東電の値上げどう思う?ブログネタ:東電の値上げどう思う? 参加中




どう思うも何も無いでしょう。
電気代は出来る限り安い方が有り難い訳ですから上げて欲しくありません。
さて値上げ云々と言う事は置いておくとして、その割合や上昇の幅が大いなる問題です。
そもそも東電と言えば、かつては日経連に会長や評議員会議長を輩出して来た我が国の代表的な優良企業でした。
本来、日本経済団体連合会に名を連ね、その中で牽引役を担うべき使命と権限を与えられる様な会社には、そこに属する他の組織や集団に対して見本や模範と成るべき事が強く求められ、かつまた強く望まれるものであり、と同時に時には「お手本」として真似られる事も有る訳で、それが称賛と羨望にも価し得る存在である筈なのです。
つまり、その様な条件下に在る企業が、いたずらに「供給の対象を値上げする」と言う事は、その資格とでも言うべき他業種を含む他社に対する指導的な立場や役割の完全なる放棄、若しくは喪失、或いは捨て去り、または無に帰させ水泡へと化し行く行為と全く同義である、と言うべきでしょう。
経営や存続が危ぶまれた場合には「先ず供給する対象の価格や値段を上げて対処する」と言うのでは、あまりにも能が無さ過ぎると言わざるを得ません。
しかも、その上昇させる率や額が少し常軌を逸した高めの設定であると言うのでは物議を醸して世情が騒然と成るのも、また当然であると言えます。
長引く経済不況に更なる追い討ちを浴びせ掛けるが如く発生した未曾有の大災害と、それが及ぼした人災(然るべき処置を怠り後手後手に終始した対応)に因って生じた社会の大混乱を解決、及び収束へと導き行く指導力や舵取り等を示し行く事こそが、かつては優良な大企業だった筈の東電が採るべき選択肢なのではないでしょうか
勿論(一時的にと言う意味で申し上げますが)値上げも致し方の無い決断である、とは思っております。
しかしながら、その前に先ずは徹底的な組織の見直しを図るべきです。
資産、設備、運営、等々の面を様々な角度から深く正しく見つめ直し、そこから一切の無駄や不足と言う概念を無くして行く自浄の努力が無くては「値上げ」に対する賛意や賛同を得る事は不可能でありましょう。
東電には今こそ往時の力で以て、この不況と乱世を打開する先駆と前例を見せて頂きたい、と願って止みません。
消費税増税は必要?ブログネタ:消費税増税は必要? 参加中



請い願わくば、そして出来る事なら絶対に上げて欲しくはありません。
それに、もし可能ならば「少しでも下がって安くなる、または完全に廃止されるのが最も望ましい」と考えておりますが「されど増税は致し方も無い」と言わざるを得ないのが現状の偽らざる結論になってしまいます。
幾ら「浪費や無駄遣い等が多く、それ等が少しも後を絶たない訳だから税金は絶対に減らすべきである」と言う意見や主張が成り立ち得るからとは言え、このままでは税収が全く以て足りない事も、また深刻な事実でありましょう。
ですが本来、税金は徴収された国民に全額とは言わないまでも何らかの形で部分的に還元され、また広く公共の益に役立ち得る為にこそ使われなければならない「お金」な筈です。
しかしながら強制的に収奪される血税は、どんな犠牲や労苦を伴おうとも納めようと努める納税者の苦労や大変さ等を、まるで理解しようともしない公務員に何の価値や意義、有り難み等を感じられる事も無く、ただ同然の無尽蔵に湧き出る湯水か何かの如く軽く簡単に扱われてしまっております。
そもそも消費税に限らず、あらゆる税金は「何の為に集められ、どんな目的に使われるべきなのか」を、きちんと明確な方向性に従って定め、かつまた正しく認識した上で使わなければならない性質を色濃く帯びた金銭なのです。
とは言え税金が無駄に使われる、または私腹を肥やすべく着服され横領される、と言った事件や問題が無くならないのは我が国の政治家や公務員を定める制度に決定的な欠陥が有るからなのではないでしょうか
その仮説に基づいた見解を述べるならば先ず政治家は一代限りとして世襲を無くす事が必要不可欠でしょう。
そして公務員は、ただ単に試験の結果だけを判断の材料にして採用へと至らせる現行の方法を即座に中止するべきです。
そして公務員は必ず「一般の企業に五年から十年は勤め上げた人間を採用する事」を大前提にし、なおかつ「在職中の人望や実績、及び勤務態度」等々を判断の材料とし、それ等を基準に同じ職場で働く他者からの推薦と人選を得て決定する事に成れば、もしかしたら政治や行政の在り方が今よりは良くなる事も決して夢や理想ではなくなるでしょう。
その様に国や自治体が変化するならば増税へ賛意を表する事に吝かではありません。
政治って今なにやってるかわかる?ブログネタ:政治って今なにやってるかわかる? 参加中



正直な意見を申し上げますと今、我が国の政治は何をやっているのか「全く以て一切わからない」と言う以外にありません。
迷走と停滞を繰り返し続ける政府、惰性と空転が半ば常識化した国会、政治家は国家と民衆を無視して選挙の行方と当落にしか興味や関心が無い模様です。
そもそも政治とは「政を以て社会に秩序と安定を実現し広く長く世の中を治める事」が、やっている内容であるべき筈なのですが、これとは正反対な社会を創出しているのが今の政治である、と言う結論になってしまいます。
(本来ならば、これは政治を含む全ての職種や事柄に言える事ですが)恐らく人間であれば誰もが、その仕事や職務に従事し始めた当初は極めて高貴な清く正しい志を掲げて事に臨んでいた筈です。
ところが、その美しく気高い理想や強き誠実な心根も、いつしか汚されて行き、やがては薄らいで行ってしまいます。
ですが初心を変えず決して違える事なく、その初志を最後まで貫徹し抜き、いつまでも持続し続ける事が可能であるならば、こう言った政治や行政に対する不平、不満などは皆無に等しい理想的な世の中へと成り行く事も単なる絵空事や夢物語とは成り得ない筈なのです。
しかしながら人間は、その本質的な傾向性が腐敗や堕落に慣れ親しみ易く、よくない影響を受けて悪しき方向性に流され易い生き物である、と言えるでありましょう。
このような考え方は古代の中国に於いて春秋戦国時代、所謂「性悪説」を展開した荀子が主張している人間に対する定義を基にしている訳ですが、この思想が正しいと言う前提で話を進めるならば人は惰性に流されず安易な妥協を排して、その掲げる夢や理想を実現するべく努力して行かなけれぱならない筈なのです。
本来、人民の中から選ばれた代表者として政界を舞台に働く政治家は、そうした事が絶対的に必要かつ不可欠であり強く求められて来る存在なのではないでしょうか
であるならば、その為に政治家たる者は荀子が主張して止まない「自身を矯正して律し行く目的」で自らに対して学問や教育を課する事が必須である、と考える次第です。
こうした論理が万人に支持され得る共通した理念と成り、それを為政者が実行へ移して行くならば政治不信や政治離れ等は和らぐ可能性も有るでしょう。