ブルーレコード8月号
ブルーレコード。
月1回、岡山を中心に、香川、広島、島根、鳥取のレコード店、楽器店、セレクトショップ、古着屋、飲食店、映画館等で配布されている。
先月から、自分のコラム『昭和魂 ~明日のTAKUYA~』を書かせていただいているが、関東地方からも読んでみたいというご意見が多数あり、自分のコラムだけでもこの場を借りて米田編集長に許可を得てご紹介させていただいている。
7月号は第一回だったので自己紹介。
8月号と9月号で、今年の4月に被災地に出動したことを書いた。
今月がその8月号。
◎ブルーレコード8月号掲載コラム◎
「被災地 宮古へ出動」
震災が発生した日から、自分たちに何ができるか、ファイティングエイドの活動を共に行っている新日本プロレスの三澤威トレーナーと日夜知恵を絞り作戦を練っていた。
避難所では、お口の中が清掃不良になって菌が増えて肺に入り込み、肺炎を起こして運ばれる高齢者の方がたくさんおられるという状況を聞いた。
たとえ虫歯の菌とはいえ、体内に入り肺や心臓に至ると大変なことになる場合もあるのだ。
現場で必要とされている医師力は、最先端医療でも高度医療でもない。
もっともっと医療の本質の部分。医療の原点である「心」、「被災地の方々のために一歩踏み出す心というものが一番重要なのだ。」
自分と三澤氏は、ファイティングエイドの精神で、そして医療人魂としても、じっとしてはおられなくなり決起。さらには三澤氏の呼びかけで中西学選手をはじめとする新日本プロレスの選手たちも立ち上がってくれることになり、メディカルチームとレスラーチームの連合軍総勢16名で、4月9日夜、岩手の宮古に向かって出動した。
出動に至るまで、正直、自分たちにどういうことができるか不安だった。
現地の状況は、テレビで見るオブラートに包まれた情報のみ。
目で見て、肌で感じて、自分ができる最大限をすればいい。
行かずに机上の討論をするより、まず行くことだ。
ニッポンが史上最悪の危機の中、被災地を思うすべての行動には意義があるのだから。
宮古まで、自分たちでチャーターしたバスに乗り10時間。
明け方、岩手に入ったところ辺りで拝んだ日の出は美しかった。
宮古がどんな状況であれ、夜明けの来ない夜は無い、太陽の登らない朝は無い。
被災地のために全力で頑張り、自分たちの力が少しでも復興につながればという気持ちがその時その朝日を見てさらに強まった。
朝7時、宮古の市街地に到着。
そこで自分たちの目に飛び込んできた現地の状況は、自分が考えていたような甘いものではなかった。それは想像を絶する光景。信じられない世界。
驚愕の声やため息がバスの中にもれる。
自分は、絶望感を通り越した“怒り”さえ芽生えた。
誰を怨んだらいいのか、やり場のない、そんな怒りが。
車を降り、呆然と立ち尽くす自分たちに現地の人は言った。
「街を歩いてしっかりと見てください。そしてこれを伝えてください。」と。
本当にその被害の大きさや惨状は、自分の想像をはるかに超えたものだった。
これが、今、日本国内で起きている事実。
しかし、自分たちはこの日、悲壮感や絶望感に打ちのめされただけでは決してなかった。
そう思えたのは、被害を受けたという市場を訪問した時。
震災時は津波が市場の中まで入り込み、市場としての機能が停止したそうだが、今はその痕跡もないくらいきれいにお掃除され、市場のかたたちは元気にお仕事に励んでおられた。
市場のかたとお話をした。
「家は津波で流されてしまってもう無いんだ。でも流されてしまったものを今から悔やんでもどうにもならない、これから頑張っていろいろ取り戻すよ。明日から漁の船も出るんだ、頑張るよ、頑張るしかないだろ!」
想像もしていなかった市場のかたのポジティブなお言葉に、自分はすごい衝撃を受けた。
一行の中の誰かが言った。
「こっちの人たちはみんな元気で明るい気持ちで頑張ってる。そしてポジティブに生きてるよ。東京ももっと元気出さないと!」
そこには、元気、活気、希望があった。
日本各地で発生していた自粛や買い占めなんて言葉はどこにもなかった。
被災地の方々の復興を目指す前向きな気持ちに接し、宮古の町は絶対に素晴らしい復興をとげ、また農林水産業や観光業が盛んな町として必ずや輝きを取り戻すだろうと、自分は確信した。
市場に下げてあった黄色い大きな旗は大漁旗。
漁が大漁だったとき漁船に掲げて港に帰って来るそうだ。
再びあの旗を、漁船の上で高々と大きくなびかせてほしい。 (つづく)
また来月号をお楽しみに。
毎月1日発行。
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