クラウス・シュルツェ - イルリヒト (Ohr, 1972) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

クラウス・シュルツェ - イルリヒト (Ohr, 1972)
Reissued '75 Brain Records "Irrlicht" LP Front Cover

クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - イルリヒト Irrlicht (Ohr, 1972) :  

Recorded at Musiksaal der Freien Universitat Berlin & Klaus Schulze Studio, Berlin,  April 1972 (the three original Irrlicht tracks), Early seventies (the bonus studio track)
Released by Ohr Musik GmbH / Metronome Records GmbH OMM 556. 022, August 1972
Produced and All tracks composed by Klaus Schulze.
(Seite 1)
A1 1.) 第1楽章・計画 Satz: Ebene - 23:23 
A2 2.) 第2楽章・雷嵐 Satz: Gewitter (Energy Rise - Energy Collaps) - 05:39
(Seite 2)
B1. 3.) 第3楽章・シルス・マリアを出でて Satz: Exil Sils Maria - 21:25
(Revisited Records/SPV CD Bonus Track)
4. Dungeon - 24:00
[ Personnel ]
Klaus Schulze - "E-machines", organ, guitar, percussion, zither, voice, etc.
with
Colloquium Musica Orchestra - 4 first violins, 4 second violins, 3 violas, 8 cellos, 1 bass, 2 horns, 2 flutes, 3 oboes (recorded as raw material then post-processed and filtered on tape.) 

(Original Ohr "Irrlicht" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover, Insert & Side 1, 2 Label)







 ジャズの巨人サン・ラ(1914~1993)の全アルバム紹介の再紹介とともに、今回からは旧西ドイツのベルリンで生まれ、1960年代末から活動し、最晩年まで旺盛なライヴとアルバム発表を続けた音楽家(没後発表の遺作は2020年7月の第108作目『Deus Arrakis』)、クラウス・シュルツェ(旧日本語表記はシュルツ、Klaus Schulze, 1947.8.4.~2022.4.26.)のアルバムを、20世紀以内までに発表された作品までに限って追ってみたいと思います。シュルツェには20世紀内最後のアルバム『Dosburg Online』1997までに78作ものソロ・アルバムがあり、さらに2000年までの参加アルバム、プロデュース作も40作あまりを数えます。21世紀になってからのシュルツェは旺盛なソロ活動のかたわらコラボレーション・アルバム、未発表音源のシリーズを膨大にリリースした上に、未発表音源シリーズの再編集やボックス・セットからのバラ売りと新作スタジオ・アルバム、新作ライヴ・アルバムのいずれもがオリジナル・アルバムとしてリリースされるといった具合で収拾がつかず、筆者が一応全作を把握しているのも2000年までにリリースされたソロ・アルバム、参加作合わせて約120作までです。21世紀に入ってからのリリース作品は散発的に30作程度しか集めていないので、この超人的なミュージシャンの作品は2000年の全作品までで一旦区切ってご紹介(21世紀以降の作品は追補できたらご紹介)することにします。

 シュルツェはドイツの実験派ロック(クラウトロック)のミュージシャンでもベルリン・スクールと呼ばれるシンセサイザー音楽の創始者の一人ですが、作品も膨大なら作風も多岐に渡り、さらに参加作やプロデュース作でもとんでもない活動の幅を誇るミュージシャンなので、クラウス・シュルツェの音楽活動自体がクラウトロックの一つのジャンルとまで目されているほどの巨匠です。その底知れない創造力は、ロック系のアーティストとしてはやはりとんでもない多作家のフランク・ザッパ、トッド・ラングレンと比肩されているほどです。

 シュルツェは当初ドラマーで、「Psy Free」というロック・バンド(現存音源なし)のメンバーとして活動していましたが、1962年から「Ones」と名乗るロック・バンドで活動していたティルゼット(現ロシア領)出身のギタリスト、エドガー・フローゼ(1944-2018)が1967年に実験的なサイケデリック・ロックに転じて結成したバンド、タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)に1969年に参加してタンジェリンの創設メンバーの一人になり、バンドは新進プロデューサーのロルフ・ウルリッヒ・カイザーがメトロノーム社傘下で起こした新レーベルのオール(Ohr)から1970年にデビュー・アルバム『Electronic Meditation』を発表しました。タンジェリンのデビュー・アルバムはフローゼのエレクトリック・ギター、コンラッド・シュニッツラーのチェロ、シュルツェのドラムスの3人にゲスト参加のフルートを加えた即興アンサンブルによる実験的サイケデリック・サウンドで、すでに従来のロックから、またドイツ以外のサイケデリック・ロック~スペース・ロックからも大きく逸脱したものでした。タンジェリンがこのメンバーで製作したアルバムはデビュー作だけで、第2作の制作以前にシュニッツラーがより現代音楽的なクラスター(Kluster)を結成して独立し(後にシュニッツラーはソロに転向、グループはClusterと改名して存続)、シュルツェは若手ギタリストのマニュエル・ゲッチング(1952-)と新バンド、アシュ・ラ・テンペル(Ash Ra Tempel)結成のため脱退し、タンジェリンはフローゼ以外のメンバーを一新してフローゼ没後の現在でも活動しています。またタンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンペルの創設メンバーを歴任したというだけでも、シュルツェは西ドイツのアンダーグラウンド・シーンの最重要人物、キーパーソンとなりました。

 オールから1971年にデビュー・アルバム『Ash Ra Tempel』を発表したアシュ・ラ・テンペルは、エレクトリック・ギター、ベース、ドラムスのトリオ編成とシュルツェとゲッチングのメディテーショナルなエレクトロニクス楽曲を混交させたヘヴィ・サイケデリック・ロックのバンドでしたが、デビュー・アルバムの後、オールの姉妹レーベルのピルツ(Pilz)からシンセサイザー奏者フローリアン・フリッケ(1944~2001)がポポル・ヴー名義で1970年から発表していたシンセサイザー・アルバムに触発されたシュルツェはアシュ・ラをデビュー作だけで脱退し、初のソロ・アルバム『イルリヒト (Irrlicht)』(Ohr, 1972)を発表、カイザーの主宰するオール、ピルツに次ぐコスミッシュ(Kosmische)・レーベルからの所属アーティストたちの選抜セッション・アルバム「コズミック・ジョーカーズ (The Cosmic Jokers)」'72-'74の全8作中7作に中心人物として参加しながら、アシュ・ラ・テンペルにはデビュー作に次いでCosmic Jokersセッションの合間に録音された1972年の第4作『Join Inn』1作(実質的にデビュー・アルバムのリメイク作品)だけに復帰参加、シュルツェ自身のソロ・アルバムは第2作の2枚組大作『Cyborg』(Kosmische, 1973)を経て、第3作『Picture Music』'75('73録音、第4作『Blackdance』'74が先行発売)からはドイツ・ポリドール傘下のブレイン(Brain)レーベルに移籍し明快な作風に転換、同年の第3作『Hosianna Mantra』(Pilz, 1973)からアコースティック編成に転向してピアノに専念することになったポポル・ヴーのフリッケから当時西ドイツに数台しかなかったモーグ・シンセサイザーを譲り受け、それまで電子変調させたオーケストラにオルガン、メロトロン、ギター、パーカッション、ツィターの加工音のアンサンブルで制作した『Irrlicht』『Cyborg』から、シンセサイザーを主要楽器にした音楽に徐々に移行していきます。シュルツェ公認による代表曲の短縮ヴァージョンによるCD2枚組ベスト・アルバム『The Essential 72–93』'94ではディスク1が1980年の『Dig It』まで、ディスク2が1981年以降のアルバムからとなっていますので、ソロ・アルバムに限って1980年発売のアルバムまでをクラウス・シュルツェの第1期として上げると、

[ Klaus Schulze Album Discography '72-'80 ]
1. Irrlicht (Ohr, 1972)
2. Cyborg (Kosmische Musik, 1973, 2LP)
3. Blackdance (Brain, 1974)
4. Picture Music (Brain, 1975, rec.1973)
5. Timewind (Brain, 1975)
6. Moondawn (Brain, 1976)
7. Body Love (Brain, 1977, soundtrack)
8. Mirage (Brain, 1977)
9. Body Love Vol. 2 (Brain, 1977)
10. X (Brain, 1978, 2LP)
11. Dune (Brain, 1979)
12. ...Live... (Brain, 1980, live, 2LP) 
13. Dig It (Brain, 1980)

 以上2枚組LP3組を含む13作のアルバムのうち第12作『…Live…』までは、シュルツェ参加のタンジェリン・ドリームのデビュー作、アシュ・ラ・テンペルのデビュー作と第4作、シュルツェ参加の「コズミック・ジョーカーズ」セッション作品と並んで、'70年代西ドイツのロック発祥の実験音楽の古典的位置を占めるアルバム群で、発表時にも高い評価を受けましたが、現在ではそれ以上に声価の高い、クラウトロックの金字塔的作品とされています。ソロ・デビュー作『Irrlicht』と第2作『Cyborg』は同傾向の音楽性のアルバムなので、今回はクラウス・シュルツェの初期活動の概要にとどめ、アルバム内容については次作『Cyborg』をご紹介する際に再び言及いたします。

 本作について軽く触れれば(本当は「軽く」どころでは語れない、シュルツェの最重要アルバムの一つですが)、オルガンと塊のようなオーケストラ・サウンドが全編1曲・トータル50分に渡ってドローン音響(通奏低音、本作の場合は全音域)を響かせるアルバムで、タイトル「Irrlicht」は狂った光、自我の光、慣用句としては日本語の「鬼火」に当たり、フルタイトルは『Irrlicht: Quadrophonische Symphonie fur Orchester und E-Maschinen』、日本語にすれば『鬼火~オーケストラと電子楽器のための立体音響交響曲』となります。各曲のタイトルは「1. 第1楽章・計画」「2. 第2楽章・雷嵐」「3. 第3楽章・シルス・マリアを出でて」で、「シルス・マリア (Sils Maria)」は40代以降の晩年10作間に重度の統合失調症により廃人同様となったニーチェが没年まで過ごしたスイスの療養地として知られる地名です。つまり本作は廃疾者となった晩年のニーチェの荒廃した内面を描いたアルバムで、第3楽章「シルス・マリアを出でて」(つまり狂死)にいたるまでのニーチェへの葬送曲をテーマにしています。ソロ・デビュー作にして非常に完成度の高いミュージック・コンクレート(具象音楽)作品で、「初めて聴くリスナーには(あまりの重さ・陰鬱さ・全編に漂う狂気のために恐怖で)聴き通せない」ほどのアルバムと言われ、シュルツェの最高傑作のひとつとされ(1980年までのアルバムはすべてそうですが)、すでにスタイルを確立したデビュー作だけにとりわけ評価が高く、シュルツェ作品から10作品を選べば絶対外せない1作です。

 なおムーグ(モーグ)・シンセサイザーの導入は現代音楽やジャズでの導入の方が早く、大ヒット作になったウォルター・カーロスのアルバム『スウィッチド・オン・バッハ (Switched-On Bach)』1968を始めとしてサン・ラやポール・ブレイ、バートン・グリーンらジャズ・ピアニストがすでに1960年代末からムーグ・シンセサイザーのアルバムを発表し、ロックではEL&P(キース・エマーソン)やポポル・ヴー(フローリアン・フリッケ)のデビュー作での使用が1971年、ポーランドのコレギアム・ムジカム(マリアン・ヴァルガ)が1972年、クラフトワークが1973年とやや遅れましたが、1973年録音のアルバム『Picture Music』以来シュルツェはエマーソンやヴァルガと並ぶムーグ・シンセサイザーのトップ・プレイヤーとなりました。'80年代以降機材のデジタル化を進めながら一貫して現在までシンセサイザー音楽をメイン楽器にしているソロ奏者としてクラウス・シュルツェのは最大のミュージシャンとして認められています。クラフトワークと比較しても、サウンド・スタイルの固定化・洗練に固執するクラフトワークと、極端な実験音楽からヘヴィ・ロック、シュルツェ流エスノ・エキゾチック・ミュージックやディスコ・ミュージック、アンビエント、ハウスから、シンセサイザー・オペラや現代ロマン派音楽のシンセサイザー化までやってしまうシュルツェのアプローチは対極をなしていますが、クラフトワークの快活なポーカーフェイスのユーモア感覚に対して、頑固一徹のシュルツェにはユーモア感覚が稀薄なのが両者の大衆性を分けている観があります。今回からクラウス・シュルツェのアルバム紹介を20世紀作品全約120作に取り組みますが、21世紀以降の作品を完全に網羅すれば、シュルツェがその生涯に残したアルバムはその倍あまりにおよぶのです。

(旧記事を改訂・再掲載しました。)