娘は、アタリマエだが、昔 赤ちゃんだった。マゴを見ていると、自分の子どもたちのことも浮かんでくる。

娘もよくやっている。

自分はこれほどやっていたか?

これほど愛していたか?


自分がやってあげていないことも、娘はわが子には返している。


エライものだ。



赤ちゃんを預かってほしいという申し出に対し、実は不安だった。

ACという者は、自分の子どもが小さく見えない。


巨大な、自分をおびやかす存在に見える。


カウンセラーの小寺さんに言われた時


「そうです!」


と答えた。


母性幻想や、母性神話がまだ幅をきかせていた時代だった。




母親たるものは。。。



子どもを生んだことも 育てたこともない男の「専門家」が偉そうにぶつ「正論」に、どれだけ母親たちが苦しめられたことか。



「母親は子どもの犠牲になるものだ」

「子どもをちゃんとできない女は女でない。母親としても失格だ」



わたしは、子どもの犠牲になんてなるものか!と思ってきた。


勿論、子どもには責任がある。


でもそれは、「犠牲」とは同義語ではない。


今もってそうなので、

娘も無意識に わたしに気を使っているのだろう。

わたしにイラついているのだろう。



赤ちゃんがかわいい。



100パーセントかわいい。


今は。


赤ちゃんは小さい。



娘の時とは違って。


100パーセント小さい。



「母親たるもの、かわいいと思うものだ」


そう、世間や専門家に強制されて思っているのではない。


でも、自分のスケジュールをどんどん入れている。かわいいのに。


ヒーラーであるために。


100パーセント赤ちゃんに尽くせない。


ほんとにごめん。



思わぬ方向にころがる命。


抱きしめられるだろう。


今なら、その力がある。