ザ・シーズ(2) ア・ウェブ・オブ・サウンド (GNP Crescendo, 1966) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・シーズ - ア・ウェブ・オブ・サウンド (GNP Crescendo, 1966)
ザ・シーズ The Seeds - ア・ウェブ・オブ・サウンド A Web Of Sound (GNP Crescendo, 1966) :   

Recorded at Columbia Studios, RCA Victor Studios Hollywood, California, July 5 to July 29, 1966
Released by GNP Crescendo Records GNPS 2033, October 1966 / US#No Chart
Produced by Marcus Tybalt (aka. Sky Saxon, The Seeds)
Engendered by Dave Hassinger, Raphael Valentin
(Side One)
A1. ミスター・ファーマー Mr. Farmer (Sky Saxon) - 2:52 / US#86
A2. Pictures and Designs (Darryl Hooper, Sky Saxon) - 2:44
A3. Tripmaker (Darryl Hooper, Marcus Tybalt) - 2:48
A4. I Tell Myself (Marcus Tybalt) - 2:24
A5. A Faded Picture (Hooper, Saxon) - 5:20
A6. Rollin' Machine (Saxon, Tybalt) - 2:32
(Side Two)
B1. Just Let Go (Hooper, Jan Savage, Saxon) - 4:21
B2. アップ・イン・ハー・ルーム Up In Her Room (Sky Saxon) - 14:45 / US#No Chart
[ The Seeds ]
Sky Saxon - lead vocalist, bass guitar
Darryl Hooper - keyboards, organ, piano, backing vocals
Jan Savage - guitars, backing vocals
Rick Andridge - drums
with Additional Musician
Cooker (aka Sky Saxon) - slide guitar
Harvey Sharpe - bass guitar 

(Original GNP Crescendo "A Web Of Sound" LP Liner Cover & Side One Label)

 本作は'60年代アメリカン・ロックに燦然と輝く名盤!(ただし一部のリスナーの間でのみ)と名高い作品です。ザ・シーズのオリジナル・アルバムはスタジオ盤5作(スカイ・サクソン・ブルース・バンド名義含め)、うち擬似ライヴ盤が1作になりますが、一般的に最高傑作と名高いのはファースト・アルバムかセカンド・アルバムの本作で、特に本作は冒頭のシングル・ヒット曲「ミスター・ファーマー」と15分近いアルバム最終曲の大作「アップ・イン・ハー・ルーム」に挟まれた全8曲もファースト・アルバム全12曲より各曲に多彩な表情があり、オリジナル・アルバムでは最終作になったベスト選曲+新曲の擬似ライヴ盤『ロウ・アンド・アライヴ~イン・コンサート・アット・マーリンズ・ミュージック・ボックス』'68を番外編とすればザ・シーズのアルバム中もっとも楽曲の粒のそろったアルバムです。ザ・シーズは解散後にアルバム未収録・未発表曲集のコンピレーション盤が2作あり、特に先に出た『Fallin' Off the Edge』'77はGNPクレッシェンドからのリリースだけあってオリジナル・アルバムに劣らない内容でした(もう1作『Bad Part of Town』'82はフランスのインディー・レーベルによる発掘編集盤で、ザ・シーズ結成以前の本名「リッチー・マーシュ」名義のスカイ・サクソンのソロ・シングル3枚のAB面と、GNPを離れてからの末期ザ・シーズのMGMレコーズからのシングル2枚のAB面、最後の自主制作シングルAB面からなる、サクソンのソロ・シングルと末期ザ・シーズのシングルを半々に収録した盤起こしLPで、内容・音質ともコレクターズ・アイテム的内容です)。

 全米アルバム・チャート132位に入ったデビュー・アルバムに対して本作はチャート入りせず、シングル「ミスター・ファーマー」もデビュー・アルバム収録曲「ノー・エスケープ」をB面に'66年秋に初発売した時はヒットせず、翌'67年2月に「アップ・イン・ハー・ルーム」をシングルB面用に3分41秒の短縮版に編集してカップリングし再発売した際に全米チャート86位まで上がりました。それこそビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ級の大物でもなければザ・ドアーズのようにスタジオ盤6作がすべて全米アルバム・チャートのトップ10入り・ゴールドディスク/プラチナディスク認定(50万枚・100万枚単位)、トップ40入りヒット・シングル12枚のうち全米No.1ヒット3枚のセールス的大成功を収めたバンドの方が例外なので、大ヒット曲も大ヒット・アルバムもないロサンゼルスのローカル・カルト・バンドのザ・シーズのアルバムが、再評価される'90年代以前の'70年代~'80年代にも廃盤を免れていたのは、GNPクレッシェンドという、ハリウッドのナイト・クラブ店主ジーン・ノーマン主宰の小インディー・レーベルの数少ない人気カタログだったからです。
 
 GNPは「ジーン・ノーマン・プレゼンツ」の略で、名前が紛らわしいですが戦後のジャズの大物プロモーター、ノーマン・グランツが「NGP(ノーマン・グランツ・プレゼンツ)」としてジャズマンのパッケージ・ツアーを行い、レコード・レーベルを設立して「ノーグラム」~「ヴァーヴ」と成功したのに倣ったもので、'50年代から自分のクラブに出演したジャズ・アーティストのレコードや映画音楽を散発的にリリースしながら'60年代にはザ・チャレンジャーズ、ビリー・ストレンジらサーフ・ロック・インストルメンタル、人気テレビシリーズ「スター・トレック」のサウンドトラック・アルバムをリリースしていました。GNPクレッシェンド・レコーズにとってヴォーカル入りのロック・バンドとしてはザ・シーズは初めての本格的なアーティストだったのです。ザ・シーズのアルバム5作のうち全米アルバム・チャートでトップ200入りしたのは第1作(132位)、第3作『フューチャー』'67(87位)きりでしたし、シングルも10枚発売したうちチャート・インはデビュー作からの「プッシン・トゥ・ハード」36位、「恋しい君よ(独り占めしたいのに)」41位、本作からの「ミスター・ファーマー」86位、『フューチャー』からの「無数の影」72位にとどまりましたが、メジャーのデッカ/ロンドン・レコーズが配給していたとはいえ、ハリウッドの小インディー・レーベルにとっては貴重な全国的ヒット作、かつ西海岸のカルト・ヒーローでした。またプロデューサーのマーカス・ティボルトは実は架空の人物でスカイ・サクソンとシーズのメンバーのセルフ・プロデュースであり、当時はプロデューサーを立てないバンド自身のセルフ・プロデュースは低予算制作扱いされたためでっち上げられた名義でした。もっとも本作はエンジニアのデイヴ・ハッシンジャーの手腕によるところが大きい(後述)と思われるアルバムで、ハッシンジャーのエンジニアリング(実質的なサウンド・プロデュース)によってシーズのスタジオ盤でも頭ひとつ抜き出でたサウンドを誇ります。

 実は1937年生まれ(エルヴィス・プレスリーより2歳年少なだけ!)のリッチー・マーシュがスカイ・サクソンを名乗り、30歳を目前にしてローリング・ストーンズ・タイプかつヒッピー文化にかぶれて結成したバンド、ザ・シーズは、流行に便乗したヒッピー・バンドと見られるのを嫌った多くのインテリ・ミュージシャンたちからは嘲笑の対象でした。しかし音楽的才能も創造力・演奏力もほとんど皆無なのに、純粋かつひたむきに5作ものオリジナル・アルバムを作り、知性のかけらもないその諸作が案外古びていないのです。いや、ザ・シーズはデビュー作の日本初紹介当時からヤードバーズやクリームら新しいロックの潮流に較べれば「音楽的にはニュー・ロックとは言えませんが」と 日本の「ミュージック・ライフ」誌にすら書かれていたので、デビュー当時すでに時代とズレた音楽性でした。デビュー・アルバムの曲などシングル曲はまだしも2、3種類の曲調しかないように聴こえます。本質的にはザ・シーズはデビュー時から解散、'90年代~2000年代までの再結成時までまったく音楽性に幅がないのですが、40年以上に渡って何の変化も進歩もなかったのもこのバンドほど徹底した例はないので、逆にそのためにグラムの時代にはグラム、パンクの時代にはパンク、メタルの時代にはメタル、グランジの時代にはグランジ、ローファイの時代にはローファイ、インダストリアルの時代にはインダストリアルの元祖みたいに聞こえます。トニックとサブドミナントの2コードだけで15分を押し通す「アップ・イン・ハー・ルーム」(のちにデビュー・アルバム収録曲「イーヴル・フードゥー」も5分に短縮編集される前の16分近いヴァージョンが発見されます)などは、楽曲的には同じ構造の「ミスター・ファーマー」とともにテクノのハンマービートを人力で泥くさくやっているとさえ言えるので、音楽的発想の乏しさがかえって斬新な結果を生んだことになります。またザ・シーズの好さは理屈抜きに踊れるノリの良さにこそあり、踊れる曲は単調であればあるほど良いとも言えるでしょう。
 
 ザ・シーズが「アップ・イン・ハー・ルーム」の参考にしたと思われるのはローリング・ストーンズのアルバム『アフターマス』収録の11分半におよぶジャムセッション曲「ゴーイン・ホーム」で、同アルバムはシングル「ラスト・タイム」'65.2以来「サティスファクション」'65.8、「一人ぼっちの世界」'65.10、「19回目の神経衰弱」'66.2、「黒くぬれ!」'66.6と革新的なサウンド・プロデュースを行ってきたハリウッドのRCAスタジオ所属エンジニア、デイヴ・ハッシンジャーが全曲を手がけたアルバムでした。同作のイギリス盤は'66年4月、一部収録曲・曲順違いのアメリカ盤は'66年6月に発売されており、全英1位(チャートイン28週)、全米2位(チャートイン26週)の大ヒット・アルバムになっています。『アフターマス』時代のストーンズのダークなサウンドを求めたアメリカ西海岸の新人バンドはジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドを筆頭に、こぞってハリウッドのスタジオのハッシンジャーのエンジニアリング(プロデュース)によってデビュー作の制作を求めるようになり、やがてハッシンジャー自身が新人バンドの発掘と全面プロデュース、マネジメントを任されるようになってデビューしたバンドがジ・エレクトリック・プリューンズでした。ストーンズの11分半におよぶ当時ロック史上空前の大曲「ゴーイン・ホーム」は、イギリス盤『アフターマス』では全14曲中A面最後の6曲目とアクセント的な位置でしたが、イギリス盤未収録シングル(この収録のためにイギリス盤より発売が2か月遅れました)「黒くぬれ!」から始まり全11曲がB面最後の「ゴーイング・ホーム」で終わる構成のアメリカ盤『アフターマス』は、アメリカの新鋭バンドにアルバム構成を大曲で締める絶大な影響をおよぼしました。本作('66年10月発売)の「アップ・イン・ハー・ルーム」はそのもっとも早い例で、先に'66年8月、ポール・バタフィールド・ブルース・バンドの『イースト・ウエスト』にB面最後の13分のアルバム・タイトル曲がありましたが、もともとブルース・バンドだったバタフィールドの場合はストーンズとは無関係でしょう。以下、「ゴーイン・ホーム」と「イースト・ウエスト」、さらにその影響下から出た当時のアメリカの新鋭バンドのアルバム最終曲の大曲を列挙してみましょう。うちラヴのメンバーはハッシンジャーによるストーンズの『アフターマス』セッションをスタジオまで見学していたと証言しています。いずれも'60年代ロック史のエポック的な楽曲です。
◎Rolling Stones - Goin' Home (Decca, 1966. 4) - 11:35 :  

The Butterfield Blues Band - East-West (Elektra, 1966. 8) - 13:10 :  

◎Lovn - Revelation (Elektra, 1966. 11) - 18:57 

◎The Velvet Underground - Sister Ray (Verve, 1968. 1) - 17:28 :  

◎Quicksilver Messenger Service - The Fool (Capitol, 1968. 5) - 12:07 :  

 B面全面を使って18分を超える「レヴェレーション」を収録したラヴの『ダ・カーポ』('66年11月発売)がLP片面全面を使った長尺曲の元祖とされ(フランク・ザッパはラヴの「レヴェレーション」をマザーズがライヴでやっていた長尺即興演奏のパクりと非難しており、ラヴに先んじてボブ・ディランの2枚組大作『ブロンド・オン・ブロンド』'66.5もD面1曲、フランク・ザッパ&ザ・マザーズの'66年6月の2枚組デビュー作もD面1曲でしたが、それらはともに「ゴーイン・ホーム」と同程度の11分強・12分半で、ストーンズ以前の試みでした)、'67年1月のザ・ドアーズのデビュー作ではB面最後の「ジ・エンド」11分半(ドアーズは同年10月の第2作でもB面最後に11分の「音楽が終わったら」を収録)、'67年発売のインディー・レーベルの自主制作バンドながらザ・ビート・オブ・ジ・アースの唯一作がA面21分半・B面20分半でAB面通して1曲というカルト作で、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのデビュー作('68年5月)B面最後にはプレ・プログレッシヴ・ロック的な雄大な展開を誇る12分の「ザ・フール」があり、ロサンゼルス出身のアイアン・バタフライの第2作('68年6月発売)はB面全面にアルバム・タイトル曲「イン・ア・ガダ・ダ・ビダ」を収め短縮ヴァージョンがシングル・ヒットもし、同アルバムはアメリカのレコード産業史上初の100万枚突破(現在までに4000万枚以上)を売り上げ全米年間アルバム・チャートNo.1になりました。また徹底的に反ヒッピー的姿勢を貫いていたニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドの第2作『ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート』'68.1のB面最終曲が17分半のゲイ・ソング「シスター・レイ」でヴェルヴェットの楽曲屈指の攻撃的で反ラヴ&ピース的な曲であり、音楽的にはもっとも「アップ・イン・ハー・ルーム」(ザ・シーズの楽曲屈指の楽天的かつあけっぴろげなセックス&ドラッグ賛歌)に似ていると欧米でも多くの評者に指摘されているのは皮肉です。またこれらの長尺即興演奏への試みは当時のイギリスのバンドにはほとんど見られず、ブルースの即興演奏の下地のあるアメリカの新鋭バンドによって行われていたのは注目してしかるべき現象でしょう。クイックシルヴァーやアイアン・バタフライでは長尺の大曲がのちのプログレッシヴ・ロック、ハードロックに転換する作風の先駆をなしており、これらにティム・バックリーらのフリーフォーム・フォークやドクター・ジョンのヴードゥー・ニューオリンズ・ファンク、キャプテン・ビーフハートのプログレッシヴ・ブルースを加えると、アメリカのロックの先進性は明らかです。

 もっとも、ザ・シーズと完全に対立する立脚点にあったヴェルヴェット・アンダーグラウンドも、デビュー・アルバム('67年3月リリース)収録曲「もう一度彼女が行くところ」でストーンズのアメリカ盤『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』'65.7収録曲「ヒッチ・ハイク」(マーヴィン・ゲイ'63年のヒット曲のカヴァー)のイントロとサビのリフのパロディをやっているので、ザ・シーズもヴェルヴェットもネタ元は同じ、ということかもしれません。ともあれ佳曲揃いの本作はシーズ原点のデビュー作、またラスト・アルバムの疑似ライヴ盤『ロウ・アンド・アライヴ~イン・コンサート・アット・マーリンズ・ミュージック・ボックス』と並んでザ・シーズの最高傑作、ロック史上燦然と輝く名盤です。ヒッピー文化の便乗バンド、ザ・シーズのアルバムはロック名盤ガイドの類にはまず上がりませんが、それもカルト・バンドたるシーズの栄誉と言えるものです。どんな学生ガレージ・バンドよりもつたないこの味がわかると、シーズのアルバムは病みつきになる魅力を備えています。両手を上げてお薦めする次第です。

(旧記事を手直しし、再掲載しました)