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アモン・デュールII Amon Düül II - 神の鞭 Phallus Dei (Liberty, 1969) :
Released by Liberty Records LBS 83 279, 1969
Produced by Olaf Kubler
All tracks composed by Amon Düül II.
(Side 1)
A1. カナーン Kanaan - 4:02
A2. 善なるもの、美しきもの、真なるものへ Dem Guten, Schonen, Wahren - 6:12
A3. 堕天使ルシフェル Luzifers Ghilom - 8:34
A4. アンリエット ヒキガエルの尻尾 Henriette Krotenschwanz - 2:03
(Side 2)
B1. 神の鞭 Phallus Dei - 20:48
[ Amon Düül II ]
Shrat - bongos, vocals, violin
Peter Leopold - drums
Holger Trulzsch - Turkish drums
Dieter Serfas - drums, electric cymbals
John Weinzierl - guitar, 12-string, bass
Falk Rogner - organ
Christian Borchard - vibraphone
Chris Karrer - violin, guitar, twelve-string guitar, soprano saxophone, vocals
Renate Knaup - vocals, tambourine
Dave Anderson - bass
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ミュンヘンのヒッピー集団アモン・デュールがかたやノン・ミュージシャン指向で制作したデビュー作が1969年の『サイケデリック・アンダーグラウンド』なら、同年に発表されたアモン・デュールIIはアモン・デュールからプロ・ミュージシャン指向の強いメンバーが分かれて、本格的な国際進出を期してデビューしたバンドでした。『サイケデリック・アンダーグラウンド』『崩壊』『楽園へ向かうデュール』の3作を残して消息を絶ったオリジナル・アモン・デュールも素晴らしいアルバムを残して伝説化しましたが、アモン・デュールIIの方は1981年までに15作(うち2枚組LP3作)を残し、後期はポップ化・マンネリ化して解散したので侮られがちな存在です。しかし1980年代にはオリジナル・メンバーの一部がアモン・デュール名義で細々とイギリスのインディー・レーベルからの新作リリースを続け(のちに「アモン・デュールU.K.」と区別して呼ばれるようになりました)、1996年以降は全盛期メンバーが再集結してアモン・デュールIIを再結成、以降現在でも散発的にライヴ活動と新作制作を行ってドイツ最古参バンドとなり、結成55年になってなおも現在なのは驚くべきことで、しかも近年のライヴ音源を聴いても衰えもなく、本作を始めとする全盛期の作風のままパワーアップしているほどで、新曲のスタジオ盤では全盛期ほどの名曲がないとはいえ、もはやほとんど主要メンバーが鬼籍に入っている往年のクラウトロックのバンドでは、アモン・デュールIIは残るべくして残った観があります。
アモン・デュールは素人集団、デュールIIはプロ集団だったのをありありと示すのがこのデビュー作『神の鞭』で、A面は作曲された4曲、B面のタイトル曲は1曲でまるまるB面を占めるサイケデリックな即興演奏を収めた、デビュー作としては最高水準の名盤になりました(世界各国盤、現行CDではAB面が逆転しているプレスもあります)。1969年はやはり国際的成功を収めることになるカンのデビュー作『モンスター・ムーヴィー (Monster Movie)』の年でもありますが、翌1970年にはアモン・デュールIIは2枚組大作『地獄 (Yeti)』でイギリス、フランス、アメリカを始めとする欧米諸国と日本でも国際進出を果たします。1970年にはクラフトワークのデビュー作『クラフトワーク (Kraftwerk)』、タンジェリン・ドリームの『瞑想の河に伏して (Electronic Meditation)』、グル・グルの『UFO』がリリースされ、1971年にはポポル・ヴーの『猿の時代 (Affenstunde)』、ファウストの『ファースト (Faust)』アシュ・ラ・テンペルの『ファースト (Ash Ra Tempel)』のリリースとともにカンがLP2枚組大作『タゴ・マゴ (Tago Mago)』によってアモン・デュールIIの『地獄 (Yeti)』に続く国際進出を果たします。アモン・デュールIIはさらに2枚組大作の第3作『野鼠の踊り (Tanz der Lemminge)』をリリースし、国際的な最先端バンドの地位を固めました。アモン・デュールIIやカンの影響を受けたイギリスのホークウインド、フランスのゴング(デビューは1969年ですが、当初は実質的に元ソフト・マシーンのリーダー、デイヴッド・アレンのソロ・プロジェクトでした)のようなバンドも現れました。タンジェリン・ドリームとクラフトワークの国際進出は1974年(『フェードラ (Phaedra)』と『アウトバーン (Autobahn)』)ですから、電子音楽系のバンドと見なされるタンジェリンやクラフトワークに先立って、デュールIIとカンは強烈なサイケデリック~プログレッシヴ~ヘヴィ・ロックのジャーマン・ロックによって国際進出を果たしています。
カンの『モンスター・ムーヴィー』もA面3曲・B面1曲の大作でしたが、アモン・デュールIIの『神の鞭』もA面4曲・B面1曲と同様の構成をとっており、ドアーズの「ジ・エンド (The End)」とヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「シスター・レイ (Sister Ray)」とアイアン・バタフライの「ガダ・ダ・ビダ (In-A-Gada-Da-Vida)」が『サイケデリック・アンダーグラウンド』に乗じて一斉砲火してくるようなサウンドです。5人編成の標準的なバンドだったカンに較べると、デュールIIはこのデビュー作では10人編成(!)とやたら多い人数(それはアメリカ盤のジャケットによく表れており、筆者が初めて聴いたのはアメリカ盤だったので、アメリカ盤ジャケットにも愛着があります)がヒッピー集団出身の痕跡を残していますが、デュールIIの場合はそれでいいので、無駄に多いメンバーが一見乱雑、よく聴くと整然と野卑な演奏をくり広げているのが魅力となっており、男女のリード・ヴォーカリストがいるのもジェファーソン・エアプレインやフェアポート・コンヴェンション的ですが、本作のA2のデフォルメされたカウンターテナーのような歌声を聴いてすぐに女性ヴォーカルとわかるリスナーは少ないのではないでしょうか。デュールIIの歌姫レナーテ・クラウプさんはこの後参加したりしなかったり他バンドとの掛け持ちにと活動を広げ、'70年代後半にはバイエルンのグループ、ポポル・ヴーのリード・ヴォーカルの方が比重が高くなり、また本作とセカンド『地獄』に参加しているイギリス人ベーシストのデイヴ・アンダーソンは2作で脱退しホークウインドのセカンド『宇宙の探求 (In Search Of Space)』(United Artists, 1971)に参加、ホークウインドのジャーマン・ロック化に貢献し、デュールIIが解散した'80年代にはイギリスのインディー・レーベルから「アモン・デュール」を襲名して1983年~1989年に4作を発表、前述の通りのちに「アモン・デュールU.K.」と呼ばれて区別されますが、当時はリスナーに混乱を招きました。
アモン・デュールIIは英米の批評家・リスナーにも、英米流のサイケデリック・ロックとは明らかに異なる、ダークで凶暴な音楽性とサイケデリック・ロック、プログレッシヴ・ロックの渾然一体としたヘヴィ・ロックで大きな衝撃を与え、また西ドイツ国内でも「ピンク・フロイドやヴェルヴェット・アンダーグラウンドに匹敵するオリジナリティとパワーを持ったバンド」と高く評価されるとともに、映画音楽やバンド自身の映画出演(R・W・ファスビンダーの『ニクラスハウゼンへの旅』1971の劇中バンドの演奏場面など)に起用されドイツ語圏のヒッピーの象徴的バンドになりました。『サイケデリック・アンダーグラウンド』のオリジナル・アモン・デュールはライヴも行わない純然たるレコーディングのみのアンダーグラウンドな存在でしたが、分家のアモン・デュールIIは本格的な国際進出を果たし得る最有望バンドとして早くから注目されたのです。本作のレコーディング時には30分のライヴのドキュメンタリー映画も制作され、続いて制作された同じスタッフによるカンのライヴ・ドキュメンタリー映画(60分)とも、当時20代半ばのヴィム・ヴェンダースがカメラマンを勤めていることでものちに再評価されました。アモン・デュールIIの全盛期のアルバムはカンとともにジャケット・アートも秀逸ですが、現在はDVD化されているライヴ・ドキュメンタリー映画で観ることのできるアモン・デュールII、カンの初期のステージは視覚面でも音楽に劣らず呪術的な魅力に満ちており、相次いでイギリス公演、フランス公演を大成功させて外国でも根強いファンを獲得したのも納得のいく、熱狂的なライヴを観ることができます。
◎Amon Düül II - Phallus Dei (Live, 1969) :
『サイケデリック・アンダーグラウンド』『崩壊』『楽園へ向かうデュール』の方のオリジナル・デュールをいくら賞賛しても、アモン・デュールIIの濃密な音楽性とプロフェッショナルな意識の高さには感服せざるを得ません。これは確かな力量と抜群のセンス、確立したオリジナリティを持ったバンドならではで、アマチュア集団の勢いと録音の編集加工の工夫で成り立っていたオリジナル・デュールにはたち打ちできない音楽です。1969年はエアプレインは『ヴォランティアーズ (Volunteers)』、グレイトフル・デッドは『アオクソモクソア (Aoxomoxoa)』、ヴェルヴェットは『サード (The Velvet Underground)』、フランク・ザッパは『ホット・ラッツ (Hot Rats)』を発表し、またイギリスではキング・クリムゾンのデビュー作、ムーディー・ブルースの『夢幻 (On The Threashold of A Dream)』とピンク・フロイドの『ウマグマ (Ummagumma)』があり、ビートルズの『アビー・ロード (Abbey Road)』がリリースされた年でした。アモン・デュールIIの『神の鞭』とカンの『モンスター・ムーヴィー』はそれら英米ロックの最先端より鼻の差以上の異常な音楽性で突き抜けたのです。コンパクトながら悪夢的な曲が並ぶA面、泥沼のようなインプロヴィゼーションがまるまる占めるB面の本作はロック・バンドのデビュー・アルバムとしては最高峰と言える大傑作です。しかもアモン・デュールIIは1974年の7作目までこの水準よりさらに高いか、少なくとも本作と同等のアルバムを作り続けたのです。
(旧記事を手直しし、再掲載しました。)