ゆんさんの「コアフレンドリー講座」で「愛されない傷」のことを学んだとき、私は違うなと即座に思いました。

 

私は人との距離感は近くないし、かまってちゃんでもない。

尽くすタイプでもない。世話好きでもない。

細かいことにも気づかないし、人と人とを繋ぐことは得意じゃない。

ロマンチックなのは好きだけど、甘ったるい恋愛映画はあまり好きじゃない。

 

でも、はたと気付きました。

 

つい1年前まではかまってちゃんだったし、甘い恋愛を夢見ていたと思います。

ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」のミスター・ダーシーみたいな素敵な男性にひたすら愛されたかった。

それは不倫されたときに疼いた愛されない傷だったんですね。

 

今は綺麗さっぱりそんな気持ちが消えています。ありがたい。

1年前までは夫が彼女を本当に好きだったのか、遊びだったのかが私にとってはとても重要でした。今はどうでもいいです。

 

愛されない傷はメインではないものの、私にもあったのでしょう。だから不倫されたときに疼いたのでしょう。不倫は20年経ってやっと解決したから、結構長くこの傷が痛んでいました。

 

40年近く前、夫と出会った頃もその傷は疼いていたと思います。

何しろ異性から全く声をかけてもらえない醜いアヒルの子だった私。

子どもを産める年齢になって、心もカラダも異性を欲していたのでしょうね。

愛されたいと切実に感じ、愛される女性を演じていたと思います。

夫は私を女性らしい女性と勘違いして私と結婚したようです。

私は私で夫をミスター・ダーシーだと勝手に思っていたのでしょう。

ミスター・ダーシーみたいにお金持ちではありませんでしたけどね。

 

こういう偶然の一致も実は必然なんだと今ではわかっております。