年金が無駄になるって本当だと思う?ブログネタ:年金が無駄になるって本当だと思う? 参加中



確かに、そう言った噂も完全かつ全面的には否定が出来ないかも知れません。
ですが、ここで言う「無駄になる」とは、どう言う意味に解釈するべきなのか、わかりかねます。
例えば、これまで運営されて来た年金の機構や制度が全く成り立たなくなって維持存続が危うい事実上の不可能な状態へと陥り、やがては廃止と言う憂き目を見るに至ってしまい、それが今まで為されて来た管理や運用を全て徒労に終わらせる結果へと繋がる、と言う事で「無駄」と表現しているのでありましょうか
もし、その様な意味なのであれば、その意見に対しては同意や賛同が出来ない訳でもありません。
ですが、そうでなければ現時点に於いて年金を払い込んでいる人々が将来的に需給する側へと立場を変えた際に、それまで社会福祉を支えるべく納めて来た金額に見合うだけの取り分を得られなくなる、または全く一切の金銭をも受け取れなくなる事が大いに考え得る、と言う点を論旨として仰っているのでしょうか
ちなみに後者の考え方からは、ある種の身勝手で自分本位な利己主義的主張を感じる為に、とても同調は致しかねる事を申し添えておきます。
とは言え、どちらの状況も絶対に有ってはならない事態ですし、そうさせてはならない実に深刻な問題である、と申し上げるべきでしょう。
しかしながら、それは我々の世代や更に若い方々が政治に対し、また社会に対して、このまま今まで通りの無関心な態度を貫き続けて行った場合には現実性を帯びて来る話でもあります。
ですが、そもそも政治に対する姿勢は投票権を持ちながら政治に無関心な若年層だけでなく、それこそ幼い子供から年金の需給者に該当する年配の方々に到るまで国民の一人一人が、その目で厳しく監視して制御し行く態度を示す事が絶対的に必要不可欠なのではないでしょうか
その様な政治や行政に民意を反映させて干渉し行く統制の意思を示して行ってこそ、ここで問題視された年金や、それ以外にも山積している様々な諸問題を解決へと導き行く糸口と成り、また一つの光明をも見い出し得る術に成り得る、と思えてならないのです。
そうして行く事は我々、国民の一人一人が政治を通して間接的に日本の、そして人類社会の未来を守り行く事に成る、と言えないでしょうか
震災から1年経って改めて思うことブログネタ:震災から1年経って改めて思うこと 参加中



 先ずは昨年の津波・震災で被害を受けられた御遺族の方々に心から御悔やみを申し上げます。

 「亡国は以て復た存すべからず、死者は以て復た生くべからず。」
 これは兵法書『孫子』(「火攻」編)の中に記されている言葉です。
 それでも国や組織の場合は、それを形成し行く為の人間が存在し続ける限り、やり直しも決して不可能な話ではないでしょう。
 しかしながら喪われてしまった命が元通りに成る事は有り得ません。
 その失われた魂が再び元の形や姿へと帰り、また以前の様な生活や人生を取り戻す事など二度と、そして絶対に叶わぬ事です。
 三世に於ける生死を説く仏教の生命論であれ、この世に限る一代だけの生命観を主張する他の思想や哲学であれ、どの教えに則ってみたところで、あらゆる生命体にとって最も重要な事は「今この瞬間を、この時代を生きている」と言う進行形の現在にこそ、あるのではないでしょうか
 何故ならば、そこには一切の過去や歴史が凝縮しており、また未来に於ける様々な希望や可能性が無限に秘められているからです。
 それ故に「予期せぬ災害と遭遇し、その尊い命を突如として奪い去られた方々に代わり、その方達の分も懸命に生き抜いて行き、そして広く人類社会へと資する目的で、この命を使い行く事が必要なのではないか」と、あの大震災を境に深く強く感じて参りました。
 不慮の死を遂げられ、その貴い命を喪った方々の意志(思い)を受け継ぎ、この生命に活かして行く事こそが死者への供養・鎮魂となり、その死を忘れる事なく生きて行く事にも繋がり得るのではないか、と考えます。
 残された人々は、その生き方や生き様に亡くなられた方々の遺志(想い)を反映させ、それを引き継ぎ行く事で初めて真の復興・再生を為し遂げ得る様に思えてなりません。
 「倉廩実つれば礼節を知り、衣食足れば栄辱を知る。」(『管子』「牧民」より)
 被災地で未だ辛く苦しい日々を毎日お過ごしの方々に比較するまでもなく、まだ物質的にも精神的にも満たされている我々は、その義務と使命と責任を有しているに違いない、と考えております。

 あの大震災で亡くなられた方々に、あらためて心より哀悼・追悼の意を表す事で結びとする次第です。

 ご冥福を御祈り申し上げます。