柔らかい肌 | Let's talk about...

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あくまでも個人的な映画論です。ネタバレにご注意ください。



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アントワーヌ・ド・ベックとセルジュ・トゥビアナの精密な調査と追跡によって生み出された、トリュフォー・マニアにとっては、宝物のような評伝、”フランソワ・トリュフォー”が手元にある。

日本一、否、世界一のトリュフォー・マニアであり、トリュフォーの友人でもあった、山田宏一氏が90年代に語っていたこと・・・”トリュフォー自身の恋愛書簡や恋愛についての評伝は、遺言により、2000年以降になるまでは公開されないことになっている”ということがずっと気になっており、その2000年以降に公開されるであろう、トリュフォー自身の恋愛について公開している文書の出版を首を長くしてまっていたのだが、この本がそれに当たる文書であることは間違いないのだろう、と確信している。この本には、今までのトリュフォーの評伝にはあまり深く追求されなかったこと・・トリュフォーが愛した女性たち、(ほとんどが女優だが)についてかなり詳しく書かれているからだ。

トリュフォーの映画ほど独特の世界を持った映画はないだろう。
それはきっと、トリュフォーの愛情が画面を通して必ず伝わってくるからである。
彼が愛した女優たち、子供たち、パリの街やフランスの自然、そして何よりも、映画そのものへの愛。

トリュフォーとジャン・リュック・ゴダールは68年に完全に決別してしまうまで、互いに影響を与え高めあいながら成長していった、ヌーヴェル・ヴァーグの勇士たちだった。
ゴダールが彼のアナーキーでスタイリッシュで実験的な作風でまさに文字通り、新しい波、ヌーヴェル・ヴァーグの申し子だったのに対し、トリュフォーはこれがヌーヴェル・ヴァーグと疑ってしまうような古典的な作風だ。ゴダールはティーンエイジャーから若者に支持されるような映画作家だとすれば、トリュフォーは、圧倒的に中高年に支持されるような映画作家ではないだろうか。

大人は判ってくれない、のアントワーヌ・ドワネル少年の行き着くところのない虚無感や孤独などは、大人になったときに、自分の青春時代を俯瞰してみてようやく理解できるような感じで、昔はああだったな・・と思わせられるような作品だと思う。

突然炎のごとく、は私は実はこの作品が唯一あまり好きではないトリュフォー作品なのだ。
なぜなら、ジャンヌ・モローの顔があまり好きではないことと、彼女が演じるあまりにも自由でわがまますぎる女性像に好感が持てないのだ。そしてそんな彼女を女神のように崇拝し、弄ばれるあまりにもだらしのない男性たち。このような感じで、出演者にいらいらしながらもいつも最後まで鑑賞しまうのは、トリュフォーのジャンヌ・モローに対する愛情が、否が応でも画面から伝わってきてしまうから、だろう。

実際トリュフォーは、ジャンヌ・モローのとりこだったそうで、撮影中の雰囲気をトリュフォーの元恋人だった、リリアーヌ・ダヴィドはこう語っている。
” みんながジャンヌ・モローに恋をしていたのでややこしかったのです。不意にやってくるプロデューサーのラウル・レヴィ、アンリ・セール、フランソワ自身。フランソワは文字通りジャンヌ・モローに夢中でした。雰囲気は幸福なときもあれば、とても辛く、悲劇に近いときもありました。” (アントワーヌ・ドベック、セルジュ、トゥビアナ共著、フランソワ・トリュフォーより抜粋)


トリュフォーの作品で圧倒的に好きな作品が、柔らかい肌、だ。

ヒロインのニコル役のフランソワーズ・ドルレアックの奇跡的な美しさにいつもひれ伏してしまう。
安定した人妻の身である私個人の見解からすると、既婚男性と恋に落ちてしまうニコルのような役は人妻の敵のような存在になるのだろうが・・・、このジャン・ドサイ演じる中年の既婚者の妻が、かなりの悪妻というか、ヒステリー女なので、まぁ不倫されても致し方ないのだ・・とおもってしまう。
毎日仕事をしてくる旦那様を気を引き締めて大事にしないと、実はとても繊細で傷つきやすいのが本性の男性たちは、ほかの優しい女性に癒しを求めてしまうのだ。

最後に猟銃で夫を撃ち殺すような激しい気性の妻だったのだから、浮気をされても仕方がなかったのだろう、と思う。

再び、上記のリリアーヌ・ダビィドについて触れるが、柔らかい肌のニコルと既婚者のピエール・ラシュネーの関係は、実際に、既婚者だったトリュフォーと不倫をしていたリリアーヌの関係が模写されているのだそうだ。

リリアーヌ・ダヴィドはトリュフォーが”大人は判ってくれない”を紹介したル・マンへの旅をこう振り返る。
”私が見たのはホテルの部屋と、上映会場のある小さな広場に通じる通りだけでした。作品を見に行くことさえできませんでした。満席だったのです。”ホテルのシーン、講演会の主催者たちの目から、ニコルを隠さなければならないこと、ラシュネーが愛人のためにストッキングを買いに走るシーン・・・。”柔らかい肌”は二人が付き合う中で実際にあったいくつかのエピソードを完全に再現している。
(アントワーヌ・ドベック、セルジュ、トゥビアナ共著、フランソワ・トリュフォーより抜粋)

このような実際に経験したことやハプニングなどを忠実に描いた結果が、あのヒッチコック映画を連想させる、不安定なスリルやテンションを生んでいるのだろう。(実際トリュフォーは、ヒッチコックの世界一のファンだったのだし)

フランソワーズ・ドルレアックに対するトリュフォーの並々ならぬ愛情も、ドルレアックの奇跡的な美しさをカメラに収めることに成功した要因だろう。トリュフォーはドルレアックをボビー・ラポワンの歌、フランボワーズにちなんでフランボワーズというニックネームを彼女につけている。

67年に25歳の若さで自動車事故にあい、無念にも夭折してしまったドルレアックだが、この作品での神懸りのような美しさを永遠に私たちの胸に残し続けるのだ。




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撮影合間のドルレアックとトリュフォー
この写真の二人がとても好きだ。

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