ダンプの運転手のように生きたい
自宅から200メートル行くと江戸川の河川敷がある。
写真の右側が千葉県。左側が埼玉県。
河川敷はこの季節は菜の花で黄色く染まり始める。
この菜の花は、5月上旬をピークにこの河川敷を真っ黄色に染める。
去年の今頃は、5月8日の新宿フェイスでのケルビンザビッグヒットとの試合を控え、河川敷を訪れ黄色さが増えるたびに、ああもう試合近いんだと恐怖感が増加していた。
菜の花が咲いている場所に降りてみた。
こんなに綺麗なのに、菜の花に近づくと、いまだにパブロフの犬ばりに、あの頃のプレッシャーや恐怖感が思い起こされてくる。
あの頃は、最悪の場合は、試合が終わって一番最初に見えるものってこういう景色になるのかもしれないなあ。。。?とも思ったりもしていた。
あの頃も、肘の筋膜が剥離していた。
ケガしてる時って、弱気な思考になりがちなものだ。
向こう岸の埼玉県側には数十台のダンプが土砂を運び、河川敷の工事をしていた。
公共工事だからしょうがないのかもしれないけど、この数十台のダンプが、今、被災地で活躍してくれたらいいのになあと、勝手ながら思ったりもした。
夜に、ネットを見ると、震災当日に救助活動をしたダンプの話が。
以下、記事の抜粋。
仙台市内で震災発生時、地元の土建業の男性が、津波から逃げる住民ら30人余りをダンプカーで運び人命救助をしていた。海沿いの会社周辺と避難所を往復しているうちに津波は背後まで迫ったが、必死の運転で逃れることができた。救助された住民は「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」と感謝している。
会社近くの現場で作業中に地震に遭い、大津波警報のサイレンを聞いた。
すぐに路上にいた高齢者らを2トンダンプの荷台に乗せ、南西に約500メートル離れた小学校に搬送。2往復で約10人を学校へ送り届けた。
もう1往復しようと、会社付近に戻ったころ、津波が防波堤を越えて来た。周辺の家屋は次々と崩れ、小学校に向かう道も刻々と水位が上がっていた。
通れる道を選び、無我夢中でハンドルを操作。
津波に追われながらも、知り合いの高齢者や路肩を走って逃げていた13人を次々荷台に乗せ、駅近くで歩道橋が見えると、ダンプを乗り捨て、全員で駆け上がった。津波はぎりぎりまで迫って、徐々に引いていった。
歩道橋で水位が下がるのを待つ間、雪が降ってきた。寒さの中でも、「生きている」と実感したという。
一緒に歩道橋に上り、難を逃れたかたは「救助に来てくれなかったら死んでいた。感謝しきれない」と語る。
運転手のかたのご家族は無事だったが、実家と会社は津波に流された。
毎日、仕事の再開を目指して道具の回収などに現地を訪れるが、「人を救えたのは良かったけど、ここに来るたびに、もっと助けられなかったのかと考えてしまう」と話している。
これこそが、自分ができる最大限を発揮した素晴らしい救助活動だったと思う。
その運転手のかたの生きざまを見習って、自分もこれから頑張っていきたい。


