香港の、

露出的な服装の 女性たちイラスト看板広告に

フェミニズム系議員が 

「セクシーすぎる」と発言したことについて

アンチフェミな批判ブログがあったので

リブログしようと思ったのだが、

なぜか見つからない。

 

 「男性目線」ではない「フェミニズムアート」について

書こうと思っていたんだが、肩すかしされちゃった。

そしたら まおとりおさんのブログがありましたので、リブログしつつ

フェミニズムアートについて 書こうと思います。

 

新しい看板に 差し替えられたのだけれど、

その「女性たち」の姿は デフォルメされていた。

けど、わたしはそちらの方が好きだ。

 

当の香港議員は 「新しい看板」に対して

絶句したらしい。

「女性を醜く描いた」

と捉えたのだろうか。

けど、

「セクシー過ぎるという指摘を 汲んでくださって

ありがとうございます」

と、まずは言うべきだったね。

議員さんは 「ルッキズム」という言葉を知らなかった。・・

・・

答えを言えなかった議員さんの 中にも

「ルッキズム」 があったのかもしれない。

香港は 中国になっちゃって、・・・

・・

いや、それ以前から 儒教文化があっただろうし

フェミニズムは苦戦、

日米のような 新しい言葉や反論の仕方は

情報としても 入りにくかっただろう。

それでも 奮闘した議員さんには ねぎらいの言葉をあげたい。

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ルッキズムはいけない?

ルッキズムがなぜ いけないのかというと

 

「差別だから」

 

カンチガイされているけど、

美人・イケメンを叩くことではない。

たとえば、

「部落差別がいけない」

ということは

「部落に住んでいない人がいけない」

ということではないでしょ?

「人種差別がいけない」

のは、「白人がいけない」 「マジョリティ人種がいけない」

ということではないのと同じように。

 

「差別」がいけない理由。

「差別とは何か?」を考えれば、ことさら

「ルックス差別はいけない」 という主張を

叩く理由はない。

 

「ルッキズム」は、特に女性差別にもつながっている。

なぜ若く見られたいか?

なぜ化粧するのか?

それは侮辱されたくないから。

通りすがりに 「ブス」と言われたくないから。。

。。

そして、そういう努力?が努力を通り越して

「苦しみ」や「怖れ」 「強迫観念」につながっている。

苦しみや不安、怖れは

自分を肯定できないことに つながる。

ルッキズムは、服装にも 当てはめられるし

化粧の有無にも 当てはめられるから

わたしも うんざりしている。

いちいち服装を チェックするヤツ、「うっせぇわ」

うざい口塞げよ限界だ。

・・・・・・・

そういうことを前提にして、

男性視線やルッキズム、「美人・不美人」 「年齢」という型にはまった基準

に対抗する フェミニズムアート というものがある。

 

アーティストのお名前を 忘れてしまった。

また探してみます。

わかったら書き込みます。

名古屋市美術館など、全国でも展覧会があった方だ。

けっこう有名な女性です。

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「細い女性が美しい」「女はボンキュッボンがよい」

という時代に、

 

全体が太くて ウエストが特に 太い女性を

カラフルな色彩で 描いたオブジェの数々だった。

お顔は 描かれていない。

「どんな顔でもいいんだよ」

というメッセージだった。

もちろん、裸だったり

露出的な服装のものも ある。

けどそれは 「自分のため」のものだ。

男性のためのものでは ない。

 

現代では、漫画の影響もあって 男女共

「こういう人が美」 という描き方もある。

それを否定するものではないが

「多数派や 男性社会や 流行や 伝統的な視点が 『美』と主張するものに

対抗していく 表現とアート」

がこの世には存在する。

だから大丈夫だよ。

 

ちなみに、私が一番好きな十二鬼月は

妓夫太郎である。

下、妓夫太郎イラスト

 

女性以外の「柱」では、悲鳴嶋が好きである。

だんだん伊黒も好きになりつつある。

女性はみんな好きである。

 

いつもの「お知らせ」のあと、

まおとりおさんのブログもご覧ください。

いつも鋭い考察ありがとうございます。