「この世界の片隅に」というアニメ映画をご存じですか?
海外でも評価され、映画化、ドラマ化もされている有名な作品です。
私は原作も読んでおり、映画も2度見ているのですが、
何とも悲しい気分になります。
(以下ネタバレなのでご注意ください)
主人公は広島市に住むすこしぼんやりした少女すずです。
第二次大戦中のある日、20キロほど離れた呉市からすずをお嫁にほしいと縁談があり、
すずは呉市にお嫁に行きます。
素直なすずは嫁いだ家で一生懸命尽くし、周囲になじんでいきますが、
空襲で一緒にいた姪を死なせてしまい、自身も右手を失います。
自分の居場所はないと感じて広島に帰ろうとしたすずを
「あんたの居場所はここだ」とその姪の母である義姉が言ってくれて、
呉にとどまろうと決めたその日、広島に原爆が落とされ。。。
そのお話の筋はもちろんつらいものですが、小さなほのぼのとしたユーモアが救いになっています。
私がつらいのはそこではなくて、別のところなんです。
- すずの夫周作は、ほかに結婚したい人がいたのですが、両親に反対されて、代わりにすずと結婚したらしいのです。すずはそのことを知って「自分は代用品ではないのか」と苦しみます。→インフォームドコンセントではなくて、後から知らされるなんて、すずが可哀想すぎます。すずという人の人格を何だと思っているのか。それでもすずと周作の間には穏やかな愛がはぐくまれていくのですが、見ている私は納得できない!!
- 周作のお母さんは足が悪くて家事があまりできません。お父さんはお母さんに「嫁が来たんだから家事は任せてのんびりしなさい」と言い、お母さんは「そうします」と言っていました。お父さんもお母さんもいい人です。すずは嫁いだその日から晴れ着を着て当たり前のように家事をし、次の朝も早起きをして井戸まで水を汲みに行って朝食の支度。そんなに頑張っているのに、義姉の径子が婚家から帰ってくることになると、「私が帰ってくるのだから急いでこんな子をもらうことはなかった。広島に帰り」と径子に言われてしまいます。→径子は「離縁」のつもりだったのに、ほかの家族は「里帰り」と勘違いしてしまうという笑えるシーンのはずなのですが、私には笑えませんでした。嫁は労働力でしかないんだと悲しくなりました。
1も2も自分の立場とちょっと似ているからだと思うんですよね。
1について
私は結婚した時ではなく、結婚15年で夫に恋人ができました。「彼女が好きだ。」と熱愛宣言があり、「自分の人生のパートナーが誰なのか考えたいから時間をくれ」と言われ、この上なくみじめな思いをしました。結局離婚しなかったから結果オーライで今まで来ているんですが、長い間とても苦しみました。彼女と結ばれなかったのだから仕方なく私といるのだろうなと。こっちだって、そんなことを言う男は願い下げなんですが、子どもを抱えて専業主婦だった弱い立場の悲しさで、何もできないまま我慢してしまいました。
2について
義実家のための家事は期待されていなかったのでそこはすずさんとは違いますが、私も労働力です。テニスをしていてアキレス腱を切ってしまったときの家族の対応はひどかったです。遊んでいるときにアキレス腱を切って家事ができなくなるなんて離婚案件だと言われました。家事を手伝ってくれる人は誰もおらず、食事の支度も配膳も膝でいざって行いました。汁物などはひとつづつしか運べなくて時間がかかりましたが、夫はそれをソファーに座って黙って見ていました。けがをしたのは左足だったので、AT車なら運転して買い物に行くことはできました。でも夫が急に車通勤を始めて車がつかえなくなり、松葉づえにリュックサックをしょって買い物に行っていました。右手を失ったすずさんとは違い、やがてけがが治って家事をできるようになり、私の立場は改善しました。
この映画を見ていると、「すずさん、それでいいの?」と何度も思ってしまいます。
映画の終わりは新たなスタートへの希望を感じさせるものですが、すずさんがその当時の枠組みの中にいることが息苦しいです。実際にはすずさんはその中でしっかりと根を張って生きているのですが、それでもつらいのです。
私だけかなあ。。