田代先生 |     甲斐拓也の “「新」常在戦場 ” ブログ 

田代先生

昨夜は遅くまでワクチンファイトについて某テレビ局の取材を受けました。
これまでの経緯、今大会について、今後の戦略など、熱く語らせてもらいました。
放送についてはこれから協議されるとのことでまだわからないけど、番組で取り上げてくれることになればうれしいです。



それから、今日水曜日発売の西日本スポーツに、またワクチンファイトが取り上げられているようです。九州全域で発売されているそうなので、九州の皆さん、どうぞご覧下さい。



福岡のラジオ局(先週出演した局とは別の)の方からも新たに出演可能かどうかのご連絡いただきました。
本当に多方面からアクセスいただき、あらためてワクチンファイト福岡の注目度の大きさを感じています。



ワクチンを待つ子どもたちのためにも、


残りの日々を全力で頑張りたいです。



取材に来てくださる方々って、事前に皆さんこのブログとかチェックして来られてるみたいです。
自分でも忘れてたような話題、こうでしたよね?って逆にふられることも多々。



そんな状況下で、ホントは好ましくないけど、今日は以前起こした傷害事件のお話を。



傷害事件と言っても、今から26年前、自分の友達が、先輩と喧嘩して大けがしちゃったので、結果傷害事件となってしまっただけなんだけど。



九州大学は総合大学なので、当時一学年34クラスあって、大学なのに各クラスに担任の先生となる人がいた。
自分たちの担任は田代先生(当時60歳)。
形式上の担任のようなものなので、普通であれば、担任の先生と何か関わったり会話したりすることなく教養部の2年が過ぎる。



ある日、自分たち歯学部の1年5人と医学部の2年の先輩5人が同じ焼き鳥屋さんの離れた席で飲んでいた。
するといつのまにか、自分の友人と医学部の先輩が喧嘩しだした。



そのふたりはそれまでもしょっちゅう小競り合いを起こしていたため、お店に迷惑かかるから外に出よう、そして今日は決着を付けよう、すぐ目の前にある九大の校庭でしよう、という事になり、大人数で入ると目立つから、少人数で九大の塀を乗り越えて校庭に入り、そこで決闘をした。



最後は自分の友人が倒れているところの顔面を蹴られて流血したところで自分が止めた。
友人を病院に連れて行き、友人はそのまま入院。
数日後、警察が入り、傷害事件となった。



自分たちは事情聴取され、担任の田代先生も、担任という事で事情聴取された。
普通、九大の担任の先生って何事も起こらず安泰で任期を終えることが99.999%くらいなのだろうが、おそらく。
田代先生には、自分たちというババを引かせたことになってしまった。



後日、自分が教授室に謝りに行くと、なんで君はその場に行ったんだ?と言われ、相手が卑怯な事したら止めるようにです!と、自分が答えると、田代先生はかなりしばらくの間、黙った。
その沈黙の意味はその時はわからなかった。
ただ、一言、昨日の教授会でもう医学部と歯学部のクラスを分けることにしたからどうも仲悪いみたいだから、と言われ帰された。



その時はその沈黙の意味よりも、マズイ。。九大の歴史が変わる。。。と、それが心配でたまらなかった。
(実際、翌年から医学部と歯学部は別のクラスになり、悪い意味で九大の歴史を変えてしまった)



それから10年して田代先生と再会した時、あの時、君の言葉に男気を感じたから何も言えなかったんだよと教えてくださった。
自分こそ、警察沙汰にしてしまいご迷惑おかけしたのに理解してくださった田代先生にこそ男気を感じていたのだが。



今はもう85歳。
両膝を患い、歩行も大変な状況だそうだ。



そんな田代先生が、先日の西日本新聞で自分の開催するこの大会を知り、ワクチンファイト事務局にチケット購入の電話をかけてきてくださった。
ありがたいことではないか!
出来の悪い子ほどかわいいというが。。。



当日は2列目で観戦してくださる。
あの時から26年が過ぎたけど、田代先生の前で熱いファイトを繰り広げるのが楽しみです。。。
でも会ったら泣いちゃうかも。。。






その時の関ヶ原だった九大六本松校舎跡地。先日、チケット販売活動をしててたまたま通りました。


淋しいが、何も無い。まったく校舎の面影も何もない。。。



だけど、あの時の思いは、自分と田代先生の心の中で、絆として残っている。