相続の話と前後しますが、1か月ほど前に遠方に住む長男のところに、初孫に会いに行ってきました。
孫にも癒されますが、力を合わせて育児をしている長男夫婦の姿がとても尊いものに感じられました。こんな頃が私たちにも確かにあったのです。
彼らの家に泊まるわけにはいかないので、近くの温泉宿を予約していました。この宿の近くに有名な神社があり、次の日の早朝に2人でお参りしました。
観光地でもあり、俗化されているのかと思いきや、緑に囲まれた境内は清々しく、あまりスピリチュアルなタイプではない私にも、そこに良い気が満ちているのがわかりました。
2人でただただ歩くうちに、心がどんどん軽くなってくるのがわかりました。
大学の教養課程の授業で日本書紀について学んだとき、「清き明き心」について学びました。「明き」は「赤き」とも書き、清浄で無垢な心が日本人の理想とする心なのだと先生は言っておられました。道徳は後から入ってきたものだと。
その時はピンときませんでしたし、カトリックの学校で中高学び、キリスト教的な倫理を良いものとして受け入れてきたので、清き明きだけでは足りないように感じました。でも何か心に残ったから、今でも覚えていたのだと思います。
その日、気に満ちた境内をずっと歩きながら、清き明き赤子である私たちの孫のことを思い、私の魂がきれいな水で洗われているのを感じていました。本当は緑の中で歩いていて気分が良かっただけかもしれませんが、とても幸せな気持ちに満たされて神社を後にしました。
あまり余計なことを考えないで、自分の清き明き心に従ってみたい。そう思えた一日でした。