ガンバレ小山央選手!
ファイティングエイドの盟友、小山央選手が重度のヘルニアで現在病床にいる。
自分が体調を崩した頃とほぼ時期を同じくして小山選手の身体にも異変が起こり、以来、入院生活を送っているのだ。
人並み外れたアスリート魂の持ち主なので、今、病床で動けないことで非常につらい思いをしていることと思う。
小山選手は大学時代、慶応大学のレスリング部で活躍、同期に早稲田大学にケンドーカシン選手がいたようだ。
現在も高校のレスリングの指導もされておられるバリバリのレスラーだ。
新日本プロレスの道場での練習も、その身体能力の高さは群を抜いていた。
三澤先生が、この会を催してくださらなかったら、自分と小山選手は出会っていなかった。
三澤先生を中心に、小山選手、藤本さん、青柳さん、遠藤ちゃん、自分、と、絆が深まっていった。
東京に出てくると、いつも、小山選手は新橋の山しなさんを訪れていた。
対戦相手が、試合前にタバコを吸っていたから、試合ではボコボコにして、最後ジャーマンで決めたと言っていた。
自分とふたりで、アウトサイダーに出たいねと調べたら、年齢制限が25歳だった。
小山選手が17歳オーバー、自分が18歳オーバー(笑)。
でも二人ともあきらめたわけではなく、会うたびにどうしようかといつも思案。
またみんなで裸祭りもしたいね。
自分が小山選手のいる苫小牧を訪れた時、自分の思い描いていたファイティングエイド構想を話したのがファイティングエイドのそもそもの始まり。
「ファイティングエイド」という名前は、小山選手が名付け親。
それから半年後、ファイティングエイドが実現した。
新宿FACEの“小山シート”は完売。
ファイティングエイドがおこなわれた去年の5月8日まで、不安な夜はいつも電話で励ましあっていた。
お互い、電話で話すと、うそのように元気になれたから不思議だった。
今は大変な状態かもしれないが、絶対に復活してファイティングエイドのリングでみんなに勇姿を見せてほしい。
それを待ち望んでいる人がたくさんいるのだから。
こういう状況でたとえ一度は倒されても。
また強い精神力で立ち上がってきたじゃないか。
そしてまたあの黒いマットに上がろう。
ファイティングエイド1では、自分と小山選手は切り込み隊長的な1.2番コンビ。
あるいは、1番福本、2番蓑田のスーパーカーコンビといったところか。
しかし勢いよく切り込むはずのその1.2番コンビは、2人とも討ち落とされてしまったのだが。。。(笑)
だからこそ。その忘れ物を取りに行こう。
ファイティングエイド2に。
何とか持ち前のド根性で、復活を果たして。
あの時流した涙は絶対に無駄にはならない。
現在、選手生命うんぬんが頭をよぎっているとのこと。
まだまだ救わなくてはいけない人たち、勝ち取らなければいけない勝利、倒さなければいけない相手、など、残しているものはたくさんあるじゃないか。
これからが始まりだよ。
ガンバレ小山央選手。
選手生命は絶対に終わりではない。
だから今日のブログの敬称にすべてあえて“選手”をつけさせていただいた。
一日も早く元気になって、また一緒に闘おう!















