小さな頃、
大人が建前、嘘で話しているのが、気持ち悪く感じて、人が苦手だった。
大好きな身内であれ、なんか心の中と言葉が違うって、感じてそれを違和感として、モヤモヤになる。
だから、大人が怖くて、いつも隠れてるような子だった。
保育園、幼稚園でも、先生の建前の言葉に違和感を感じて、怖くなって、ずっと絵を書いてるような子だった。
家でも、家族の喧嘩を聞きたくなくて、本の世界にいた。
人と遊ぶ事よりも、好きな本を読んでる事が幸せで。
小学校の間も、沢山の本に囲まれて過ごした。
家庭不和、いじめ、があっても、本の中にいるときだけは、私が選んだ世界にいられる。
中学校になっても。
周りからみたら、不良と言われる立ち位置にいながらも、家では、本棚に囲まれて、本を読むのが好きだった。
雨の日が1番好きで、雨の日の読書がいちばんの至福。
傘をさして、庭の大きな木の下で、本を読んでみたり。
カタツムリをずっと見ていたり、雨の日は、なんだか自由になれる気がして。
今でも、楽しみにしている旅行や、お出かけは、98%ぐらいの確率で雨が降る☂️
そして私は、水を得た魚のように元気になる。
周りから見た私は、典型的な明るいポジティブ、コミュニケーション能力高くて、みんなでワイワイ楽しんでるように見えるみたいけれど、実は、繊細で人の内側の感覚がわかりすぎて、豪快に見えるけど、子犬のように怯える時もある。
うちで、ゆっくりお茶するのが好きで、一人で自分の世界に没頭するのが好き。
けど、周りに元気で飛び回ってる経営者の友達が多いというのもあり、私の本質はどうしても独特になるから、なるべく封印しようとしていた。
けど、今、なんだか自然に自分のそういう部分を愛せるようになってきて、自分の中の陰も陽も、どちらでも愛しいよねって、やっと自然に思えるようになってきた。
それは確実に、この2年間、毎日毎日嫌というくらい自分の闇に向かい合って、本当に苦しかった時期を乗り越えたからだと思える。
幼少期から、内面がわかり、いろんな辛い思いをして、成人してからもずっとずっと向き合ってきたと思ってたのに、自分の中にこんな闇があったのかと絶望しながらも、逃げなかった。
だから、今、この感覚にいられるんだと思う。
自分から、決して逃げず諦めず、ひたすら内観をしてきた。
周りを見ても、そんな人は誰一人といなくて、辛すぎる時は、私はこの生き方間違ってるんじゃないかな、こんなに自分を見続けても、こんなに辛いならって諦めそうになりながら。
何も考えずに、逃げて生きる方が、楽なんじゃないだろうかと、周りを見て逃げそうになりながらも。
結局、私は私を諦められずに、ストイックすぎるストイックに自分と向き合ってきた。
私が幼い頃からずっとずっと願っていた、愛の世界。
大好きな人に、愛し、愛される世界。
結婚して、子どもが産まれて、10年以上レスでも、諦めたくなかった愛し愛される世界。
そこにやっとやっと、来ることができた。
自分を諦めなければ、自分と向き合い続けていけば、来れる世界なのかな。
けど、結局、愛し愛される世界にいても、日々自分に目を向ける事は終わらず、毎日が学びの日々も、変わらないんやけど。
うちのゆず🐶
今日も、また、繊細すぎる感覚を大切に、生きて行こう😌

