坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集 (日本Victor, 1969) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集 (日本Victor, 1969)坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集 (日本Victor, 1969)

、青木望 (B7)
(Side 1)
A1. 坊や大きくならないで (作詩・作曲=チン・コン・ソン、訳詞=浅川しげる/高石友也)
A2. お捨てメリンダ (作詩=フラン・ミンコック、作曲=フレッド・ヘラーマン、訳詞=片桐ゆずる/高石友也) 
A3. 竹田の子守唄 (作詩・作曲=トラディショナル)
A4. ハッシュ・リトル・ベビィ (作詩・作曲=トラディショナル)
A5. 血まみれの鳩 (作詩・作曲=西岡たかし)

A6. 明日なき世界 (作詩・作曲=P. F. スローン、訳詞=高石友也) :  

B1. ランブリン・ボーイ (作詩・作曲=トム・パクストン、訳詞=中山容/高石友也)
B2. 北の国へ (作詩・作曲=高石友也)
B3. 労務者とは云え (作詩・作曲=ボブ・ディラン、訳詞=片桐ゆずる/高石友也) :  

B4. おいで僕のベッドに (作詩・作曲=エリック・アンダーソン、訳詞=日高義) 

B5. ときは流れる (作詩・作曲=大野正雄)
B6. 青年は荒野をめざす (作詩=五木寛之、作曲=加藤和彦)
B7. もしも平和になったなら (作詩・作曲=チン・コン・ソン、訳詞=浅川しげる/高石友也)
(CD Bonus Track) アルバム未収録シングル
14. 死んだ男の残したものは (その1) (作詩=谷川俊太郎、作曲=武満徹、編曲=林光) :  

15. 死んだ男の残したものは (その2) (作詩=谷川俊太郎、作曲=武満徹、編曲=高石友也) :  

16. おいで僕のベッドに (オーケストラ・バージョン) (作詞作曲=エリック・アンダーソン、訳詞=日高義、編曲=青木望)
17. イムジン河 (作詞=朴世永、作曲=高宗漢、編曲=高石友也、日本語訳詞=松山猛、補作=加藤和彦)
[ Personnel ]
高石友也 - 歌、ギター、ハーモニカ、編曲 (A1-A6, B1-B6)
五つの赤い風船 (=西岡たかし、中川イサト、長野隆) - 演奏 (A1-A6, B1-B6)
ベティーズ (ジャックス=早川義夫、木田高介、谷野ひとし、つのだ・ひろ) - 演奏 (A1-A6, B1-B6)
青木望 - 編曲 (B7)
ビクター・オーケストラ - 演奏 (B7、ボーナス・トラック14、16)
(Original 日本Victor "坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集" LP Front Cover with Obi, Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)

 以前ご紹介した時にはアルバム全曲がYouTubeにアップされておらず、収録曲からは「血まみれの鳩」「明日なき世界」「労務者とは云え」の3曲しかYouTubeへの試聴リンクを引けませんでしたが(「おいでよぼくのベッドへ」とジャックスとの「明日なき世界」はライヴ音源、「死んだ男の残したものは」は本作と同時期のシングルAB面で、A面はオーケストラ・ヴァージョン、B面は弾き語りヴァージョンとなっています)、本作『坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集』はこの秀逸な3曲の水準に全曲の出来が達している、'60年代の日本フォーク・ロックの見落とされがちな金字塔的名作と言えるものです。今回アルバム全編がYouTubeにアップされているのを見つけたので、改めてご紹介いたします。大阪出身の高石友也(1941~)がフォークを歌い始めたのはかなり遅く、もう25歳を過ぎてからの大学留年中からで、シングル「かごの鳥ブルース」でデビューしたのは昭和41年(1966年)12月でしたが、同年は4月にマイク真木のデビュー・シングル「バラが咲いた」の大ヒット、6~7月のビートルズの来日公演、8月には初めてメディアがアマチュアの音楽シーンに目をつけたニッポン放送のラジオ番組「バイタリス・フォーク・ビレッジ」の放送開始と、芸能プロダクション主導のグループ・サウンズのブームと平行してアマチュアによるフォーク・シーンが徐々に台頭してきた頃でした。高石友也のファースト・アルバム『想い出の赤いヤッケ/高石友也フォーク・アルバム第1集』は日本ヴィクターから昭和42年(1967年)9月にリリースされましたが、これは翌10月に自主制作盤でリリースされたフォーク・クルセダーズのアルバム『ハレンチ』に先駆けています。フォークルの『ハレンチ』の電話リクエストによる大反響によって「帰って来たヨッパライ」が東芝音楽工業からシングル・カットされたのが同年12月になり、同曲の大ヒットからメディアの注目は一気にマイク真木、森山良子(「この広い野原いっぱい」)らのカレッジ・フォークからアンダーグラウンドなフォーク・シーンに移ります。昭和43年(1968年)はグループ・サウンズのブームが頂点に達した年でもあれば、フォークルの『紀元貮阡年』(7月)、ジャックスの『ジャックスの世界』(9月)とともに、2月にすでにレコード発売前からラジオ放送・ライヴで大人気だったシングル「受験生ブルース」を大ヒットさせ、6月には同年1月12日大阪サンケイ・ホールでの単独コンサートを収録したセカンド・アルバム『受験生ブルース/高石友也フォーク・アルバム第2集~第2回・高石友也リサイタル実況より~』をリリースした高石友也(この年、高石友也は立教大学8年生でした)にますます注目が集まった年でした。

 高石友也はボブ・ディラン以降の新たなフォークの潮流の核心を見抜いた、優れた歌手・訳詞家でしたが、シンガーソングライターとしての自作オリジナル曲の創作よりもレパートリーの選曲に長け、中川五郎、岡林信康、西岡たかし、加藤和彦ら親交のあったシンガーソングライター、フォーク運動のブレインだった片桐ユズル、中山容らからの楽曲提供がレパートリーの大半を占めていました。しかし高石はソングライターではない代わり恵まれた声質と抜群の歌唱力があり、後乗り(ビハインド・ビート)のアクセントと字余り・字足らずの日本語詞を巧みにビートに乗せたヴォーカル・スタイルは当時まったく斬新なもので、直接・間接の影響力は計り知れません。昭和43年後半以降はジャックスをバック・バンドにライヴ活動を行い、フォーク・ロック色を強めましたが、昭和44年(1969年)夏にはジャックスの解散、岡林信康のアルバム・デビューと交差するように活動を縮小・休止・渡米し、昭和47年(1972年)に帰国後は渡米中に本格的に習得した伝統的なブルーグラス(カントリー・ミュージック)に向かい、「高石ともやとナターシャ・セブン」としてカントリー・ミュージックのミュージシャンに転向します。ナターシャ・セブンでの高石ともやの活動も円熟した音楽性を示してあまりあるものでしたが、日本語歌詞のフォーク~ロックのヴォーカル・スタイルを確立した先駆者として第一人者とも呼べる業績を残しながら、すでに革新的なフォーク/フォーク・ロック運動からも、また'70年代にはすっかり商業化したポップス系フォークからも距離を置いた存在になりました。

 高石友也が日本のフォーク・ロック・シーンの最前線に立っていたのは、ファースト・アルバム『想い出の赤いヤッケ/高石友也フォーク・アルバム第1集』、セカンド・アルバム『受験生ブルース/高石友也フォーク・アルバム第2集~第2回・高石友也リサイタル実況より~』、サード・アルバム『坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集』の3作の時期に絞られることになりますが、特に本作『坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集』はジャックス(ベティーズ名義)、五つの赤い風船が全面的にバック・バンドを勤めたことで、圧倒的な訴求力と説得力のある高石友也のヴォーカルの充実とともに、五つの赤い風船や岡林信康、吉田拓郎のデビュー・アルバム以前の日本のフォーク・ロック・アルバムとして、フォーク・クルセダーズ、ジャックスのアルバムと並ぶ名作になっています。B面最終曲のB7以外は高石自身がリーダーとしてジャックス、五つの赤い風船のメンバーを従えアレンジ(実質的なセルフ・プロデュース)まで勤めているのも見逃せません。フォークルの『ハレンチ』に先立つ『想い出の赤いヤッケ/高石友也フォーク・アルバム第1集』の重要性、またフォークルの『紀元貮阡年』やジャックスの『ジャックスの世界』に先立つセカンド・アルバム『受験生ブルース/高石友也フォーク・アルバム第2集~第2回・高石友也リサイタル実況より~』も日本のフォーク・ロックの最重要作と言えるものですが、本作は高石友也が渡米前の集大成を意図して制作に臨んだアルバムと思われ、当時のアンダーグラウンド・フォーク・シーンを集約するような選曲にその意欲が表れています。五つの赤い風船の初期代表曲を風船、ジャックスの混成メンバーによるフォーク・ロック・アレンジで採り上げた「血まみれの鳩」、ボブ・ディランの「Only A Hobo」の訳詞カヴァー「労務者とは云え」もいいですが、本作のハイライトはP・F・スローンの提供による元ニュー・クリスティ・ミンストレルズ(全米No.3ヒット「グリーン・グリーン」)のバリー・マクガイアの全米No.1ヒット「明日なき世界 (Eve Of Destruction、タイトル直訳では「破滅の前夜」)」の高石友也自身による日本語意訳詞(しかも原詩に忠実)による「明日なき世界」です。高石のヴォーカルも最高のパフォーマンスを示しており、このカヴァーはオリジナルのマクガイアのヴァージョンを軽々と超えて、マクガイアの曲を下敷きにした完全な高石友也のオリジナル曲になっています。フォークどころかそのものずばりの日本語ロックの先駆的傑作と呼べるこの曲は、高石友也の訳詞を使って'80年代末のRCサクセションを始めに佐野元春、うじきつよし、斎藤和義、エレファントカシマシら蒼々たるアーティストがRCサクセションによるアレンジを踏襲してカヴァーしていますが、RCサクセションによるカヴァー自体が高石友也の訳詞と本作のヴァージョンを踏襲したものです。しかも元祖の高石友也ヴァージョン(またライヴ音源で残されている高石友也&ジャックスのヴァージョン)がもっとも優れており、訳詞を手がけることも実際には少なかった高石が放った一世一代の名訳詞とヴォーカル・パフォーマンスによって、日本語ロックのとして最高のものになった不朽の名ヴァージョンになっています。のちの高石ともやのブルーグラス転向によって本作は顧みられることの少ないアルバムですが、日本のロックにもまだまだ再評価の待たれる秘宝が埋もれていることを示す名盤です。機会があればぜひ全編をお聴きください。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)