ある整体師の方が

 

「認知症とは復讐である。ずっと放っておかれ、リスペクトされなかった人は認知症になって精神を保とうとし、それが自分を放置した人への復讐になる。」

 

と言っておられたのを聞きました。

 

信じる信じないは自由ですが、

私が知っているある女性はそのとおりだったと思います。

 

彼女は自分を無にして旦那様に尽くして生きてきました。

旦那様は仕事はできるけれど自分勝手な人。

家のことはすべて彼女に任せきりで、洗濯機の使いかたも知らない人でした。

夫と息子2人の4人家族なのに、「うちには男手がないから」と

力仕事もDIYも彼女の仕事でした。

(旦那様は彼女の知らないところで何年もの間不倫もしていました)

 

彼女は同じ市内に住む息子家族にも尽くしていました。

孫たちの幼稚園や学校のバッグなどはすべて彼女がつくりました。

運動会に呼ばれると、お弁当は彼女が全員の分を作っていきました。

運動会が終わったら、彼女は自宅に帰って夕食の支度。

夕方になると家でひと休みした息子一家が夕食を食べに来ます。

(運動家のお弁当を作った後に大勢の晩御飯の支度なんてつらすぎません?)

 

息子一家は普段から週末に家族そろってやってきてご飯を食べていきました。

その日の2時ごろに孫が電話してきて「ご飯を食べに行っていいですか」と言うそうです。

いつ電話があってもいいように金曜日には食材を買い込んでいました。

「息子はお嫁さんに週末に楽をしてほしいからうちに食べに来るのよね」

と彼女は愚痴っぽく言っていましたが、料理は苦にならないようでした。

 

息子夫婦に頼まれれば孫を預かりました。

夕方まで預かって、迎えに来た息子夫婦にも夕食を食べさせてあげました。

 

旦那様がなくなり、子どもたちが大きくなって息子一家も彼女の家に行くことがなくなりました。

 

それでも息子だけは彼女の様子を見に来てくれていました。

 

その息子が転勤になって、遠い町に単身赴任になって2年してから

彼女の様子がおかしくなりました。

 

物忘れが度を越えていったのです。

認知症の始まりでした。

 

彼女は好きでやっているんだと皆思っていました。

事実本人もそういっていました。

 

だからみんな少し感謝の気持ちが足りなかったのかもしれません。

 

彼女は無償の心で人に尽くしているようで、どこかで感謝やリスペクトを

期待していたのではないかと思います。

 

息子が単身赴任になったとたんに彼女は孤独になり、

「あれほど尽くしたのに」という気持ちが出てきたのではないでしょうか。

 

認知症になった理由としてもう一つ思い当たることがあります。

 

彼女は「自分は認知症になるのではないか」とひどく心配して

早くから物忘れ外来に通っていました。

最初は「大丈夫。年相応ですよ」とお医者さんに言われていましたが、

そのうちお薬をもらえるようになりました。

つまり発症したということですね。

 

これは引き寄せの法則ですよね。

「認知症になったらどうしよう」という彼女の思考が

現実を引き寄せてしまったわけです。

 

結論として、

認知症予防の手立てとしては、「恨みを貯めない」

そして「心配しない」

 

人生の先輩をそばで見ていて、大変勉強になりました。