自分と異なる意見の者を

「在日認定」「非国民認定」するという、ネット上での「論破」?の仕方があった。

フェミニズムを批判する時にも これが行われている気がする。

「在日認定」どころか

 

「これはフェミだ、だからいけないのだ。社会の敵だ」

という言い方だ。

「自分と異なる感性と意見」は

「あちこちに暴言をバラまき、

噛みついている女ども」

と認定される。

 

しかし「噛みつく」どころか、

極めて民主的に

表現の自由を行使しただけの ものなのにだ。

 

(一部の、 個人攻撃をする「個人的なSNS発言」は別)

 

戸定梨香のアレもそうだが、

ただ、女性の団体が

自分たちの意見を提出した というだけで

ファシスト扱いだ。

一人の女子高生が

ファミマに 意見署名運動をしただけで、

「おかしいファシストのフェミ認定」をされる。

いずれも 

民主的かつ人道的な方法で

異論を提出しただけで。

テロもしないし、権力を使ったわけでもない。

 

「最初からその意見を出すのはやめろ」

「始めから意見を言うことはやめろ」

「反対意見は発言するな」

ということならば、

それこそが ファシズムではないのか?

表現の自由を主張する集団が

異なる意見を 阻止していては

ちゃんちゃらおかしいのだ。

 

「自由」とは、

何も制約がない ということではない。

無制限の自由などは ないのだ。

「自由」にもルールがあり、

服装にも「コード」がある。

その「ルール」作りと

「コード」作りにおいて、

都合が悪い意見も

受け入れてこそが

本当の自由なのだ。

 

最初から「文句がある女は黙れ」。

「オレたちの感性こそが正しい」では、

いつまでも「自由」でない。