長年の夢であったアメリカ、シカゴ・カブスへ移籍。
思えば1998年ドラフト1位指名受けながらも泣かず飛ばず。
野村、星野両監督に少しず使ってもらえるようになってきた。
そして2004年山口高志コーチの
『球児、右足ちゃうか』
の一言から覚醒。
2005年80試合登板し、最強リリーフ陣
『JFK』
の一角を担う。
その後は阪神のクローザーとして毎年優勝争いに貢献
最近はオフにポスティングシステムでのアメリカ移籍を希望していたが球団は容認せず
ついに今年FA権を取得し、念願のアメリカ移籍。
シカゴ・カブスへ入団表明
念願のアメリカ、球児よ思う存分投げまくれ、思う存分暴れまくれ
藤川球児の代名詞、火の玉ストレートで並みいるアメリカの強打者相手に
KKKKKKKKKK
奪三振ショーだ

100年以上、世界一に見放されたシカゴ・カブスを
球児の火の玉で呪縛から解き放て
舞台は整った
私は海の向こう日本から球児の勇姿を見届けたい
