さらに『地下室の手記』(ドストエフスキー)について(4) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 文学作品についての長々しくてかったるい作文を頻繁にお目汚しして恐縮です。しかしこの連載記事は、考察というよりは雑学で、気楽に読み飛ばしていただける内容を心がけています。また耳年増というのも案外役に立つもので、自分に関係ないと思っていたことがふと気づくとなにかのヒントになる、ということもあります。そこで今回も19世紀中葉のロシアの小説家、フョードル・ドストエフスキー(1821~1881)の短めの長篇小説(中篇小説)『地下室の手記』(1864年)を取り上げますが、前回のおさらいとしておおまかなあらすじを再び載せておきます。

 本書は「I 地下室」「II  ぼた雪にちなんで」(新潮文庫・江川卓訳)「II  ぼた雪に寄せて」(光文社古典新訳文庫・安岡訳)の二部に分かれていますが、第1部「地下室」では親戚の遺産を得て退職し田舎に引きこもった40歳の元小官吏の堂々めぐりの自虐・他責思考が延々語られます。第2部「ぼた雪」では24歳の頃の回想になり、皮肉屋で卑屈な主人公の友人たちや仕事仲間への不毛なマウント取り合戦や遊蕩生活の思い出から娼婦リーザとの恋愛が描かれますが、主人公は劣等感からリーザを侮辱し続け、主人公を愛し雪の晩に身請けを請いに訪ねてきたリーザに金を与えて追い返し、絶望して帰って行くリーザを途中までは追いかけるも「屈辱によってこそリーザの魂はさらに浄化され、崇拝に値するものになるのだ」と屁理屈をつけて引き返し、希望を捨てた生涯を覚悟します。この結末が第1部の冒頭に回帰することで小説の円環的構造が暗示されます。第1部はのちのサミュエル・ベケットの虚無的な独白小説の先駆、第2部はのちのジョルジュ・バタイユの偏執的なドタバタ愛憎劇の先駆と言ってもいいでしょう。時系列では第2部(24歳)が第1部(40歳)に先立ちますが、第1部「現在」、第2部「過去」という仕組みがこの小説の肝になっています。もし時系列順に第2部・第1部という構成だったら、冒頭からおよそ物語の体をなさない独白が延々続く「I 地下室」の訴求力は失われてしまうでしょう。冒頭の最初の段落だけ取っても、この小説は読者をいきなり途方に暮れさせます。

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 ぼくは病んだ人間だ・・・・・・ぼくは意地の悪い人間だ。およそ人好きのしない男だ。ぼくの考えでは、これは肝臓が悪いのだと思う。もっとも、病気のことなど、ぼくにはこれっぱかりもわかっちゃいないし、どこが悪いのかも正確には知らない。医学や医者は尊敬しているが、現に医者に診てもらっているわけではなく、これまでにもついぞそんなためしがない。そこへもってきて、もうひとつ、ぼくは極端なくらい迷信家ときている。まあ、早い話が、医学なんぞを尊敬する程度の迷信家ということだ。(迷信にこだわらぬだけの教育は受けたはずなのに、やはりぼくは迷信をふっきれない)。いやいや、ぼくが医者にかからぬのは、 憎らしいからなのだ。といっても、ここのところは、おそらく、諸君のご理解をいただけぬ点だろう。まあいい、ぼくにはわかっているのだから。むろん、ぼくにしても、この場合、では、だれに向って憎悪をぶちまけているのだといわれたら、説明に窮するだろう。ぼくが医者にかからぬからといって、すこしも医者を困らせることにならぬくらい、わかりすぎるほどわかっているし、こんなことをやらかしても、傷つくのはぼくひとりきりで、ほかのだれでもないことも、先刻ご承知だからである。けれど、やはり、ぼくが医者にかからないのは、まさしく憎らしいからなのだ。肝臓が悪いなら、いっそ思いきりそいつをこじらせてやれ!
 (新潮文庫・江川卓訳)

 この調子が220ページ(新潮文庫)の小説の前半、延々続くのです。さらに主人公は、自分が合流主義的な人間ではまったくないこと(これは本書が書かれた、1860年代初頭ロシアの知識人たちによる理想主義的思潮への反論を意図していると言われます)、合流主義に基づく理想主義社会が実現されたら個人の自由は逆に失われてしまうのではないか、という論旨をしどろもどろにくり広げて居直ります。

 自意識は、たとえば、二二が四などよりは、かぎりもなく高尚なものである。ニニが四ときたら、むろんのこと、あとにはもう何も残らない。することがなくなるだけではなく、知ることさえなくなってしまう。そのときにできることといったら、せいぜい自分の五感に栓をして、自己観照にふけることくらいだろう。ところが、自意識が一枚かんでくると、なるほど結果は同じで、やはり何もすることがなくなってしまうにしても、しかし、少なくとも、ときどきは自分で自分を鞭打つことぐらいはできるわけで、これでもやはり多少は救いになるのである。なんとも消極的な話だが、それでも、何もないよりはましというわけだ。
 (新潮文庫・江川卓訳、55ページ)

 そこで、理想主義を実現するための合流主義を自由のために拒絶すると、その自由も個人的なナルシズムを伴うニヒリズムに陥るという限界に突き当たってしまう、というのが第1部の主人公の独白が堂々めぐりに始終する原因になってしまいます。主人公が自分を「治療の意志のない病人」とするのは「医師の推奨する医療など迷信で嫌いだ」という一種の他責思考ですが、他責思考によって「救われない病人」になっていることにも主人公は開き直っているので、他責思考と自虐が交互にくり返されて八方ふさがりになっている状態を思いつくがままに堂々めぐりするのが第1部「地下室」の眼目です。一般的にこれは喜劇の技法で、日本の漫才において同じギャグやボケを二度、三度と繰り返して笑いをとる手法のことを天丼と言いますが、剥いても剥いても剥ききれないタマネギ、ロシアですから無限マトリョーシカというか、白やぎさんと黒やぎさんが延々と「さっきの手紙のご用事なあに」と往復書簡を交わし続ける「やぎさんゆうびん」を一人遊びで行っている状態です。19世紀文学で特異な発展過程を遂げたロシア文学でこそ起こった人間性解体の発想はプーシュキン、レールモントフからゴーゴリを通り、ツルゲーネフにもゴンチャロフにも萌芽があり、トルストイとドストエフスキーでピークに達したので、明晰きわまりない巨匠トルストイは屈折した手法によらずとも交響楽的な群像劇の大作、テーマの集中に優れた小品でそれを表現できましたが、ドストエフスキーの場合は異常な設定、構成の異様さといった露骨な形でそれが表れました。19世紀ロシア文学の作家はいずれも貴族か高等官吏ばかりですが、中でもトルストイ(1829~1910)は大貴族が分割領で小国家の王族だった当時のドイツであれば一国の主と言っていいほどの広大な領土を持つ富裕大貴族で、19世紀ロシア最高の教養人でもあったため思想的には帝政ロシアの矛盾に反抗し、反帝国主義、農奴解放に移っていくも、テーマや構成については徹底的に磨き上げた作品を書く作家でした。三大大作『戦争と平和』(1865~1869、登場人物は500人を越える大群像劇です)、『アンナ・カレーニナ』(1873~1877)、『復活』(1898~1899、これはやや破綻が見えますが)から、処女作『幼年時代』(1852年)から『コサック』(1863年)、フランス語訳で読んだモーパッサンが「私の1ダースもの著作も、この作品の前では無意味になってしまった」とまで激賞した『イワン・イリッチの死』(1886年)、『クロイツェル・ソナタ』(1889年)などの短めの長篇(中篇)小説、戯曲『闇の力』(1880年)、『生ける屍』(1900年)まで、トルストイの小説・戯曲は最晩年についにあらゆる芸術否定に到達するまでテーマの集中に優れ、見事な完成度を誇る作品ばかりでした。一方、下級の貧乏貴族だったドストエフスキーの作品は、ことにシベリア流刑~クリミア戦争従軍による10年間の創作ブランク以降に文壇に復帰した後には、生活に追われて書かれた作品ばかりとも言えるので、大まかな構想があってある程度までの展開と結末の見込みをつかめば、あとは雑誌連載しながら「書きながら考える」という具合に書かれています。ロシア生まれ~ヨーロッパ、アメリカへの20世紀の亡命作家ウラジミール・ナボコフ(1899~1977)がトルストイをロシア文学最高の作家とし、ドストエフスキーを「読み始めると惹きこまれるが、読み進むにつれクリシェ(定石、決まり文句)の多用が気に障り、冗漫で、再読に耐えない」(大意)として二流作家と見なしたのは、ナボコフ自身が徹底して美意識の高い彫琢型のモダニズム作家だったからばかりとも言えません。ドストエフスキーの長篇小説は、

『貧しき人びと』(第一長篇、1845年)
『二重人格(分身)』(第二長篇、1846年)
『ネートチカ・ネズワーノワ』(匿名発表、未完・未刊行長篇、1849年)
(1849年~1854年シベリア流刑・1854年クリミア戦争軍務、1859年退役)
『伯父様の夢』(第3長篇、1859年)
『ステパンチコヴォ村とその住人』(第4長篇、1859年)
『死の家の記録』(第5長篇、1860年~1862年)
『虐げられた人びと』(第6長篇、1861年)
『地下室の手記(地下生活者の手記)』(第7長篇、1864年)
『罪と罰』(第8長篇、1866年)
『賭博者』(第9長篇、1866年)
『白痴』(第10長篇、1868年)
『永遠の夫』(第11長篇、1870年)
『悪霊』(第12長篇、1871年~1872年)
『未成年』(第13長篇、1875年)
『カラマーゾフの兄弟』(第14長篇、未完、1880年)

 の14作(匿名未完作『ネートチカ・ネズワーノワ』除く)ですが、処女作『貧しき人びと』を除けば、扇情的な貧困、愛憎、階級格差、不貞、反抗、異常性格、性的乱脈、偏見、軽蔑、侮辱、絶望、狂気、宗教、陰謀、欺瞞、犯罪、刑罰、復讐、賭博、裏切り、強姦、暴力、殺人(順不同)のてんこ盛りなのです。こんな作家はポーランドからイギリスへの帰化作家ジョセフ・コンラッド(1857~1924、コンラッドは自作への感想にドストエフスキーを引き合いに出されると、蒼ざめて話題を逸らしたと言われます)、フランスのニヒリズム作家ルイ=フェルデナン・セリーヌ(1894~1961)、20世紀のアメリカ南部作家ウィリアム・フォークナー(1897~1962)くらいしか思い当たりません。セリーヌは元来地獄めぐりの自伝的作家でしたが、モダニズム作家フォークナーの場合はアメリカ南部の因襲的混乱をパノラマ的に描くためドストエフスキー的人間性解体の手法を採り入れたと思われ、フォークナーの影響力は20世紀文学においてドストエフスキーに次ぐほど波及したため、実存主義以降のフランス文学や政治的・民族的混迷を前衛的手法で描こうとしたラテン・アメリカ諸国の文学、日本の大江健三郎や中上健次に直接反映されています。しかしナボコフのような洗練された作家には、扇情的な題材なら片っ端から採り入れて、しかも作中で何度もそれを反復するドストエフスキーの小説作法は、文学作品としてはとうてい上等なものとは認めがたいものだったでしょう。ドストエフスキーがこの手法を初めて自覚的に活用したのが、翌年から執筆に着手する大作『罪と罰』の構想も抱いていた直前の実験的作品『地下室の手記』で、すでに本作の主人公は強盗殺人に踏み切らなかったラスコリーニコフ、ラスコリーニコフを見捨てなかった場合のソーニャの原型が見られます。ドストエフスキーは客観叙述でよりいっそう解決の困難な『罪と罰』に進む前に、停滞状況だけを執拗に描く文学的クリシェの塊のような実験作『地下室の手記』を書き飛ばす過程が必要でした。ある意味行動によって無限の苦悩に踏み込んだラスコリーニコフより、行動未満の状態で自意識の地獄を彷徨うことになった本作の主人公の方が説得力のある人物造型としては困難なのです。この辺りを読み解くのは非常に面倒なので、今回もこの辺りで結論は留保したいと思います。