サン・ラの太陽中心世界・第二集/第三集 (ESP-Disk, 1966) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

サン・ラの太陽中心世界・第二集 (ESP-Disk, 1966)
サン・ラの太陽中心世界・第二集 The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Two (ESP-Disk, 1966) :  

Released by ESP-Disk ESP1017, 1966
All songs written and arranged by Sun Ra
(Side A)
A1. The Sun Myth - 17:20
(Side B)
B1. A House of Beauty - 5:10
B2. Cosmic Chaos - 14:15
[ Sun Ra and his Solar Arkestra ]
Sun Ra - piano, tuned bongos and clavioline
Marshall Allen - alto saxophone, piccolo, flute
Pat Patrick - baritone saxophone
Walter Miller - trumpet
John Gilmore - tenor saxophone
Robert Cummings - bass clarinet
Ronnie Boykins - bass
Roger Blank - percussion 

(Original ESP-Disk "The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Two" LP Liner Cover & Side A Label)

 1965年にサン・ラ・アーケストラはアルバム5枚分を録音しており、そのうち4月20日録音の『The Heliocentric Worlds of Sun Ra (邦題『サン・ラの太陽中心世界』)』(『Volume Two』発売後、カタログ上では『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One』と改題)と11月16日録音の本作『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Two』はフリー・ジャズとアンダーグラウンド・フォークとロックの新設レーベル、ESP-Diskからのリリース作品で、サン・ラが初めて国際的に注目されたアルバムです。もっともサン・ラはアメリカ国内でもシカゴのローカル・ジャズマンとして伝説的な存在ながらも全国的にはほとんど無名だったので、'60年代にニューヨークに進出してからは足かけ5年自主レーベルのサターンからリリース保留のアルバムを制作する以外ほとんどライヴ活動の機会に恵まれませんでした。メンバーたちは共同生活し、音楽以外のアルバイトで生計を立てセッション活動でバンドを維持し、ようやくアーケストラがニューヨークのフリー・ジャズ・シーンに迎えられて本格的にライヴ活動ができる状況になったのは1964年6月以降です。1961年末のニューヨーク進出以来、よくバンドが空中分解しなかったと思えますが、それだけのカリスマがサン・ラにはあったということでしょう。

 リーダーでピアニストのサン・ラ以外にシカゴからついてきたメンバーはサックス・セクションの3人(マーシャル・アレン、ジョン・ギルモア、パット・パトリック)とベースのロニー・ボイキンスで、ギルモアとパトリックは1956年録音のデビュー作からのメンバー(ギルモアは1953年参加、パトリックもほぼ同期)、アレンとボイキンスは1958年からのメンバーです。サン・ラ・アーケストラの名がニューヨークのジャズマンに徐々に浸透してシカゴに残留していたメンバーや現地参加メンバーも増員していったのは、シカゴ時代からの中核メンバーたち、特にテナーサックスのジョン・ギルモアの積極的なセッション活動の功績が大きく、シカゴ時代すでにブルー・ノート・レコーズから同郷のテナーのクリフ・ジョーダン(のちチャールズ・ミンガスのグループに加入)と2テナー・アルバムを持っていたギルモアですから(『Blowing in From Chicago』1957)、ギルモアの知名度が、ジャズ界に限るとはいえサン・ラへの注目につながった面があります。またニューヨーク進出後にアーケストラの音楽はスタイルを刷新しますが、サン・ラより10歳~20歳若いメンバーたちはビ・バップ以降のジャズマンであり、シカゴ時代のハード・バップからニューヨーク進出後のフリー・ジャズに対応できる世代だったのも見過ごせません。アーケストラはビッグバンド世代では最年少だったサン・ラがポスト・バップ期に成功したバンドで、リーダーとメンバーたちの年齢差がむしろ音楽のハイブリッド性にプラスに働いた幸運なチームでした。スポーツに例えればプレーヤー個人の力量に頼る競技よりも、チームと監督に近い関係にあったバンドがサン・ラ・アーケストラでした。

 サン・ラ・アーケストラ1965年のアルバムは2枚の『The Heliocentric Worlds~』の間に前回と前々回にご紹介したサターン・レーベルからの幻の異色作『Other Strange World』と力作『The Magic City』があり、特に名盤と名高い後者はB面3曲は録音日時不明ながら1965年春頃の黒人運動家オラトゥンジ主宰の黒人文化センターでのライヴ、27分半の大曲からなるA面は1965年9月24日(推定)でした。収録時間は45分20秒あり、サン・ラのサターンからのアルバムは即発売された計画的なリリース作品は40分台の長時間収録ですが、リリース保留のままで遅れて発売されたものは30分に満たない場合が多いのです。『The Magic City』はA面スタジオ録音の大作、B面ライヴ(しかもスタジオ録音に劣らない音質)とサン・ラのサターン盤では最上の作品でした。『太陽中心世界』に当初から続編の構想があったのかはわかりませんが、『Volume Two』と同日に『Volume Three』も同メンバーで録音された記録があり、それが遂にCD化されたのは2005年、ESP-Diskが過去のカタログの再リリース(それまではドイツのZYXレーベル、日本のヴィーナス・レコードなどアメリカ以外のレーベルからCD再発されていました)とともに、お蔵入りしていた未発表録音を初発売するシリーズを始めてからです。『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume Three』はその第1弾で、2010年には3部作をまとめた3枚組の廉価盤セットも発売されました。

 ESPレーベルはクラシックやジャズのレコードでは慣例になっているLPジャケット裏のライナー・ノーツをあえて掲載せずに、ミステリアスで非商業的なイメージを方針にしていました。メンバーや録音データすら明記していない時もありました(実際は音源の保管やデータ管理もしっかりしていました)。意図してライナー・ノーツを掲載しない、メンバーやデータもあいまいなのはサターン・レーベルのアルバムと体裁は同じでした(サターン盤の場合は録音年月日不明から起こったことですが)。サン・ラはライナー・ノーツの代わりに詩を載せることがあり、『Volume Two』には割合しっかりしたデータとサン・ラのポートレイト写真、詩が裏ジャケットに掲載されていますが、同日録音なのが確かとすれば『Volume Two』と『Volume Three』が録音されて前者だけ発売されたのか、全8曲が録音されたうち採用テイクだけを集めて『Volume Two』として発売されていたのかは不明です。もし後者の通りの事情だったのなら実は『Volume Three』という未発表アルバムは存在せず、単に『Volume Two』セッション時の没テイク集に過ぎなくなります。
The Heliocentric Worlds Of Sun Ra Volume Three (ESP-Disk, 2005) 

Released by ESP-Disk ESP4002, 2005
(Tracklist)
1. Intercosmosis - 17: 05
2. Mythology Metamorphosis - 4:17
3. Heliocentric Worlds - 4:18
4. World Worlds - 5: 09
5. Interplanetary Travelers - 5:06
(Original ESP-Disk "The Heliocentric Worlds of Sun Ra" 2010/3CD Edition Front Cover)
 録音から40年を経て発掘された『Volume Three』のCD内容は上記の5曲ですが、収録時間を見るとアナログLPのA面に1曲(冒頭の「Intercosmosis」)、2~5の4曲がB面でちょうどLP収録時間にうまく収まるようになっています。内容は『Volume One』の室内楽的構成や『Two』の抽象度よりも『The Magic City』や『The Heliocentric Worlds~』に先立つサターン盤に近いもので、おそらく『Volume One』と『Two』が残された最終ミックス・マスターによるのに対して、『Volume Three』はミックス作業されていないマテリアルからCD化に当たってマスターが作成されたのではないかと思われます。バンドの自主制作によるサターン盤は貧弱な機材ながら演奏のパワーを抑制しない録音が特徴でした。ESP盤の音質には定評がありますが、『Volume One』では10人、『Two』と『Three』でも8人というのはESPの他の契約アーティストには類のない大編成です。サターン盤と較べると音質を優先してコンパクトなミックスになった観が否めませんが、『Volume Three』はCD時代になって録音から40年を経て発掘された利があり、迫力のある音質で'60年代のピーク時のアーケストラが聴ける点で落とせません。おそらくA面全面に予定されていた大曲「Intercosmosis」が白眉でしょう。ただしパーカッション曲の2、4ビート曲の3、5などは1963年頃の作風をESP向けにリメイクしたとも見え、サン・ラ側でも『Two』の優先発表を希望し、ESPでも『Three』の発売のタイミングを逃したとも思えます。一方ESPからの次作であり公式アルバム初の全編ライヴ盤『Nothing Is』1966は録音年の1966年にすぐに発売されました。

 アルバム・ジャケットでサン・ラが中央に配置された肖像画は、ティコ・ブラーエ(16世紀デンマークの天文学者)、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、ガリレオ、ピタゴラスとすごいことになっており、ここまで露骨なハイプ(誇大宣伝)はサターン盤のジャケットでもやっていなかった頃ですが、ESP-Diskは良くも悪しくもフリー・ジャズをニューヨークのアンダーグラウンド・シーンから国際的な商品に仕立て上げたレーベルでした。サン・ラ・アーケストラ=自称土星人のバンド・リーダー率いる宇宙ジャズのバンド、というキャラクターを広めたのもESPですが、これは1955年以来サン・ラ自身が作り上げていた設定です。ESPはアーティストに完全なアルバムの決定権を与える代わりにギャラは組合規定の最低額以上は払わずレーベル運営費に計上する、という痛し痒しの事情があり、ESPで成功したアーティストはすぐに他のレーベルに移ってしまうのも仕方のないことでした。サン・ラも『The Heliocentric~』2作のリリース後はESPにはライヴ盤『Nothing Is』しか残していません。

 この『Volume Two』は一般に名盤とされる『Volume One』ほどには評価は高くありません。発表当時も第一集には及ばないとされましたが、サン・ラが『太陽中心世界』1作きりではないアーティストと批評家に認知させる役割を果たすだけの高水準のアルバムにはなりました。『Volume One』で聴かれたピアノとエレクトリック・チェレステ、サン・ラ自身が演奏するバス・マリンバのうちエレクトリック・チェレステは『Volume Three』でも聴けますが、『Two』ではアルコ(弓弾き)奏法によるベースがテーマを奏で、継いでテーマ変奏にサックスが絡み、ピアノが入ってくるのは6分半近くになってからです。アーケストラのサックス奏者は極端に無機的で抽象度の高い奏法を要求されるか、逆に極端に肉声化した奏法かに分かれますが、『Volume One』と『Two』は前者、『Three』は後者で、特に『Two』の抽象度は電子音に近いフラジオ奏法の多用にもうかがわれます。『Two』でサン・ラが使用するエレクトリック・キーボードはクラヴィオリーヌですが、音色がサックスのフラジオ音と酷似しているため混沌とした印象を受けます。マーシャル・アレンがピッコロで活躍するB1では2分台から1分ほど抒情的なピアノ・トリオ演奏が聴け、アコースティック・ピアノになる箇所ではベースが美しいピチカート奏法を聴かせてくれます。B2はストップ・タイムを多用してサックス陣のリズム・ブレイクをフィーチャーした曲で、リズム・パターンをテーマの役割にしたアイディアの曲です。7分半からリズム・ブレイク後にあるドラムスとサン・ラ自身によるコンガのデュオにはテープ編集の痕跡があり、クラヴィオリーヌによるものか、メロトロンに近い音色のドローンが鳴っています。シンバル類の音色に位相の変化があり、こういう細工があるからサン・ラのアルバムは聴いてみないとわからない好例です。この『第二集』は『太陽中心世界』第一集よりもさりげなく、しかし注意して聴くほど凝った意欲作ですが、もっと親しみやすいサン・ラのアルバムになじんでからの方が聴きどころをつかみやすいかもしれません。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)