ええ、スチャダラの「今夜はブギーバック(Nice Smooth Rap)」
のラップになぞっただけです。
某道場キックミットコース。
苦しくなってから強いパンチ、キックを打ちなされと言われまして
既に心拍は限界ですわと、思い込んでおりました、
既に上がらないんですと思い込んだ腕でありました、
そこからパスンと強いパンチが放たれるや
こりゃあ、一人ではなかなか越えられない
自分との闘いの始めの始めを知った気になりました。
肉体の鍛練は表裏精神の鍛練になり得るのか?
すみません、私にはまだ分かりません。
みんな処刑される前みたいな顔つきになっておるな、ははは。
と先輩の間のいい言葉も苦笑いがやっとこさ。
「うぇー、吐きそう」「う〇こ漏れる、漏れる」休憩中に飛び交う
のがこのような言葉であることから大体のトレーニングの程度が
知れるでしょう。実際には吐いてないし、漏れてもいません。
これ位の追い込みからでいいでしょう、自分を促す効率の最高度
はまさにこの鍛錬のレベルだと勝手に思い込むのも成熟にして
未成熟な大人の精神からなのでしょうか?
太宰治を読んだ後、文章がこんなんなりました。