1980年のブラック・サバス初来日公演 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。



ブラック・サバス - ネオンの騎士 (Vertigo, 1980)
Ronnie James Dio - vocals
Tony Iommi - guitars
Geezer Butler - bass
Bill Ward - drums, percussion

 いやあかっこいい。本作発表前のサバスは前作『Never Say Die!』(Vertigo,
1978.9.29)発表後にオリジナル・メンバーの看板ヴォーカリスト、オジー・オズボーンが脱退し、もはやこれまでという観がありました。しかしレインボーを脱退したロニー・ジェイムズ・ディオ(1942~2010)が新ヴォーカリストとして参加したアルバム『ヘヴン&ヘル (Heaven and Hell)』は、オジー在籍末期の不調から一転して、‘80年代型ヘヴィ・メタルと言うべき作風を切り開いた作品になり、初期6作ないし4作のオジー在籍時絶頂期の名盤に匹敵するサバス史上の傑作アルバムになりました。ちなみに日本盤ライナーノーツは大貫憲章さんで、「お前がサバスのライナーノーツを書くのは10年早い!」と伊藤政則さんに怒られたそうです。サバスはよく‘70年代ブリティッシュ・ハード・ロック三大バンド(ユーライア・ヒープを入れれば四大バンド)とされますが、日本で突出して人気のあるディープ・パープルよりサバスの欧米での人気は高く、10作のアルバムのうち7作を英米No.1ヒットにさせたレッド・ツェッペリンには及ばないまでも、サバスはオジー在籍時の8枚をすべて全英トップ15以内(うち6枚をトップ10圏内、そのうち3枚をトップ5内、No.1アルバムを1枚)、全米でもトップ30内に6枚(うち4枚をトップ15圏内、1枚をトップ10圏内)に送りこみ、8枚すべてをゴールド・ディスク(50万枚突破)、うち5枚をプラチナム・アルバム(100枚突破)、さらに200万枚突破(ダブル・プラチナム)と400万枚突破(クアドロ・プラチナム)を1枚ずつ達成しています。ハード・ロックについて言えばサバスこそツェッペリンに次ぐNo.2だったので、ツェッペリン解散後のロバート・プラントよりソロ転向後のオジー・オズボーンの方が高い人気と商業的大成功を収めるだけのことはあったのです。

 ディオ加入後のブラック・サバスは即座に全盛期の人気を取り戻したので、すでに40歳を迎えていたディオは2枚のスタジオ盤、1作のライヴ盤でサバスを脱退し、自分のバンド「ディオ」を結成しますが、ライヴでのレパートリーはオジー時代のサバスの曲も取り上げていたので、双方のマネジメント合意で「どちらが真の元サバス・ヴォーカリストか」でたがいにステージで名指しで罵りあう、というプロレスのようなMCで観客を盛り上げ、「貫禄のオジー、実力のディオ」と元サバス同士でますます人気を高めていきます。オジー時代のサバスはパンク・ロックのミュージシャンにも人気があり、まだセックス・ピストルズとクラッシュがダブル・ビルでライヴを共にしていた頃は楽屋ではオジー在籍時のサバスを流していたそうです(ジョー・ストラマー証言)。本作『ヘヴン&ヘル』の制作段階からサバスの人気復活を見こんでオジー時代の1973年、第4作『ブラック・サバス4 (Black Sabbath Vol.4)』(Vertigo, 1972.9.25)のプロモーション・ツアーを公式ライヴ盤用に収録するも、お蔵入りになっていた『ライヴ・アット・ラスト (Live at Last)』(NEMS, 1980.6)がリリースされ全英チャート5位、さらに1971年の初リリース時には全英4位とサバス最高のシングル・ヒットとなった「パラノイド (Paranoid)」が再発売され、全英18位と、『ヘヴン&ヘル』「ネオンの騎士」を上回るヒットとなるも、ディオが加入したサバスはやはり‘80年代型ヘヴィ・メタルに作風を転換したスコーピオンズの新作『電獣〜アニマル・マグネティズム (Animal Magnetism)』(Harvest, 1980.3.31, 全英#23/全米#52, プラチナム) 、ジューダス・プリーストの新作『ブリティッシュ・スティール (British Steel)』(Columbia, 1980.4.14, 全英#4/全米#35)とともに、アイアン・メイデンやデフ・レパードを始めとする「NWOBHM (New Wave Of British Heavy Metal)」の新人ヘヴィ・メタル・バンドに拮抗し得るベテラン・バンドとしてそれまで以上にファン層を拡大することに成功しました。
Black Sabbath - Paranoid (Official MV, 1970) :  

 またこの1980年には数年間日本では廃盤になっていたオジー時代のアルバムも『ヘヴン&ヘル』『ライヴ・アット・ラスト』の発売・人気に応じて再発売されました。そしてオジー時代に来日のかなわなかったサバスは、同年11月にバンド史上初の来日公演を行います。予定されていた3公演(11月16日中野サンプラザ昼・夕公演、11月18日中野サンプラザ夕公演)の前売りは好調で、11月17日に日本青年館の晩公演が追加されました。筆者はNHK-FMでほぼ全曲オンエアされた『ヘヴン&ヘル』のエアチェック・テープは愛聴していたものの、往年のサバスの曲は「パラノイド」しか知らず、そもそもあまりプロモーションされていなかった来日公演だったので気づいた頃には手遅れでしたが(当時のチケット販売はプレイガイドでしか買えませんでした)、おそらくレインボー時代からの熱心なディオのファンも多いので前売り券の売り上げは好調だったのだろうと思います。ポスターを見て昨今の観があるのは、S席3800円・A席3000円・B席2500円という価格で、1980年当時LPレコードが2500円~2800円の過渡期、シングル・レコードが600円~700円の過渡期でしたから、手間賃や交通費を除けばA席やB席はアナログLP1枚と変わらず、S席すらアルバム購入費に1000円上乗せした程度で名盤『ヘヴン&ヘル』のサバスが観られた、ということになります。ドラマーが次作の『モブ・ルールス (Mob Rules)』(Vertigo, 1981.11.4, 全英#12/全米#29)でオリジナル・ドラマーで体調不調から一時降板したビル・ワードの代役を勤めるヴィニー・アピスに代わっていたかどうかわかりませんが(ビル・ワードのファンが多いサバスのリスナーにはあまり評判のよくないドラマーです)、この来日公演の時点ではサバスのステージは『ヘヴン&ヘル』ほぼ全曲、残り半分はオジー時代のレパートリーと翌年の『モブ・ルールス』からのライヴ試演と思うと、垂涎としか言えません。筆者は大半のサバスのファンがそうであるように、サバス最高のヴォーカリストはオジーだと思うリスナーですが、ディオ参加時のサバス、イアン・ギラン参加時のサバス、グレン・ヒューズ参加時のサバス、悲運の夭逝シンガー、レイ・ギレン参加時のサバスも海賊盤まで追いかけて愛おしく聴いているので、何でサバスの初来日公演を観に行かなかったんだ1980年の俺、と悔やまれてなりません。でもまあ仮に観たとしても、オジー時代の全アルバムすら聴いていなかった当時の筆者にはデビュー10年目のこの新生サバスの魅力も半分も味わえなかっただろうと(サバス時代のディオも唯一無二ですが)、冷静になるしかありません。