クロード・マルタン『アンドレ・ジッド』 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

クロード・マルタン/吉井亮雄訳『アンドレ・ジッド』
九州大学出版会・平成15年(2003年)6月20日刊

 著者クロード・マルタンは1933年生まれ、学生時代からアンドレ・ジッド(1869~1951)の研究に没頭し、リセ勤務を経てリヨン大学に着任後に初の著書としてパリのスューイユ出版から「永遠の作家」叢書の1冊として刊行されたデビュー作が1963年の『彼自身によるアンドレ・ジッド』で、この日本語訳『アンドレ・ジッド』は同書の1995年改版を底本にしたものです。著者マルタンは1968年に「ジッド友の会」を設立し、1500人もの会員を集めて会員寄稿誌として季刊の「会報」・年刊の「カイエ」を年間1000ページ編纂・刊行する一方、(この訳書刊行当時)10冊以上に上るジッド研究を上梓し、ジッド作品の厳密校訂版・未刊の膨大なジッド往復書簡集(60年間、文通相手は2000人以上、ジッド分だけで総計2万5000通もの長文書簡)の編纂に携わり、ジッド研究の第一人者とされている方で、本書の1963年の初版は「永遠の作家」叢書としても異例の若手研究者の抜擢となりました。

 本書の内容はジッド賛美に偏らず、主にジッド58歳の自伝的長篇『一粒の麦もし死なずば』、81歳までに全5巻分冊で刊行された『日記抄』を引用しながら編年体にジッドの生い立ち、関連人物との関係、ほぼ全作品の背景と位置づけを的確な引用を織り交ぜて行い、ジッド自身による意図と意図しない作品の齟齬を突いたもので、本文は訳書にして200ページほど(それに1993年の著者来日時の講演や、詳細年譜・索引が60ページほど追補されています)にコンパクトにまとめられながら、ジッドの全文業がたどれる大変な力作です。ジッドの生育・生活史や作品論をさらに詳述しようとすればこの10倍もの紙幅が必要な浩瀚な一冊にもなるものを(少なくともサルトルの上下巻1200ページにもおよぶ1952年のジャン・ジュネ論『聖ジュネ・殉教者と反抗』程度にはなるでしょう)、200ページに圧縮して過不足ない内容に仕上げた手腕は見事の一言で、中村光夫の辛辣な『谷崎潤一郎論』(昭和27年)や『志賀直哉論』(昭和29年)に勝るとも劣りません。

 マルタンは決してジッドの文業の作者自身の意図に惑わされることなく、ジッドが一読して率直に、または韜晦して書いた一節を他ならないジッド自身の他のテクストから検討していくので、密度の高い本書の論法について行くには高度な集中力が要求されます。学生時代からジッド研究に身を呈していたマルタンには初の著書となる本書は20代までのジッド研究の総決算的意味合いもあったでしょうが、マルタンがジッド研究に没頭していた1950年代後半~1970年代はフランス本国でもジッド評価が底をついた時期でした。また1950年代に猛威をふるった実存主義思潮の影響からはマルタンも逃れていたとは思えず、実存主義的用語は注意して避けられていますが、論法にはサルトルからの感化が感じられます。実存主義的論法を用いながらサルトル流の実存主義用語を避けているため、かえって叙述が難解になった面も見受けられます。サルトルには同性愛者の定義に対する根強い偏見(社会的・自認的欺瞞者)と執着(欺瞞者がいかに社会性を獲得するか)がありましたが、同性愛者であるジッド(ジッド本人の認識では「ペデラスト(小児同性愛者)」)についてのマルタンの見解はジッドのテクストに即してあるがままのジッド像を解明する立場に立っており、サルトルが同性愛者のテーマを押し出した1945年~1949年の連作長篇小説『自由への道』(『分別ざかり』『猶予』『魂の中の死』『最後の機会 (未完)』)、前述した1952年の『聖ジュネ・殉教者と反抗』(これはジュネ作品の愛読者でなくても、圧巻の作家論の必読書でしょう)の影響下から逆に反サルトル的な、中立的見解を押し出そうとした意図がうかがえます。同時代の思潮に感化されながら逆にその反対を行く、中和させる、という論法もあるのです。

 本書の読みづらさは豊富な引用、解釈が一読日本語としては難解な用語・構文によってあまりに高い密度で展開されるためでもありますが、1963年時点で公刊されたジッドの全文業、少なくともジッド生前発表の全文業を対象に収めているため、日本語訳で言えば配本中にジッドが逝去したためにもっとも完全な翻訳全集(フランス本国でもこれに匹敵する網羅的な全集は未刊行のままです)となった新潮社版『アンドレ・ジイド全集』(全16巻、1950年~1951年)、よく精選された角川書店版の代表作選集『ジイド全集』(全10巻、1957年~1958年)、角川書店版全集(選集)からほぼ40年ぶりになる慶應義塾大学出版からの若林真(1929~2000)氏単独訳『アンドレ・ジッド代表作選』(全5巻、1999年)のいずれかを全巻読んでいないと(『アンドレ・ジッド代表作選』には『一粒の麦もし死なずば』が未収録なので、同作は別に補って読まないと)、引例された著作の原典がどのようなものかわからず、次々と論じられるジッド作品に断片的な概要・位置づけを知らされるまま、置いてきぼりにされることです。本書はジッドという文学者の全体像を描いた入門書と総合解説を兼ねたもので、翻訳文庫版なら300ページ台でジッド60年の文業の全容を凝縮した見事な評伝ですが、一方ジッドにあまり関心がなく『狭き門』『田園交響楽』程度、あるいはジッド作品など読んだこともない読者には入門書としては敷居が高すぎ、ジッド作品の愛読者にはあっけなさが残る本で、叙述や論旨こそ明晰ですがあまりに圧縮された内容のために、ジッドの読者が減少するばかりの今日では親しみづらい内容なのは仕方のないことでしょう。九州大学出版会刊、260ページにして2003年初版で税抜き価格3000円(筆者は書き込み・マーカー線引きの古書でその半額ほどで購入しましたが)という大学教科書並みの価格の刊行も仕方ありません。しかし本書はジッドの文業を一通り読んだ読者にはジッドの全体像の目録(インデックス)を果たしてくれる傑作評伝で、もし日本近代の文学者について今日の批評家が評伝を書くとしても指標となる名著です。浩瀚なジッド全集・選集を逐一全巻読み返すよりも、主要作品に絞って本書を再読・再三読する方が、ジッドという作家の概要の理解が深まるかもしれません。