再々際再録記事です。

 

「ジャワは天国、ビルマは地獄、

生きて帰ればばニューギニア」という言葉を

聞き取り調査では よく耳にしたといいます。

無謀な作戦として有名な

「インパール作戦」があります

。撤退の道には

飢えて立ち上がることもできなくなった兵士の死体が

累々と重なったのでした。

シッタン河では、体力尽きて渡れずに

流される兵士もいました。

 

これは「慰安婦」だった女性たちも同様でした。

 

北ビルマの東側は中国の雲南省です。

ここの戦闘は「松山戦闘」と呼ばれています。

慰安所は普通、後方基地に建てられますが、

最前線にもかかわらず、

ここにも慰安所が作られました。

「慰安婦」は20名で、

朝鮮人が15名、

日本人が5名という記録がありました。

雨季に入ると、連合軍の反撃になり

、守備隊は全滅します。ぬかるんだ地面が、

血なのか糞尿なのかわからないようだったと

兵士たちは言います。

そんな所にも「慰安婦」が送られてきていたのです。

・・・

そのひとり、朴永心さんは、14歳で奉公に出され、

日本人警察官に「お金が稼げる」と言われて

平壌から有蓋貨車に乗せられ、

南京の慰安所に連れていかれました。

朴さんは慰安婦になりたくないので抵抗したのですが、

日本刀で切り付けられ、

「体罰部屋」で拷問を受けました。

遠くまで来て逃げることもできず、

あきらめて「慰安婦」という運命を

受け入れるしかなかったのでした。

そして、後の世に、

ヘイトスピーカーや日本のマスコミと議員から、

「売春婦」という侮辱語で呼ばれる役目を、

になうことになったのでした。

侮辱されるべきは日本人なのに。

 

心も身体も傷つけられ、帰ることも、

拒絶することもできない、

さらに暴力を加えられる状態が続き、、

朴さんはPTSDに苦しめられていました。

自分が罪人であるかのように感じたり、

日本人に首を絞められる夢を

何度も見たといいます。

インタビューの者が来ると知っても、

何度も悪夢を見て、

窓から飛び降りようとしたといいます。

 

兵士の一人は

「(慰安婦は)まんじゅう、甘いものと同じだ」

と語ります。

「俺たちは明日死ぬのだぞ」

という人もいます。

では、

「女性たちの心を殺す権利があるのですか?」

 

苦しみはその場にいた者でないと理解できないし

、兵士が悪者だという決めつけはできない。

せめて、兵士も含めて、

同じような苦しみをこれからは

誰にも与えないようにしたい、

努力していきたいと、

賛成・反対、右・左の区別なく、

日本人ならみんな思ってほしい。

誓ってほしい。