アモン・デュール(3) 楽園へ向かうデュール (Ohr, 1971) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アモン・デュール - 楽園へ向かうデュール (Ohr, 1971)
アモン・デュール Amon Düül - 楽園へ向かうデュール Paradieswarts Düül (Ohr, 1971) :  

Released by Metronome / Ohr Records OMM 56.008, West Germany, 1971
(Seite A)
A1. 愛、平和、自由、そして調和 Love in Peace - 16:56
(Seite B)
B1. 雪で喉を潤し太陽の祝福を Snow Your Thurst and Sun You Open Mouse - 9:25
B2. 平行幾何学の世界 Paramechanische Welt - 7:34

(CD Bonus tracks)
4. 永久の流れ Eternal Flow (Single A-Side) - 4:14
5. 平行幾何学の世界 Paramechanische World (Single B-Side) - 5:49
Amon Düül ]
Dadam (Rainer Bauer) - guitars, vocal
Ulrich (Ulrich Leopold) - bass, chorus, piano
Lemur - percussion, chorus, guitars
Helga - percussion
Hansi - flute, bongos
Ella - harp, bongos
Chris - bongos
(Original Ohr "Paradieswarts Düül" LP Liner Cover & Seite 1/2 Label)

 たまたま今日は憂鬱な曇り日だったのでなおさら痛感されるのかもしれませんが、本作のようなアルバムが教えてくれるのは歴史を遡航することはどんな旅(トリップ)より困難で、こうしたタイム・カプセルのような音楽に耳を傾けることによって想像力を働かせるしかないということです。1968年末に同時録音された第1作『サイケデリック・アンダーグラウンド』と第2作『崩壊』を姉妹篇とすれば、アモン・デュールの第3作『楽園に向かうデュール』は1年半後のレコーディングで、メトロノーム・レコーズ傘下に創設されたアンダーグラウンド・ロックの新興インディー・レーベルOhr(耳)からシングル「永久の流れ (Eternal Flow)」と共にリリースされました。ちょうどアモン・デュールIIがセカンド・アルバム『地獄 (Yeti)』を録音中で、そのアモン・デュールIIの2枚組大作の最終曲はオリジナル・デュールのメンバーがゲスト参加して『楽園に向かうデュール』と同じ路線の作風になっています。その曲を先にご紹介しますが、『サイケデリック・アンダーグラウンド』でも曲名に頻出した「サンドーズ(Sandoz)』とは当時西ドイツで出回っていたLSDの商標名だそうです。この曲はインプロヴィゼーションと名銘っていますが、演奏力の確かなデュールIIのメンバーとの合同演奏が功を奏して『楽園に向かうデュール』収録曲に引けを取らない陰鬱なアシッド・フォークの名曲になっています。
Amon Düül II - Sandoz in the Rain (Improvisation) (from the album "Yeti", Liberty, 1970) 

 この第3作『楽園へ向かうデュール』にしてもシングル「永久の流れ」やデュールIIの『地獄』でゲスト参加した「雨の中のサンドーズ」にしても、あまりに『サイケデリック・アンダーグラウンド』や『崩壊』からの変貌ぶりに驚きますが、『楽園に向かうデュール』は実質的にはすでに解散(アモン・デュールはミュージシャンではなくヒッピー・コミューンだったので、離散と言った方がいいでしょう)状態にあったアモン・デュールのギターとヴォーカルのダダム(ことライナー・バウアー)とベースのウルリーヒ(ことウルリーヒ・レオポルド)だけが残って制作した、沈鬱なアシッド・フォーク・ロックのアルバムです。強烈凶暴な『サイケデリック・アンダーグラウンド』『崩壊』の抜け殻か残骸のような作品でもありますが、アモン・デュールのサイケデリック感はアメリカやイギリスのフラワーなサイケデリアとは違う自己破壊的なバッド・トリップ感覚でしたから、本質的な部分では変化はないとも言えます。A面1曲、B面2曲と『サイケデリック・アンダーグラウンド』同様に大作を連ねた構成に見えますが、スローテンポのシンプルな曲をだらだらやっているから長いだけで、本作の場合はそれが悪夢的で陰鬱なムードとアルバムのトータル感を高めています。3~4分前後の曲を10曲前後収める標準的な構成だったら本作のような効果は得られなかったでしょう。前2作では編集やエフェクトによって演奏断片を巧妙にアルバム化していましたが(『~アンダーグラウンド』ではシームレスに、『崩壊』では断片のままに)、本作では録音作品的なギミック以前にシンプルながら作曲とアレンジにも冴えを見せており、A1に顕著ですが二本のギターとベースがさりげなくズレたリフでポリリズムを作り、ヴォーカル・パートではいつの間にか転調しているなど曲作りもうまく、はっきり歌詞が聴きとれる英語詞のヴォーカルもしっとりと脱力感を湛えた良いものです。B1は5分半目から曲調が変わってアコースティックなアンサンブルになりますが、よく聴けばジェファーソン・エアプレインの「Comin' Back To Me」のギター・リフがさりげなく出てきます。B2もギターが弾いているリフはニール・ヤングの「Down By the River」です。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945-1982)の長編映画(制作順)第8作『ニクラスハウゼンへの旅』(1970年10月)はペーター・ラーベンの音楽監修の下アモン・デュールIIが出演・演奏していますし、同作より早く制作された第5作『リオ・ダス・モルテス』(1971年2月)ではやはりラーベン音楽監修でパールズ・ビフォア・スワインのデビュー作のアシッド・フォーク・ロック『One Nation Underground』(ESP・1967年10月)がBGMに使われ、この2作はどちらも西ドイツのヒッピー映画ですから当時アモン・デュールIIは西ドイツのヒッピーに絶大に支持され、ヒッピーのコミューンではニューヨークのインディーのパールズのESP盤まで日常的に聴かれていたのがわかります。映画からもそうした背景が伝わるので、エアプレインは1967年2月、ニール・ヤングは1969年5月のアルバムですからアモン・デュールのメンバーやその支持層が聴いていないはずはありませんが、パクりでもオマージュでもない堂々とした本家どりになっています。また、このアルバムは歌詞だけでなく、曲名や担当楽器クレジットも相変わらずのニックネームだけながら英語表記になりました。

 本作はオール・レーベルの親会社メトロノーム・レコーズとの契約満了のため制作されたとおぼしく、プロ・ミュージシャンのバンドだった分家のアモン・デュールIIが国際的活動に進出したのに対してヒッピー集団のアモン・デュールのメンバーはほぼ消息を絶ってしまったので、英語詞の採用に国際進出の意図はなかったでしょうが、完全な解散後に発表された、ともにLP2枚組の未発表テイク集『Disaster』1972、『Experimente』1984を含めて全5作のアモン・デュールのアルバムでは唯一ロック、フォークらしい作風に近づいています。もともとアモン・デュールに曲らしい曲や歌詞らしい歌詞は出てこないのですが、本作(とシングル「永久の流れ」、アモン・デュールII『地獄』へのゲスト参加曲「雨の中のサンドーズ」)では英語詞を採用することでデュールとしては例外的に曲らしい曲、歌らしい歌になったと言えます。そして本作はオリジナル・デュールの白鳥の歌のような、失踪を告げる置き手紙のようなアルバムになりました。そういうものですから本作がバッド・トリップを通過した後のような虚脱感と憂愁に満ちたアシッド・フォーク系ロック作品になったのは、ごく自然な成り行きだったと思われます。

 アモン・デュールのアルバムは著作権が長く不明だったためCD化が遅れ、海賊盤を除けば1995年に初めて日本のインディー・レーベルで初の一斉CD化が行われました。著作権はなぜかアモン・デュールIIのクリス・カーレルとペーター・レオポルド(アモン・デュールのウルリーヒ・レオポルドの兄弟)が保有しており、オリジナル・デュールのメンバーは唯一のちにライナー・バウアーがハード・ロック・バンドの「Gift」に参加したのが確認されているだけで、バウアー含めて以後消息不明になっています。本作がアシッド・フォーク・アルバムになったのはやはりデビュー作、セカンド・アルバムで過激な作風だったヴェルヴェット・アンダーグラウンドが一転してアシッド・フォーク的なサウンドに転じたサード・アルバム(1969年)が念頭にあったのかもしれませんが、この失踪予告のようなアルバムのタイトルが『楽園に向かうデュール』とは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド以上のダウナーなユーモアを感じさせます。アモン・デュールがフランク・ザッパ&マザーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド影響下に生まれたバンドだったのは確かだったとしても、アモン・デュールにはザッパやルー・リード、ジョン・ケイルのような強力な音楽的リーダーはおらず、『サイケデリック・アンダーグラウンド』と『崩壊』も兄弟バンドでプロ・ミュージシャン指向のアモン・デュールIIの結成のため離れていくメンバーが残していった音楽的モチーフを素材にしたものでした。『楽園へ向かうデュール』はライナー・バウアーとウルリーヒ・レオポルドのデュオに旧メンバーがサポート程度に協力したもので、ダダムことライナー・バウアーのソロ・アルバムと言っていいアシッド・フォークのシンガー・ソングライター作品として聴けるアルバムでもあり、完成度も『サイケデリック・アンダーグラウンド』や『崩壊』とは異なる方向性の作風で非常に高く、ジャーマン・エクスペリメンタル・ロック再評価の先鋒をなしたジュリアン・コープの『Krautrocksampler』、また欧米の音楽サイトではオリジナル・アモン・デュールのアルバムでは本作が最高傑作とされています。しかし実質的な一時的再結成アルバムの本作は1作きりのプロジェクトであって同じ路線で次作を作れる性質の作品ではないのも明らかで、オリジナル・デュールの音楽性は全盛期メンバーによる'90年代の再結成以降今なお現役活動中(結成55周年!)のアモン・デュールIIに吸収されたと見なされている観があります。LSDは強烈な統合失調様状態の幻覚を引き起こし、その常用は重篤な統合失調症に至らしめることが'70年代には判明しましたが、本作はヒッピー文化がまだLSDに感覚拡張の可能性を見ていた時代の作品です。実際当時の多くのアーティストが重篤な精神疾患に陥り活動を絶っています。アモン・デュールIIの長いキャリアからすればオリジナル・デュールは初期の短命なサブ・プロジェクトだったとも言えるので、オリジナル・デュールは短命に終わるべくして終わった存在でもあるでしょう。

 逆にオリジナル・デュールの『サイケデリック・アンダーグラウンド』『崩壊』『楽園へ向かうデュール』の3作の強力な刹那的感覚は、もっと音楽的発展性のある方向に向かったデュールIIでは早くから整理されたので、バッド・トリップのまま廃疾者のように失踪してしまったオリジナル・デュールの方はおそらく今後も復帰・再結成など考えられず、その感は『楽園へ向かうデュール』でもっともぎりぎりの淵で暗く陰鬱に表れていて、このどこまでも沈んでいく音楽的な闇はピンク・フロイドの『狂気』や『炎』を予告して、しかもその閉塞感はフロイドの比ではありません。しかもオリジナル・デュールは完全に消滅したその後もメンバー消息不明のまま、おそらくメンバーの意図しない未発表音源の発掘リリース2作(それぞれアナログLP2枚組)が続くのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)