オフコースと私 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 
 谷村新司さん追悼でアリスのベスト盤CDを引っ張り出してきたついでに、オフコースのベスト盤CDもCD棚に並べてあったので聴いてみました。同じ東芝音楽工業所属アーティストで活動時期もほぼ重なるフォーク・ロック系アーティスト(当時の呼称はニューミュージック)ながら、オフコースにはアリスのような愛嬌は一切ありません。オフコースと言えば小田和正(1947~)、鈴木康博(1948~)両氏のデュオ・グループから始まり、両者ともに優れたシンガーソングライターとしてレパートリーを二分していましたが、アリスの谷村新司・堀内孝雄の両氏と違ってその関係は冷たいものでした。1969年のデビュー以来1976年からメンバーを増員し、1979年にはヒットチャートの覇者になった頃にはオフコースは小田和正氏のワンマン・バンド化しつつあり、鈴木氏がオフコース脱退を決めた1982年にはオフコースは武道館連続10日間公演をラスト・コンサートとして解散する予定でしたが、大成功に終わった打ち上げの席で興奮するメンバー、スタッフの中で小田氏が「せっかくだからこのまま解散するより続けようじゃないか」と決を取り、脱退する鈴木氏すら賛成の挙手をして満場一致でオフコースは鈴木氏脱退のまま活動を1989年まで続けます。スポーツライターの山際淳司(1948~1995)のオフコース関係者へのルポルタージュ『オフコース・ストーリー~Give up』(飛鳥新社、1982年)にオフコースの解散宣言~鈴木康博氏抜きのオフコース継続の事情は赤裸々に書かれており、オフコース公認本として刊行されながら翌年の角川文庫版では加筆された部分より削除された箇所の方が多い、というほどでした。
 小田和正、鈴木康博、両氏の大学在学中からのフォーク・デュオとして始まったオフコースはまったく指向性の異なるシンガーソングライター二人がソロよりグループでの活動の方が売り出せるという考えから組んだもので、レコード会社との契約もマネジメントからの配分も、小田・鈴木氏の両氏が常に相手の収入配分について出し抜かれはしないか猜疑心を持っていた、という緊張関係にあったといいます。12年来のパートナーシップにあってもお互いの住所すら教えあわず、徹底して仕事としての音楽活動と私生活を切り離していたというのは相当なもので、普通の意味での友情は一切なかったのがオフコースというデュオ・グループでした。シングル・ヒットが出るようになってからレギュラー・メンバーにギタリスト、ベーシスト、ドラマーを増員しましたが、叩き上げのハングリーなミュージシャンからオフコースに起用された増員メンバーたちはシングル・ヒット率の高い小田和正氏の側についてしまいます。
 1989年発売の全17曲入りCD版ベスト盤CDでも鈴木康博氏作詞作曲、リード・ヴォーカルのオリジナル曲は「のがすなチャンスを」1曲のみが収録されて、他16曲は小田和正氏作詞作曲、リード・ヴォーカル曲のみが選曲されており、すでに小田和正氏のワンマン・バンド化したオフコースも解散後のベスト・アルバムながら、初期のシングル曲から最盛期のヒット曲までほぼ小田和正氏の楽曲のみで構成されているのは異様です。これにはおそらく、というより確実に小田氏の意向が働いており、鈴木康博氏が在籍した痕跡なしにオフコースのキャリアを小田氏のワンマン・バンドとして残したい意図が感じられます。山際氏のインタビューに答えて小田氏は「オフコースをブランド化したいんだ」と明言しており、鈴木氏脱退ののちは小田氏のワンマン・バンド化したオフコースのブランド化によって小田和正氏自身がソロ・アーティストとして軌道に乗るまでバンドとしての活動を続けた、と言って良さそうです。アリスのサクセス・ストーリー『帰らざる日々 誰も知らないALICE』もメンバー各自の本音が語られた、1970年代の商業フォーク界の裏面史として興味の尽きない好著でしたが、『オフコース・ストーリー~Give up』はさらにシビアで、谷村新司さんのようにラジオ・パーソナリティーとしての人気からグループの人気を確立したアリスにはあった愛嬌がまったくなく、音楽一本で人気を切り開いてきた、そのためにはパートナーの鈴木氏すら脱退に追いこんだ小田和正氏の冷徹さがひりひりとします。小田氏の曲は別れを歌ったラヴ・ソング主流を占めていますが、楽曲の甘美さを置いて冷静に歌詞を読むと、そのほとんどが相手の側の一方的な責任で恋愛を迫るか、恋人に飽きた男が徹底的にそれまでの恋愛を美化した挙げ句恋人に別れを告げる、という優しい残酷さに一貫していることに気づかされます。恋愛・失恋の歌ではなく冷酷に決断を迫るか恋愛を清算する歌で、それは優しい残酷さであっても決して残酷な優しさではないのです。これは村上春樹(「村上春樹の小説は結婚詐欺師の小説です」と言い切った批評家がいました)を先取りした感覚と言っても良さそうならば、基本的には楽観的な谷村新司さんとはまったく正反対のものです。そしておそらく谷村さんに男性のファンが大半であるように、小田氏のファンの多くは女性なのは本来異様な現象でもあれば、小田氏の見立てはぎりぎりの線で他のアーティストとは一線を画するものだったと感服せずにはいられません。