2010-05-06 護憲的安全保障論10 最終回 国家に殺人の権利があるのか

 

死刑のない国が戦争しているのはどうしたことか

国家に人を殺す権利があるのかと問われれば、

そんな権利はない と答えたいです。

 

自国民を殺す権利もないし、他国民を殺す権利もありません。

 

それは日本だけではなくて、どの国もそうです。

私たちに 他国民の基本的人権を奪ったり、

生命を奪う権利は ないはずです。

他国の国家権力が 日本国民の基本的人権を奪ったり、

生命を奪う権利も、ないはずです。

(中略)

国家は自国民を保護する義務があります。

 

そのためには国家が存続せねばなりません。

国家の存続を脅かすほどの敵があるとすればその力は強大なものであり、平和的に取り締まることが出来ないでしょう。

 

そこでやむを得ず、我が存立を脅かせば生命の危険という究極の代償を支払う必要があることを示して、わが国への侵害を諦めさせるほかない。

 

こういう論理です。

刑罰を含めて国家の権利行使としての殺人は認めないが、

 

緊急避難的な殺人を容認することで

我が方に対する侵略の決断を抑止し、

結果的に殺人の機会を極小化する。

 

私は、これまで述べてきたとおり、やむを得ずこの論理を認めるものです。

そしてこの論理しか認めません。

 

自国の生存のための 緊急避難的な 武力行使だけが、

憲法の許す範囲です。

 

自国の生存のためであっても、政策選択としての

敵国侵攻は認めません。

 

まして自国の生存が 脅かされてもいないのに

他国に侵攻するなど、もってのほかです。

(中略)

 

誇り高い主権者と、その頼もしい仲間

  

私は自衛隊で「兵は凶器である」と教わりました。

 

だからシビリアンコントロールに従わなければならないと。

 

自衛隊が シビリアンコントロールに服する義務 

に忠実であろうとしても、

シビル(平服組=官僚・政治家)が好戦的であっては、

なんにもならないと既に書きました。

 

シビルをコントロールするのは国民です。

 

いえ、国民こそが本来的な意味でのシビル(=市民)なのです。

 

ですから自衛隊が「兵は凶器である」という自覚を持ち、

国民に服従する組織であるためには、

 

国民自身が主権者として高い自覚をもたねばなりません。

 

市民がその自覚を失ったとき、

自衛隊は国民に敵対的な存在になりえるでしょう。

 

このことはあまたの歴史が悲劇的に証明しています。

軍とはじつに危険な存在です。

 

こんな危険な集団に私たちが自分の生存を預けるのは、じつに背理と言わざるを得ません。

 

しかし権益を巡って相争う世界にあって自らの生存を守ろうとすれば、この背理を飲み込むしかありません。

 

そして軍の本来的な危険性を、除去すべく努めるしかありません。

 

そのためには、軍の自立的な運動を不可能にしたり、自己肥大化を抑制したりというシステムを構築し、これを強固に守って軍を規制する必要があります。

 

法的にも、組織構造的にも、社会的にも、

個人の意識のレベルでも、

常に軍に対する警戒が必要です。

 

そのためには、軍を反社会的あるいは

非社会的な存在にしてはなりません。

 

ですから、矛盾したことを言うようですが、

軍を市民社会と親和的な存在にして、

軍の構成員を市民社会に包含することで

、軍が市民社会と敵対関係に陥らないように

しなければならないと考えます。

 

これを日本の場合でいえば、つぎのようになります。

 

自衛隊という組織が本来的に危険なものであるという認識を

市民と自衛官が共有する。

自衛官は市民社会の一員として、市民社会の価値観を共有する。

自衛官は自分の任務が国家防衛を通じて

「自由で民主主義的な市民社会」

という価値観を守ることだという自覚を持つ。

 

つづめていえば、自衛隊の民主化です。

上意下達社会の自衛隊を民主化するには、市民の応援が欠かせません。

 

その市民が非民主的な社会を受容していては、自衛隊の改革などおぼつかないことです。

 

ですから、私たち一人一人の国民が

自分の主権者意識をしっかりと持ち、非民主的な社会の改革者とならねばならないと思います。

 

不公正な既得権を守護する権力と対峙できる存在

とならねばなりません。

 

また一人一人が互いの権利を大切にする、個人になりましょう。

 

そうして国民が民主主義をしっかりと保てば、

自衛隊はその社会を守る頼もしい仲間として

成長してくれることでしょう。

 

社会が自衛隊を疎外すれば、

自衛隊は自分の生存のために

市民を見捨てるような「政府軍」になるかも知れませんが、

自衛隊がデモクラシーの価値観を

共有する市民社会の一員であり、

自衛官もまた市民それ自身であれば、

それは「市民軍」ですから、

自分自身を見捨てることはないと 期待できます。

 

いつかそんな自衛隊になればいいなあと、これが私の護憲的安全保障論の結論です。

(引用ここまで)

 

どろさん、これからもよろしくお願いいたします。

 

出来れば、01から続けてお読みください。

https://ameblo.jp/file9zyo/entry-12594245612.html

 

群青さんのブログ話題トップ01はこちらです。

 

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続いて、「憲法9条がこのままで、日本が国際貢献できる方法」

についても転載します。

・・・・・

国連は国際の平和と安全のために各国に協力を要請していますが、そのカテゴリーを大きく分けると7つになります。
 

PKOはそのうちのひとつでしかありません。

 日本政府にどんな思惑があるのか、

 

国際貢献といえばPKOであるかのように喧伝され、

ここ20年以上もPKOその他の軍事活動に傾倒していますが、

 

そればかりが国際活動ではないという原点に立ち返ってはいかがでしょうか。

 

だって明らかに日本はそういう役目が苦手なんだから。

 

得意部門で貢献する方がよほどためになります。

 

人道危機は不安定な支配の下で起こります。政府の統治力を安定させるには、武力だけでは不十分です。
 

医療・教育・食糧援助、保険衛生指導、農業開発、学校建設・教員育成、インフラ整備、殖産興業と産業政策立案、ビジネス人材の育成、行政機構整備・官僚育成、法律整備、民族和解の推進・・・。
 

課題は山ほどあります。

つまり、日本にとって活躍できる場が、それだけあるということです。

 

自衛隊派遣という狭い枠に固執するから、話がややこしくなるのです。

 

2017年3月の再録

*********************

◆自衛隊撤退は南スーダン市民を危険にさらすのか
.
 自衛隊は5月に南スーダンから撤退を完了します。...
 自衛隊がいなくなることで、ジュバ市民の安全が低下するでしょうか。
 幾分かはそうなるかもしれません。
.
 首都の騒乱の際、

自衛隊宿営地が一種のサンクチュアリの役目を果たし、政府軍の魔の手から市民をかくまったのは事実ですから、

自衛隊が撤退すると彼らは保護を失うことになります。
 

ただし、自衛隊に新任務が付与された昨年12月以後、

自衛隊は中立性を装えなくなっているので、

つぎに騒乱が起きれば、

政府軍の攻撃対象になる可能性が高いです。

そうなれば、自衛隊には市民を防護する能力がないことが露わになり、自衛隊自身も無事ですまないでしょう。

そんなことになる前に撤退するのは、賢明な判断だと思います。
.
◆自衛隊撤退は南スーダンの治安改善に寄与する
.
 しかも、撤退のマイナス分を補って余りあるプラス効果が期待できます。
 自衛隊の駐留を理由に、日本政府が和平に敵対する国に転落していたからです。
自衛隊がいなくなれば、そんな不名誉な地位に固執しなくてすみます。.
 これは良く知られていることですが、再確認しておきましょう。
.
 日本政府は、米国が提案した南スーダンへの武器禁輸決議に、

ロシアや中国とともに反対しました。

いわゆる西側先進国の中で、唯一の反対国でした。
 

米国政府は決議案提出を断念しました。根回しの段階で賛成国が足りず、否決が確実となったからです。

日本政府の一票が決定打となったのです。
 

日本政府の態度は

南スーダンの和平に対する裏切り行為であり、

日本の国是に根本的に背く行動だったと思います。
.
 反対した理由は、自衛隊の存在でした。

南スーダン政府の反発を買うような決議に賛成したら、

自衛隊に危害が及ぶかもしれないと危惧したのです。
.
 治安維持能力のないたかが 350人の部隊を駐留させることで

和平の桎梏になるのなら、それは本末転倒、

むしろいない方がましです。
 

自衛隊自身も本国政府のせいで和平の敵対者であるとみられるのは心外でしょう。
 

自衛隊が撤退すれば、日本政府として武器禁輸決議に反対する理由がなくなります。

それならば自衛隊が単に撤退するだけで、

現地の和平と治安改善に大きな貢献となります。
.
◆今後の南スーダンと日本国民の関係は
.
 5月以後、日本国内で南スーダンへの関心が急速に低下することは避けられません。
.
 「自衛隊さえ安全になれば、残された現地市民の安全などどうでもよいのか、日本の平和勢力の認識はそんなものなのか」
 

このように 国民や反戦平和勢力を非難するのは

筋違いであると思えます。
.
 南スーダンという国名が国内の関心事になったのは、政府がそこに自衛隊を派遣したからです。

ほかに理由はありません。もともと無縁の土地ですから、

関心はもとからないといってよい。
 政府が関心を失ったらそれまでです。
 

冷たいようですが、国民的に関心を持続させるべきというのは非現実的であり、ないものねだりというしかありません。

 

日本人だけが冷たいのではなく、世界のどこでも同じようなものだと思います。
.
 しかも、日本社会として全く関心を喪失するのではありません。
 5月以後もJICAをはじめ、その他の民間海外援助団体が活動を続けます。
 治安が悪化すれば外国人はケニアなどに避難して、実務は現地人スタッフに担ってもらう体制もできています。
 

自衛隊が日本人を保護する必要は乏しいし、そもそも自衛隊にその能力が与えられていません。

自衛隊がいようがいまいが、何も変わらない。

 

彼らは自衛隊派遣以前から活動してきたし、自衛隊がいなくなってもそうするのです。
.
◆「文民保護」に日本はどのように関わるべきなのか
.
 非人道的で暴力的な政府によって、罪のない市民が迫害にさらされています。
 南スーダンばかりのことでなく、世界各地で深刻な人道危機が発生しています。
 これは事実なので、人類社会の一員として、手をこまねいてばかりもいられません。
.
 しかしながら、PKO部隊に与えられた文民保護(市民保護)指令だけを原理原則化して、実力行使という視点からのみ全体像をとらえるのは、偏頗な印象があります。
 

国連は国際の平和と安全のために各国に協力を要請していますが、そのカテゴリーを大きく分けると7つになります。
 

PKOはそのうちのひとつでしかありません。

 日本政府にどんな思惑があるのか、

 

国際貢献といえばPKOであるかのように喧伝され、

ここ20年以上もPKOその他の軍事活動に傾倒していますが、

 

そればかりが国際活動ではないという原点に立ち返ってはいかがでしょうか。

 

だって明らかに日本はそういう役目が苦手なんだから。

 

得意部門で貢献する方がよほどためになります。

 

人道危機は不安定な支配の下で起こります。政府の統治力を安定させるには、武力だけでは不十分です。
 

医療・教育・食糧援助、保険衛生指導、農業開発、学校建設・教員育成、インフラ整備、殖産興業と産業政策立案、ビジネス人材の育成、行政機構整備・官僚育成、法律整備、民族和解の推進・・・。
 

課題は山ほどあります。

つまり、日本にとって活躍できる場が、それだけあるということです。

 

自衛隊派遣という狭い枠に固執するから、話がややこしくなるのです。
 事態はもっとシンプルに整理し直せると思うのですがねえ

 

泥さんのお話、以上。

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ブロ主・三矢のあとがきです。

 

泥さんは 護憲派が苦手な、国家防衛についても

教えてくださいました。

群青さんによると、護憲派にも

「自衛隊を認めない派」「中立専守防衛派」「自衛隊合憲派」など

だいたい3つくらいあるようです。

 

生命や人権を尊重し、自民党・日本会議主導の改憲に反対

という 共通点で協力しあっています。

 

国の防衛について 護憲派内では、

少しでも口にすると 怒られる雰囲気もありました。

 

護憲派「防衛論」の主流は「外交」なのですが、

外交をどのようにすれば 国の防衛になるのかという、

具体的なことがわからず 私は困っていました。

 

泥さんの登場で 防衛まで理解でき、リベラル護憲派が、

どう国家防衛を論じていくか の指標になりました。

 

軍備や自衛隊を使わない、

使っても一発の銃も撃たないPKOも、

理解できました。

 

泥さんは3派ある護憲派、どの護憲派市民にも

わかりやすいお話をしてくれ、

他者を軽んじない姿勢は、我々も見習うべきものでした。

・・・

「慰安婦問題」についての、泥さんがまとめてくださった資料もあります。

泥憲和さんの慰安婦問題、膨大な資料

http://doro-project.net/archives/category/%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e8%aa%8d%e8%ad%98/%e5%be%93%e8%bb%8d%e6%85%b0%e5%ae%89%e5%a9%a6?fbclid=IwAR3STj9LMUs_fv3AJI44LRhUNfYS7_GQsWB8K9Vm5IYjJCJz1ju9h1cOvFw

 

 

 

。。。2022年のブログ。

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泥憲和さんの遺言。マララさんを助ける方法。自衛隊と大砲・銃に固執するなかれ

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泥憲和さんの遺言。護憲派の「戦う平和」。URLで具体例。中国・北朝鮮・ベトナム

http://ameblo.jp/file9zyo/entry-12255057642.html

 

こちら下のリブログ記事も、どうかご覧ください。泥さんの前編があります。