若い頃の私が望んでいた幸せは、
結婚して、子どもができても仲良しの夫婦で、
お互いに仕事をしていて、励まし合える関係。
Oは全く違う幸せを望んでいて、
お互いに不満を抱えていました。

たまこさんとOの不倫があって、
私が仕事を始め、Oのモラハラがあって、
その次に私が望んだ幸せは
Oが私に心から謝罪し、「たまこさんよりfin が大事だし、これからはfinのことを仕事を含めて応援する」と言ってくれることでした。

謝罪はおざなりで、仕事を含めて私に対する上から目線は変わりません。

でも、違う形のしあわせは見つけることができました。

Oのことを、欠点もある普通の人間だと改めて認識しました。私の理想どおりに変わってくれることなんて多分ないです。

欠点だらけの2人が、それでもなんとかやってきた。命の樹がつながって、子どもたちが生まれ、孫もできた。それはそれで素晴らしいことなのだと思えます。

子育てを終えた今、Oと一緒にいてダメだったらさようならしたらいいのです。身軽な自分でいられることが本当に嬉しい。そうなれたのは、Oが黙って私たちの生活を支えてくれ、子どもたちの学費を出してくれたお陰で、そのことに対して本当に感謝しています。

望んだ形ではないけれど、しあわせになれました。

そんなことを感じたのは、孫に会いに行ったときに2人で行った神社(有名な金比羅さんです)を歩いているときでした。奥社までの山道はまるで私たちの人生のようでした。Oは私に合わせてゆっくり歩いたり、先に行って途中で待っていてくれたり。奥社は遠くて足が辛いけれど、しあわせな気が私の中に満ちて行く経験をしました。

これからどうなるかわからないけれど、今はこのご縁を大切に思っています。