私の母は22歳で私を産みました。

子供の頃は若くてきれいなお母さんが密かな自慢でした。

母はずっと専業主婦で、男尊女卑の家で嫁として苦労していました。午後6時から夕食と決まっていて、祖父母は5時45分から食卓で待っていました。私なら耐えられません。私が仕事をすることにこだわりを持っていたのは、母の立場の弱さを見ていたからだと思います。


私が結婚する直前に祖父が亡くなり、長く続いた介護から解放されて、母は50歳を過ぎてから父の会社で働くようになりました。


それからの母は、平日は仕事、週末は趣味で忙しくなり、父に嫌味を言われながらも自由にしていました。私たちが遊びに行っても予定があると出かけてしまい、寂しい思いもしましたが、母が自由にしていることが嬉しかった。私はその頃専業主婦でワンオペ育児真っ盛りでした。


父の嫌味がすごかったですが、最終的には母の思う通りにさせていました。母は海外旅行もたくさんしていました。私たちが海外駐在中には2回遊びに来ましたし、フランスのルルド、トルコ、ニューヨークなどには友人たちと行っていました。父とはよく韓国に行っていました。


今80歳を過ぎて、足に不安を覚えている母。自分で動ける間にいろいろ出掛けておいてよかったね、としみじみ思います。見習わないとね。これからは私と妹が負担にならない範囲でどこかに連れて行ってあげようと思います。


私の脳内地図は母の影響をかなり受けていると思います。母は自分のために人が苦しむのが嫌です。だから父以外の人とは(笑)喧嘩をしません。そして長女の私のことは自分の一部のように思っているところがあります。


私が不倫された時、「あなたが妻の座に留まることで悲しい思いをしている人がいるけど、あなたはそれで大丈夫?」と聞かれました。私も同じことを思っていたので驚きました。私は何も悪くないと思うのですが、まるで加害者のような気分でした。それは母から影響を受けて作られた脳内地図なのだと思います。「私の存在がひとりの女性と、その女性を愛する私の夫を苦しめている」そんな思いがあり、私は自分の悲しみや怒りに蓋をして抑えました。その蓋を今やっと開けようとしています。


母はもう歳なので、このことは母に言うつもりはありません。母も本当に願っているのは彼女ではなくて私の幸せだと思いますので。