三島由紀夫最後の生前自選全集 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 3か月前の引っ越しからまだ蔵書を詰めた段ボール箱を開梱・整理しきっていませんが、少しずつ開梱しているうちに、大学生時代に古本で買った三島由紀夫(1925年/大正14年1月14日生~1970年/昭和45年11月25日没)の生前全集がようやく見つかりました。昭和の元号年と満年齢が一致するため三島由紀夫の作品発表年はそのまま作者の年齢でもありますが、三島由紀夫は20代ですでに『三島由紀夫作品集』(全6巻、新潮社・1953年/昭和28年7月~1954年/昭和29年4月)を刊行し、35歳までに『三島由紀夫選集』(新潮社・1957年/昭和32年11月~1959年/昭和34年7月)を刊行していました。生前最後の自選全集となった全5巻版全集は、昭和35年(1960年)に刊行した長篇小説『宴のあと』で登場人物のモデル問題で民事訴訟された前年・昭和36年(1961年)に短篇小説「憂国」、長篇小説『獣の戯れ』を発表したのち、ライフワーク的大作として『豊饒の海』四部作の構想(当初は五部作構想)が始まった昭和37年に『三島由紀夫戯曲全集』(新潮社・1962年3月)がまとめ上げられ、長篇小説『絹と明察』連載刊行、モデル裁判敗訴・上告中の昭和39年には『三島由紀夫短篇全集』(新潮社・1964年2月)を『戯曲全集』と同じ装丁で刊行します。短篇集『英霊の声』を刊行した昭和41年には1947年(昭和22年)1月から1964年(昭和39年)4月までの評論を自選した『三島由紀夫評論全集』(新潮社、1966年8月)を、昭和42年・43年には『盗賊』から最新長篇『音楽』までの主要長篇16篇『三島由紀夫長篇全集』(全2巻、新潮社・第1巻1967年12月、第2巻1968年2月)を刊行します。すでに全4巻を予告されたライフワーク的大作『豊饒の海』の第1巻『春の雪』は昭和40年(1965年)から文芸誌連載されており(昭和44年/1969年1月刊)、昭和43年には第2巻『奔馬』(昭和44年/1969年2月刊)連載中でした。没後3周忌を期して刊行された『三島由紀夫全集』(全35巻+補巻1、新潮社・1973年/昭和48年4月~1976年/昭和51年6月)は45歳で没した作家の全集としては膨大なものでしたが、没後30年を記念して編まれた『決定版 三島由紀夫全集』(全42巻+補巻1、別巻1、新潮社・2000年11月~2006年4月)はさらに膨大な全集となりました。決定版全集に先だって『三島由紀夫短篇全集』(全2巻)、三島由紀夫評論全集』(全4巻)、『三島由紀夫戯曲全集』(全2巻)が1987年から1990年にかけて刊行されたように、三島由紀夫生前に刊行された各巻平均1,200ページもの『戯曲全集』『短篇全集』『評論全集』『長篇全集(I、II)』はあくまで三島由紀夫の自選全集であり、また晩年の作品を含まない作品集でしたが、統一された装丁とともに、すでに晩年の遺作群を予感した刊行と目せます。また三島由紀夫自身が重要作、自信作とした選択が働いていると思われるため未収録作品も多く、また生前刊行のため戯曲では自選全集刊行以降の晩年の「サド公爵夫人」「わが友ヒットラー」「癩王のテラス」「椿説弓張月」、評論では「太陽と鉄」『作家論』、短篇小説では「仲間」「英霊の声」「荒野にて」などを欠いていますが、娯楽作品として書かれた以外の長篇小説としては、この自選全集以降の三島由紀夫は『豊饒の海』四部作に全力を傾注することになります。
 収録作品について言えば、もっとも早く昭和37年にまとめられた『三島由紀夫戯曲全集』は36篇を収め、『三島由紀夫短篇全集』では昭和16年(1941年)の文壇デビュー作「花ざかりの森」から昭和38年(1963年)の「剣」までの中短篇73篇が収められ、『三島由紀夫評論全集』では昭和22年(1947年)1月から昭和39年(1964年)4月までの批評・エッセイ・紀行文から、第1部に作家論・文芸批評、第2部に自伝的エッセイ・公開日記・紀行文、第3部に社会評論、第4部に演劇論、第5部に芸術論が分類・収録されています。収録作品の選択にもっとも注目されるのはI、II巻に各8作ずつ収められた『三島由紀夫長篇全集』でしょう。三島由紀夫は大人気作家だったので週刊誌や婦人雑誌などに乞われて書いた娯楽小説も多いのですが、この自選全集では三島自身が里程標として自発的に書いた文学作品に絞りこまれています。
『三島由紀夫長篇全集』(I)
◎盗賊 (真光社・昭和23年/1948年11月刊)
◎仮面の告白 (河出書房・昭和24年/1949年7月刊)
◎愛の渇き (新潮社・昭和25年/1950年6月刊)
◎青の時代 (新潮社・昭和25年/1950年12月刊)
◎禁色 (新潮社・昭和26年/1951年11月、『秘薬・禁色第二部』新潮社・昭和28年/1953年9月刊)
◎潮騒 (新潮社・昭和29年/1954年6月刊)
◎沈める瀧 (中央公論社・昭和30年/1955年4月刊)
◎金閣寺 (新潮社・昭和31年/1956年10月刊)
『三島由紀夫長篇全集』(II)
◎美徳のよろめき (講談社・昭和32年/1957年6月刊)
◎鏡子の家 (第一部、第二部、新潮社・昭和34年/1959年9月刊)
◎宴のあと (新潮社・昭和35年/1960年11月刊)
◎獣の戯れ (新潮社・昭和36年/1961年9月刊)
◎美しい星 (新潮社・昭和37年/1962年10月刊)
◎午後の曳航 (講談社・昭和38年/1963年9月刊)
◎絹と明察 (講談社・昭和39年/1964年10月刊)
◎音楽 (中央公論社・昭和40年/1965年2月刊)

 ベストセラーになった『永すぎた春』(講談社・昭和31年12月)を落として『美徳のよろめき』やあまり重視されない『美しい星』『音楽』を採るなど、作者自身の意思が強く感じられる選択ですが、昭和23年(23歳)11月から昭和40年(40歳)2月の足かけ17年、実質16年間にこれだけの長篇小説があります。しかもほぼ同数の娯楽小説を除いてです。毎年1作、大作『禁色』の第一部・第二部の間の昭和27年(1952年)にブランクがありますが、これはこの年自作の英訳に伴う契約のためにアメリカの出版社を訪ね、取材と併せてヨーロッパ旅行に出かけていたためで、『禁色』第二部『秘薬』を書き継ぐとともにこの年にはアメリカ~ヨーロッパ旅行の長篇紀行『アポロの杯』を書き下ろしていますから、毎年1作は力作長篇小説を発表するペースを崩していません。もっとも意欲を傾注していた長篇小説だけでも2巻で8ポイント2段組・総計2,600ページあまりある上に、昭和昭和37年までの全戯曲を収めた『戯曲全集』、昭和38年までの発表作品から約半数を収めた『短篇全集』、昭和39年までの主要な批評・エッセイを収めた『評論全集』が各巻1,200ページもありますから、この生前の自選全集だけで執筆量は満39歳で亡くなった太宰治(1909~1948)の全作品の3倍以上に上ります。『長篇全集』(II)の収録作品は満年齢40歳で刊行された『音楽』までですから、晩年5年間を費やして書かれることになったライフワーク『豊饒の海』四部作までの総決算としてまとめられた自選全集でもあれば、太宰の没年齢や40歳という区切りも意識されていたかもしれません。三島は雑誌連載時には(また普及版の文庫版収録でも)発表媒体に合わせて略字体・新かな遣いを許容していましたが、単行本では正字体・歴史的かな遣いを貫いていたので、この自選全集でも全巻が正字体・歴史的かな遣いになっており、また小説、戯曲、評論すべてに初出書誌(掲載・連載誌、発表年月日)を付載しています。その意味でもこの血の色の箱に収められた作者自身による生前葬のようなジャンル別自選全集は、定本刊行の意図が大きいものだったでしょう。

 この自選全集は革背天金装の堅牢な装丁、平均1,200ページの大冊のため価格は各巻4,000円という、会社員の平均年収80万円だった当時としては高価な価格で刊行されましたが、三島の衝撃的な自殺に伴い没後全集刊行~完結までの数年間ロングセラーを続けました。各巻が単行本にして10冊近い内容を収めた大冊のため、網羅的に三島由紀夫の全著作(自選全集以降の晩年作品を除く)を一度に揃えるには価格相応の価値のある作品集とされました。増刷分も含めて広く売れたので、現在では古書価は安く、1巻当たり1,000円~2,000円で流通しています。解説や注釈などはなく、8ポイント2段組と組版はぎっちりと細かい上に、正字体・歴史的かな遣いに不慣れな読者には読みづらいかもしれませんが、全集で網羅的に三島作品を読むほどの読者ならハンディキャップにはならないでしょう。それにしても自選全集以降の晩年5年間まで約20年間、毎年必ず話題作を発表するという課題を自分に課し、それをやり遂げた三島の作家的執念は超人的なもので、この生前の自選全集の各巻の目次を見、文庫版や単行本で作品単位で読んできた収録作品群のあちこちに目を通すと、その業績には作家的意欲や野心を越えた、一人の人間の営為としても度を越えたものを感じます。遺作となった大作『豊饒の海』こそあれ、小林秀雄が早くから横光利一との資質の類似を指摘していたように、三島は最小限の作品に最大の努力を傾注する、といったタイプの作家とは真っ向から対立する、次々と新たな実験に挑んでいった、あまりに貪欲な文学者でした。里程標的な『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』などの、いわば芸術至上主義的代表作のみでは知れない異色作の系列がむしろ大半を占めています。今後この自選全集・全5巻を再度通読する機会があるかわかりませんが(これまでもっとも読み返してきたのは、のち没後に全4巻に増補された『評論全集』です)、三島という毒を味わいたい時すぐ書棚にこのコンパクト(!)な自選全集全5巻があるのは便利でもあれば、記憶の薄れている『青の時代』『沈める瀧』や『美徳のよろめき』『獣の戯れ』『絹と明察』などの諸作を読み返す楽しみもあります。習作と見倣されがちな処女長篇『盗賊』、二大失敗作と悪名高い意欲的大作『禁色』『鏡子の家』、怪作『美しい星』『音楽』なども相当面白く読んだ印象があります。もともと小説は文学のうちもっともいかがわしい文学形式ですが、尾崎紅葉、泉鏡花、島崎藤村、徳田秋声、谷崎潤一郎、横光利一、川端康成と続く明治以降の日本の小説の大家は、告白性などとはまったく無縁な(『仮面の告白』!)三島由紀夫に至っていかがわしさの頂点に達した観があり、何と言っても二度は読めない生真面目な現代作家の作品より、生涯生粋に丹精をこめ全力をかけて人を食った三島由紀夫の方が面白いに決まっています。たとえそれが単なる歴史的文化遺産、すでに滅びたものに対するネクロフィリア的興味としてもです。