ミャンマーな理由
昨日は、朝からゴールドジムへ。
トレーニングしながら、テレビの収録もしながら、ラジオの番組にも生出演するという、ひとり三役。
闘いの怪人三面相状態。
試合直前なので、重い疲労が残らないように、軽い負荷でセット数も少なめだったんだけど、テレビの収録も入り、白熱した展開になりました。
途中、休憩時間を取らせていただいて、RKBラジオのサンデースイングライフというコーナーに生出演。
自分はアドレナリンが出て高ぶっていたけど、まさか、スタジオでは自分が過酷なトレーニングの合い間に出演してるとは思っていないので、マイクが切り替わった瞬間の、おはようございまーす!!!という自分のデカイ叫び声にかなり驚かれました。。。(笑)。
それまで、盆栽?か何かの話題で静かな空気が流れていたので。
シニア向けの番組だったので、そこからは空気を読んで、ジェントルマン拓也モードに変身し、
ワクチンファイト福岡を知的に語った、つもり、です。。。
ラジオを聴いてくれていたジョージ君からは、誠実で良かったとの感想メッセージが終了直後に届いたので、そんなモードだったのでしょう。
まあ、それ以前に、テレビの収録中にラジオに出演なんて、想像もしてませんでした。。。
ここ最近、ラジオの登場は非常に多くなってきてるけど、だいたい聞かれることが同じような内容なので、それに対する答えも必然的に似て来てます。
ただ、ラジオの短い時間じゃ語れないことが一つある。
なぜミャンマーなのか?という質問。
その場では、ミャンマーが今ワクチンが大変不足しているからと答える。
実際そうだから。
だが、そこに正直私情も含まれていたようだ。
自分の祖父が、戦時中、ミャンマー上空で撃墜され墜落した時に、ミャンマー人の救護班がかけつけてくれ手厚く介護してくれたと一命を取り留めた同乗者に話を聞いた。(祖父は銃弾を受けていたので救護されるも死亡)
市ヶ谷の駐屯地でその方に会い、その事実を聞いた時、まだ自分は14歳だったので凄い衝撃を受けた。
しかし、だんだん大人になるにつれ、死んでしまった事実はくつがえらない、それよりもいつかミャンマーに渡り、なんとかその救護班をしていた人たちの子孫に会い、お礼がしたいと思うようになった。
ただ思い描いていたことであったが、気づくと今自分はミャンマーにワクチン寄付をしている。
偶然なのか。
必然なのか。
自分の中に眠る祖父からのDNAがそうさせたのか。
だから、先日、ワクチンの基金であるJCVに寄付を納めに行った時に、今はパキスタンが不足してきているから今後はミャンマーでなくパキスタンに支援先を向けることになりそう、という話を聞いたとき、すごく淋しい気持ちになった。
祖父が戦死した場所だけどそういう私情は全然ない、不足しているからミャンマーなんです、と、いつも普通に答えていたが、行き先が変わることでこんなに淋しい気持ちになるのは、本当はそういう気持ちが根底にあったのかもしれないな。。。。
まあ、今後、本当にミャンマーにこだわるのなら自分の足で直接届けに行くかもしれないし。
いつも、自分の行動は、心のおもむくままだから。。。
トレーニングしながら、テレビの収録もしながら、ラジオの番組にも生出演するという、ひとり三役。
闘いの怪人三面相状態。
試合直前なので、重い疲労が残らないように、軽い負荷でセット数も少なめだったんだけど、テレビの収録も入り、白熱した展開になりました。
途中、休憩時間を取らせていただいて、RKBラジオのサンデースイングライフというコーナーに生出演。
自分はアドレナリンが出て高ぶっていたけど、まさか、スタジオでは自分が過酷なトレーニングの合い間に出演してるとは思っていないので、マイクが切り替わった瞬間の、おはようございまーす!!!という自分のデカイ叫び声にかなり驚かれました。。。(笑)。
それまで、盆栽?か何かの話題で静かな空気が流れていたので。
シニア向けの番組だったので、そこからは空気を読んで、ジェントルマン拓也モードに変身し、
ワクチンファイト福岡を知的に語った、つもり、です。。。
ラジオを聴いてくれていたジョージ君からは、誠実で良かったとの感想メッセージが終了直後に届いたので、そんなモードだったのでしょう。
まあ、それ以前に、テレビの収録中にラジオに出演なんて、想像もしてませんでした。。。
ここ最近、ラジオの登場は非常に多くなってきてるけど、だいたい聞かれることが同じような内容なので、それに対する答えも必然的に似て来てます。
ただ、ラジオの短い時間じゃ語れないことが一つある。
なぜミャンマーなのか?という質問。
その場では、ミャンマーが今ワクチンが大変不足しているからと答える。
実際そうだから。
だが、そこに正直私情も含まれていたようだ。
自分の祖父が、戦時中、ミャンマー上空で撃墜され墜落した時に、ミャンマー人の救護班がかけつけてくれ手厚く介護してくれたと一命を取り留めた同乗者に話を聞いた。(祖父は銃弾を受けていたので救護されるも死亡)
市ヶ谷の駐屯地でその方に会い、その事実を聞いた時、まだ自分は14歳だったので凄い衝撃を受けた。
しかし、だんだん大人になるにつれ、死んでしまった事実はくつがえらない、それよりもいつかミャンマーに渡り、なんとかその救護班をしていた人たちの子孫に会い、お礼がしたいと思うようになった。
ただ思い描いていたことであったが、気づくと今自分はミャンマーにワクチン寄付をしている。
偶然なのか。
必然なのか。
自分の中に眠る祖父からのDNAがそうさせたのか。
だから、先日、ワクチンの基金であるJCVに寄付を納めに行った時に、今はパキスタンが不足してきているから今後はミャンマーでなくパキスタンに支援先を向けることになりそう、という話を聞いたとき、すごく淋しい気持ちになった。
祖父が戦死した場所だけどそういう私情は全然ない、不足しているからミャンマーなんです、と、いつも普通に答えていたが、行き先が変わることでこんなに淋しい気持ちになるのは、本当はそういう気持ちが根底にあったのかもしれないな。。。。
まあ、今後、本当にミャンマーにこだわるのなら自分の足で直接届けに行くかもしれないし。
いつも、自分の行動は、心のおもむくままだから。。。