ボリス・ヴィアン再説 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。




 先に日本語訳『ボリス・ヴィアン全集』について触れた時、掲載後に書き足した部分があるので、まずはそちらから抄出しましょう。

「近年は『お前らの墓につばを吐いてやる』と改題されて新訳刊行されている旧邦題『墓に唾をかけろ』は、フランスでの映画化が昭和35年1月に日本公開された時の邦題(『墓にツバをかけろ』)から取ったと思われます。『勝手にしやがれ』(原題「息がきれるぜ」、昭和35年3月日本公開)と同時期なので、主語も目的語も省略した意訳ですが、簡潔に強烈なムードが伝わる点ではいかにも映画的な旧邦題も捨てがたいと思います。
 
 ボリス・ヴィアン(1920~1959)はヴァーノン・サリヴァン作/ボリス・ヴィアン訳名義で長編4作、本名での文学作品を6長編書いていますが、伊東守男氏が中心になって出された早川書房の『ボリス・ヴィアン全集』は装丁・造本も洒脱で、訳者の方々の熱意が伝わってくる素晴らしい画期的刊行でした。全集以前に翻訳刊行されていたのは新潮社からの『日々の泡』、早川書房からの『北京の秋』『墓に~』だけだったので、世界初のヴィアン全集だったという早川書房版全集に愛着を持っている読者も多いでしょう。当時はフランス本国ですら発禁書『墓に~』は入手困難、と訳者あとがきにありました。
 
 人気作『日々の泡』(『うたかたの日々』)が好き、という読者とヴィアン作品は全部好き、という読者に分かれるかもしれませんが、今思うとボリス・ヴィアンはたぶんヴィアンなど読んだことのないリチャード・ブローティガンに似ている気がします。『ビッグ・サーの南軍将軍』『西瓜糖の日々』なんかそっくりです。ブローティガンと類似を語られるカート・ヴォネガットは全然ヴィアンと似ていないので、パリ的なサロン感覚とアメリカ西海岸的開放感が作風を大きく別けますが、意外と本質的な感覚は同じような気がします。

 早川書房版全集を引っ張りだしてあちこち読み返しましたが、最初に『日々の泡(うたかたの日々)』『北京の秋』や『墓に椿をかけろ』を読んだ時から、ヴァーノン・サリヴァン偽名四部作と本名で出された文学作品が同じ作者として違和感がないのは、どちらもユートピア小説だからではないかと思えます、ユートピアとは宗教的な意味での神はおらず、残虐なことも不条理なことも豊かな抒情も悲痛なこともひっくるめて面白い空想だけに満たされた世界で、その点『日々の泡』のパリも、『北京の秋』のエクゾポタミーも、『墓に~』のアメリカも、登場人物たちの悲喜こもごもも、ヴィアンの空想力にとっては同じ次元の空想力だけが生んだ世界です。ヴィアンのルーツはアルフレッド・ジャリ、師匠はレイモン・クノーですが、ジャリやクノーになくてヴィアンにあるのは薄っぺらであっけないほど生に隣した死の感覚が漂うことで、そこがブローティガンとの親近性を感じさせます。ヴォネガットになくてブローティガンにあったのはやはり想像力のユートピア指向とあっけない生と隣り合わせの死へのオブセッションで、どちらも神なきユートピア小説の作家だったからか、やはりユートピア小説、ただし敵対する神がいるサド公爵よりさらに空想力のみに徹底していて、フランス文学におけるヴィアンの位置と同様にアメリカ文学でもブローティガンは孤立しています。ヴィアンの不幸な早逝もブローティガンの痛ましい自殺もそうした性格の作家ゆえの帰結に思え、またそうした作風だからこそ日本の読者に訴えかける力が強いように思えます。」
 基本的には上記の感想は変わっていませんが、久しぶりにヴィアン全集を読んで、いちばん面白く読めたのは詩集(シャンソン歌詞集)、ジャズ時評集の第9巻『ぼくはくたばりたくない』でした。ヴィアンがセミプロ級のジャズ・トランペッターとしても活動していたのは有名な話ですが、初読した当時には筆者はジャズについてまったく無知だったので、さんざんジャズを聴いてきた今ではヴィアンのジャズ時評をヴィアンが聴いていただろうアルバム群やアメリカのジャズ動向とともにようやく当否がわかります。「デューク・エリントンとニューオリンズ・ジャズ、そして可愛い女の子の他は何も要らない、醜いんだから」というヴィアンの発言は有名ですが、実際にはヴィアンのジャズ時評はビバップ最盛期~ハード・バップ流行期に雑誌掲載されたもので、ヴィアンは最新のアメリカのジャズ雑誌の記事とその時々の新譜を聴いて時評を寄稿しています。特にヴィアンはナット・ヘンホフのジャズ時評にもっとも信頼を置いているのを端々で強調しています。ヘンホフはジャズ批評からジャーナリズムの重鎮になったユダヤ系アメリカ人の批評家ですが、先取の気風に富むというより時流に乗るのに巧みで、戦略的に黒人ジャズの反逆性を強調することでジャズ・ジャーナリズムの最先端に立っていた存在でもありました。そうしたヘンホフの狷介さに、ヴィアンが気づいていたとは思えません。

 ヴィアンのジャズ時評は一貫して黒人ジャズ至上主義で、レニー・トリスターノ、リー・コニッツ、ジェリー・マリガンらビバップ~ハード・バップ時代にもっとも硬派だった白人ジャズマンすら退屈と退けています。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスビー、マイルス・デイヴィスら黒人ジャズのトップ・プレイヤーを絶讚するのはいいのですが、白人ジャズをこきおろすことでいっそう黒人ジャズを持ち上げる論法は感心できないものの(トリスターノ、コニッツ、マリガンらはもっともビバップを理解し、パーカーやディジー、マイルスらからも信頼されていた白人ジャズマンでした)、黒人ジャズでなければ優れたジャズではないというヴィアンのスノビッシュなジャズ観は頑ななまでに伝わってきます。『ぼくはくたばりたくない』には未収録ですが、ボリス・ヴィアンがジャズについて書いたエッセイで一番知られているものはルイ・マルの映画『死刑台のエレベーター』(1958年)に、フランス滞在中のマイルス・デイヴィスがフランスのジャズマンたちと吹き込んだサウンドトラック・アルバム『死刑台のエレベーター』のライナーノーツでしょう。ヴィアンはスタジオでの録音を取材し、「マイルスはスタジオでラッシュ・フィルムの上映を観ながら完全即興でサウンドトラックを録音した」(大意)とライナーノーツに書き、長年それが信じられてきました。のちのデータ精細やCD化の際に発掘された未発表別テイクで、マイルスは事前にメンバーたちと映画のセグメントごとに作曲した上でリハーサルを積み、録音したテイクをさらに厳選して完成度の高いリミックスまで煮詰めたと判明しますが、ヴィアンは当然それを知っていて「ラッシュ・フィルムを観ながら完全即興録音」という神話作りに手を貸したのです。
 ボリス・ヴィアンの小説も発想は同じで、ヴィアンにとって都合良く快適なファンタジーを選り好み、それ以外を切り捨てた所に成立していると解することができます。たとえそれが悲痛で痛切なものであっても、というより、ヴィアンにとってはその効果のために現実はことごとく濾過されているのです。それは文学作品として書かれた『アンダンの騒乱』『ヴェルコカンとプランクトン』『うたかたの日々(日々の泡)』『北京の秋』『赤い草』『心臓抜き』でも、アメリカ小説の翻訳として書かれ、架空の黒人作家ヴァーノン・サリヴァン名義で発表された『墓に唾をかけろ』『死の色はみな同じ』『醜いやつらは皆殺し』『彼女たちには判らない』でも変わりません。1948年に刊行され、センセーショナルな大ベストセラーになるも、1980年代まで発禁になった『墓に唾をかけろ』はアメリカ南部の人種差別に対する黒人青年のあまりに暴力的な反抗を描いた問題小説として上辺だけ見ればその通りなのですが、アメリカの通俗ハードボイルド小説やSF小説の翻訳家だったボリス・ヴィアンがアメリカ小説やアメリカ映画、アメリカ音楽を通して夢想したものがヴァーノン・サリヴァン名義の偽作だったことこそが重要です。そこに生粋のヒッピー世代のアメリカ作家リチャード・ブローティガンとの差異があります。ブローティガンにおいて現実のアメリカに対するのっぴきならない死へのオブセッションがその自死まで続いたようには、ボリス・ヴィアンの立場はあまりに戦後パリ文壇のサロン的粋人、才人としてのアメリカへの憧れに留まるものでした。ヴィアンのヴァーノン・サリヴァン名義の偽作は小説、映画、音楽によって夢見られた架空のアメリカ小説の模倣にすぎません。ちょうど日本の作家や文学読者が、フランスをフランス小説やフランス映画、フランス音楽によって憧れたように(またはロシアをロシア小説やロシア映画、ロシア音楽によって知ったと錯覚したように)、同じ現象がボリス・ヴィアンの小説にも見られます。それはヴィアン自身が文学作品として書いた諸作でも通底していて、アメリカ小説の偽作を裏返したものが奔放なファンタジー小説の傑作『うたかたの日々(日々の泡)』『北京の秋』『赤い草』『心臓抜き』だったと見られます。アメリカをアメリカ小説、アメリカ映画、アメリカ音楽を通してしか見ていなかったヴィアンにとっては自国フランスでさえもフランス小説、フランス映画、フランス音楽を通して見ることができず、その枠組みを外そうとして発想されたのが一連の意欲的な文学作品でしたが、それはヘンリー・ロスの『眠りと呼ばん』を先駆とした、ジョン・ホーン・バーンズの『画廊』、ラルフ・エリソン『見えない人間』、リチャード・ブローティガンの諸作らアメリカ戦後文学の痛切な現実認識には遥かに届かないものでした。ヘンリー・ロスからリチャード・ブローティガンまでのアメリカ小説が備えていた本質的な痛覚、逃げ場のない生の恐怖に、おそらく同様なものを抱えながら軽やかな砂糖菓子の次元でそれを交わしていた小説家がボリス・ヴィアンでした。文学動向としては、ヴィアンは戦後の実存主義文学への反抗として一方ではヴァーノン・サリヴァン名義の偽作、一方では傾倒したアルフレッド・ジャリ(『超男性』『フォーストロース博士の言行録』)への憧憬、ジャリの系譜を継ぐレイモン・クノー(『はまむぎ』『きびしい冬』)への師事から軽やかな本名名義のファンタジー作品を書いていたのですが、それは同時代にあっては(偽作『墓に唾をかけろ』以外)ほとんど反響がなく、ヴィアン自身も小説への意欲を失くして30代以降はシャンソン作詞家、短篇小説家、劇作家、ジャズ時評家に軸足を移してしまいます。翻訳全集全13巻のうち、30代以降にヴィアンが書いたものは第7巻の短篇集『人狼』、第8巻の戯曲集『帝国の建設者』、第9巻の詩集・シャンソン歌詞集・ジャズ時評集の『ぼくはくたばりたくない』の3巻にすぎません。ボリス・ヴィアンのシャンソン作詞のうち、もっとも知られるのは、日本では高石友也の日本語訳詞でフォーク・クルセダーズもライヴ・レパートリーにした「大統領様」でしょう。
ザ・フォーク・クルセダーズ - 大統領様 (アルバム『はれんちりさいたる』, 1968.11) :  

 ヴィアンは第二次世界大戦中にドイツ軍占領下で傀儡政権のヴィシー政権時代を体験した世代ですし、晩年にはアルジェリア戦争推進下の緊張した右傾化を迎えていますが、この「大統領様」はいかにも抽象的で、普遍的な反戦歌を目指したあまり具体的な戦争の実態からはかえって遠ざかっているように思えます。ヴィアン30代の戯曲も舞台に乗せるドラマ、またレーゼ・ドラマとしても面白いものですが、20代で書き上げていた長篇小説を舞台劇用に水増しした作品の観が強いのです。20代で『日々の泡(うたかたの日々)』『北京の秋』ほどの傑作を書いた作家ならば、39歳の急逝までに創作力の衰退が見られてもそれで十分ではないか、とも言えるでしょう。しかしその本質が、アメリカをアメリカ小説、アメリカ映画、アメリカ音楽への憧憬から誇張して模倣する、自己の素質もアルフレッド・ジャリ、レイモン・クノーら敬愛する自国の先達作家に寄せることで成立させようとするヴィアンの発想は、ある程度まで達成されれば必然的に行き詰まりに届いてしまうようなものでした。ボリス・ヴィアンはフランスの戦後作家として有数の魅力的な才能でしたが、決してその存在なしにはフランスの戦後文学を語れない重要作家とは言えないところにヴィアン作品の儚さと脆弱さがあります。しかしそれはヴィアン作品の青春文学性にも基づいているので、まだまだボリス・ヴィアンの真価は読み返すたびに変わってくるように思えます。ボリス・ヴィアンについては、今回も断言は避けたいと思います。