1987年春 長州力率いるジャパン軍団が新日本プロレスへUターン
長州力との対戦で一躍スターダムにおどり出た天龍源一郎はジャパン軍団無き後の全日本プロレスを憂い
『ジャンボの背中は見飽きた、輪島のお守りは御免だ』
と最終目標を新日本のリングに上がると掲げ、天龍革命に踏み切った。
盟友 阿修羅原と龍原砲を結成、敢然とジャンボ鶴田、輪島大士ら全日本軍に闘いを挑んだ
後に川田利明、サムソン冬木が合流、天龍同盟と呼ばれ約3年に亘り全日本プロレスに一大ムーブメントを巻き起こした
天龍は妥協無き激しいファイトで挑み、特に輪島にはキック用のレガース付ではないプロレス用のシューズで顔面を蹴りまくり
当時新日本にUターンしていたUWFの前田日明は、このプロレスをやられると自分たちの存在感はないと危機感を抱いたとのこと
鶴田に対しても全く遠慮することなく仕掛け鶴田を本気にさせた(天龍の仕掛けにキレた鶴田がパワーボムで天龍を泡吹失神KO)
天龍の決起により全日本は活性化
天龍は1990年2月に新日本の東京ドーム大会に参戦、久しぶりに長州力とあいまみえた。しかし3月の日本武道館でハンセンと保持していた世界タッグ選手権をテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスに奪われハンセンと仲間割れ、盟友原も失っていた天龍は4月、横浜での鶴田との三冠ヘビー級選手権に敗れたのを最後に全日本を離脱
新興団体SWSに闘いの場を移した。
その後SWSは崩壊、新たにWARを興した天龍は奇しくも天龍革命の目標としていた新日本プロレスのリングに再び立ち、長州力、藤波辰爾、闘魂三銃士らと激闘を繰り広げ、最終的にアントニオ猪木に勝利。
日本人で唯一、ジャイアント馬場、アントニオ猪木両巨頭からフォール勝ちしたレスラーとなった。
少なくとも長州力、天龍源一郎の2人は私の青春時代に生き方を教えられた存在。
今は欠場中だが、きっと又元気な姿を見せてくれると信じている。