたのだと思います。
おそらく、その背中においつくことができないいらだちが、逆転して、憎悪になったのだと思います。
確かに、父を亡くして以来、ある意味、楽になった気がします。
目障りな存在がいなくなったという意味ではなく、自分の本当の気持ちに気付いたことが原因だと思います。
今は、なんの迷いもなく、今も父の背中をおっています。
父はこの世にはもういません。それ以上進む存在ではありません。
にもかかわらず、未だ、その背中を遠くに感じています。
今さらながら、我が父にして、どれほど遠い存在だったか、再認識しています。
お互い、不器用だったのだと思います。
もし、もう一度会えるとしても、多分、お互い、会話はないと思います。
ただ、一つだけ残念だったのは、たったの一度も酒に付き合ったことがなかったことだけです。
父は納得して死んでいきました。
すでに話せない状態にあった父は、私に目で語りかけました。
私「もういいのか?」
父「あぁ、十分だ。」
それが最後の会話でした。父はアイコンタクトで自分の気持ちを伝えてきました。
だから、私も納得しています。
しかし、たった一つの心残りだけが気がかりです。
死んだ人が生き返ることはありません。
あの人の性格からして、私のところへ来ることもないでしょう。
きっと、孫を守っていると思います。
しかたがないので、来世までの楽しみにとっておきます。
来世では、酒を飲みながら、釣りでもしたいと思っています。
待てよ。それなら、運転手が必要だな。
うん。今生のうちに運転手候補を探しておかなければ。
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