ストロベリー・パス - 大烏が地球にやって来た日 (Philips, 1971) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ストロベリー・パス - 大烏が地球にやって来た日 (Philips, 1971)
ストロベリー・パス Strawberry Path ‎- 大烏が地球にやって来た日 When The Raven Has Come To The Earth (Philips, 1971) :  

Released by Philips Records Philips‎ FX-8516, June 1971
(Side 1)
A1. I Gotta See My Gypsy Woman (C.Lynn, S.Narumo) - 5:20
A2. Woman Called Yellow "Z" (C.Lynn, S.Narumo) - 5:52
A3. The Second Fate (H.Tsunoda) - 4:50
A4. Five More Pennies (C.Lynn, S.Narumo) - 6:47
(Side 2)
B1. 45秒間の分裂症的安息日 Maximum Speed Of Muji Bird  (S.Narumo) - 1:10
B2. Leave Me Woman (C.Lynn, S.Narumo) -  4:42
B3. Mary Jane On My Mind (C.Lynn, H.Tsunoda) - 5:10
B4. 地球の幻影 Spherical Illusion (S.Narumo, H.Tsunoda) - 5:55
B5. 大烏が地球にやって来た日 When The Raven Has Come To The Earth (S.Narumo) - 6:40
[ Strawberry Path ]
成毛しげる(滋) Shigeru Narumo - guitars, keyboads, bass
角田ヒロ(つのだ☆ひろ) Hiro Tsunoda - drums, vocals
with 
江藤勲 Isao Eto - bass on A2, A3, B2, B3, B4, B5
柳ジョージ George Yanagi - vocal on A1
中谷望 Nozomu Nakatani - flute on B5
(Original Philips "When The Raven Has Come To The Earth" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)
 '70年代日本ロック界のトップ・ギタリストといえば元'60年代グループ・サウンズで屈指のギター・バンド、フィンガーズのリード・ギタリストだった成毛滋、そして成毛がリーダーだったバンドでは、'70年代の日本のロックの代表作として必ず上げられるストロベリー・パスの唯一作『大烏が地球にやって来た日』1971.6と、ストロベリー・パスの改名バンドのフライド・エッグの2作、スタジオ録音アルバム『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』1972.4とライヴ&スタジオ録音の『グッドバイ・フライド・エッグ』1971.12が知られますが、本当に多くの人が聴いているのだろうか、と常々疑問視される「名のみ名盤」の日本ロック部門の最有力候補でもあるのがその3作のアルバムです。ブリヂストン創業者の家系の御曹司・成毛茂は'60年代には日本最高のロック・ギタリストを自称し、'70年代にはジミ・ヘンドリックス亡き後、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、ジミー・ペイジ以上の世界的にもトップクラスの中のトップ・ギタリストと自画自賛して止まない人でした。足かけ三年間イギリスで私費留学し、1969年のウッドストック・フェスティヴァルを見た後帰国した成毛は日本語歌詞のロック絶対反対派で、内田裕也氏が世界進出のために英語詞ロックをと提唱していたよりも徹底し、日本語歌詞でロックは不可能と断言して譲らないミュージシャンでした。これは成毛滋ならではの音楽的感性で、成毛さんにとってロックは英語詞、またはインストルメンタルでないと音楽的にロックとは言えない、という強固な考えによるものでもありました。またそうした成毛さんの姿勢によるロックはストロベリー・パス~フライド・エッグで初めて実現しましたが、それゆえに第一線でのミュージシャン生命は早く終結し、以後成毛滋は家業のかたわらスタジオ・ミュージシャン、ロック・ギター教室講師への転身をやむなくされます。半引退状態の成毛氏にインタビューした「ユーロ・ロック・マガジン」の斎藤千尋氏によると、成毛氏は異様なまでに鋭敏な音楽的共感覚をそなえており、これまで会ったミュージシャンでも成毛氏に匹敵する音楽的共感覚の持ち主は他にはエイドリアン・ブリューしかいなかったと証言が残されています。斎藤氏は成毛氏独自の音楽的共感覚が成毛氏をして日本語歌詞ロックを拒絶させたのではないか、と新たな見解を示唆しています。成毛氏にとって日本語歌詞のロックは似てもいない似顔絵を描いては得得とさらすような滑稽かつ醜悪なものに感じられたのでしょう。ちなみに本作の英語詞担当のクリストファー・レンは成毛氏のフィンガーズ時代の同僚で、英語タイトルのA2「Woman Called Yellow "Z"」は「オ〇ンコやろうぜ」と読ませ、A4「Five More Pennies」の「ペニーズ」が何にかけてあるかは言うまでもありません。

 ストロベリー・パスは成毛滋(ギター、1947-2007)と角田ヒロ(現つのだ☆ひろ、ドラムス&ヴォーカル、1949-)が中心になって活動していたメンバー流動型のセッション・バンド、ジプシー・アイズ(録音作品なし)から中核メンバーの成毛と角田が本格的にデュオ形態のバンドに移行したもので、ジプシー・アイズには当時の東京の本格的洋楽指向のロック・ミュージシャンのほとんどが去来していました。成毛は'60年代に学生バンド・コンテストで次々優勝して勇名を馳せ華々しくプロ・デビューしたザ・フィンガーズの花形ギタリストだったにも関わらず、共演するミュージシャンの演奏力への不満からキーボードを兼任することになり、ストロベリー・パスの頃のライヴでは左手の押弦だけでギターを弾きながら右手でキーボード、同時にキーボードのフット・ベース・ペダルを演奏していたと言われます。成毛は日本でもっとも早くライトゲージ弦の使用を独自に開発し、ギターのスクィーズ奏法(チョーキング)を始めたギタリストとして知られ、当時の日本のロック・シーンでは最速かつ正確無比の速弾きギタリストとして驚嘆された存在でした。

 角田は18歳で渡辺貞夫グループに抜擢された天才少年ドラマーで、渡辺グループ加入と同時に海外公演でも絶賛を浴びていた注目の若手ミュージシャンでした。年齢が若いので、ジャックスをバンド・コンテストで見出してレコード・デビューさせたり、実力派のグループ・サウンズのバンド、ジャガーズへの楽曲提供もするなどロックやフォークにも理解のある渡辺貞夫とも円満にジャズ・シーンで活躍する一方、後期ジャックス、ジャックスの兄弟バンドの休みの国、ジャックスのメンバーとして勤めた高石友也のバックバンド、加藤和彦のソロ活動、セッション・バンドの「フード・ブレイン」などでロック畑に進出し、たちまち日本のロック界でも屈指のドラマーになります。ジャックスでは加入してすぐにリード・ヴォーカルを取るなど、ヴォーカリストとしての力量も早くから披露していました。ライヴは成毛と角田のデュオでこなしていましたが、ストロベリー・パスのアルバムのレコーディングでは当時の歌謡曲のほとんどに参加していたほどのNo.1セッション・ベーシスト、江藤勲が大半の曲のベースを弾くことになりました。毎回リード・ヴォーカル曲でゲスト参加していた当時ゴールデン・カップスの柳ジョージはジプシー・アイズではベースで参加することもありましたが、レギュラー参加はカップスとのスケジュール面で無理だったため、アメリカ駐留軍基地の高校生バンド「Brush」(自主制作盤あり)でギターを弾いていた現役高校生の高中正義(1953-)を正式ベーシストに迎えて、バンドはトリオ(スリーピース)編成になりフライド・エッグと改名します。成毛の財力と財界・政界(成毛は鳩山兄弟の従兄弟でもありました)との人脈からバンドは最新機材を輸入導入し、成毛が中心となって本格的な日本のロック・シーンの確立のために赤字覚悟の入場料10円コンサートを日比谷野外音楽堂で定期公演し、ライヴでは絶大な人気を誇っていました。しかしストロベリー・パス~フライド・エッグの残したアルバムは1971年~1972年に3枚、そしてサディスティック・ミカ・バンド~キャプテンひろ&スペース・バンドと独立した角田に対して、成毛の活動は以降ほぼ半引退状態で家業のかたわらギター教室講師、ロック・ギター教則レコードや教則本などの啓蒙活動に回ってしまいます。ストロベリー・パス~フライド・エッグが、名のみ高くて聴かれない伝説的バンドになったのは、あまりにも短い絶頂期の活動期間や、高い人気や広い人脈にもかかわらずほとんど影響力を残さなかった音楽性にありました。

 いや、少なくともストロベリー・パスのアルバムが初出となった「メリー・ジェーン」は50年あまりもの間有線放送スタンダードであり、つのだ☆ひろ(角田ヒロ改め)による再録も数多くありますが、ストロベリー・パスのヴァージョンのつのだ名義による再発売シングルがもっとも高い累計セールスを記録しているとされています。再録音ヴァージョンを含めれば「メリー・ジェーン」のシングルのトータル・セールスは200万枚に達しているそうですから、日本のオリジナル・ロック曲、しかも英語詞のバラードでは空前絶後のヒット曲と言えるでしょう。「メリー・ジェーン」を含むだけでも『大烏が地球にやって来た日』は'70年代の日本のロックでは数少ない大ヒット・シングルを生んだアルバムなので、フォーク~ポップス系ではない純ロック畑からのヒット曲としても「メリー・ジェーン」に並ぶものはすぐには思いつきません。せいぜいキャロルの一連のヒット曲くらいでしょうか。ロック寄りのシンガーソングライターでも最大のヒットメイカーになった井上陽水は、まだ1972年春のデビューを控えていました。

 商業的成功を基準にすると、日本の'70年代ロックの楽曲は「メリー・ジェーン」と「ファンキー・モンキー・ベイビー」に集約されてしまう、という事実はロックの日本の根づき方を語ってもいるでしょう。『大烏が地球にやって来た日』は基本的にはブリティッシュ・ハード・ロック系のアルバムで、レッド・ツェッペリン的なリフとユーライア・ヒープ的アレンジによるA1、A2、A4、B2が本来このバンドの典型的なスタイルのハード・ロック楽曲です。ジプシー・アイズ時代はヴァニラ・クリームという変名を使っていたこともあったといいますから、ヴァニラ・ファッジの発展型としてのユーライア・ヒープ、クリームのパワー・アップ版としてのレッド・ツェッペリンという方向性が成毛の理想とするロックだったのが伝わってきます。B1はB2の前奏的インストのオルガン・フーガで、タイトル通り45秒しかありません。英語タイトルの「Muji Dori」は谷岡ヤスジの「アサーッ!」というアレです。オルガン・フーガのB1からヘヴィなハード・ロックのB2に突然展開するムードを谷岡ヤスジの「アサーッ!」に引っかけたタイトルでしょう。A3はピンク・フロイド風な牧歌的インストルメンタル曲です。B4はギター・ソロとドラム・ソロの応酬によるジャズ・ロック、B5はELPを意識したのが確実なインストルメンタルのプログレッシヴ・ロック大作で、アルバム全編をよくよく聴けば、いや誰でも気づくことですが、♪メリー・ジェーン~につながっていくものは他のアルバム収録曲にはどこにもないのです。

 全曲がメリー・ジェーンなアルバムだったらその方がたまらないのですが(フランスのタイ・フォンがそれに近い作風でのちにデビューし、「シスター・ジェーン」をヒットさせますが)、どんなアルバムで聴いても肺活量すごいんだろうなあ、と毎回度肝を抜かれる角田ヒロの大味なヴォーカルに統一感があるために、メリー・ジェーンだけが浮いてはいないのが成毛と角田両氏の個性を補いあっており、相性の良いところでしょう。角田ひろはジャックスでは早川義夫そっくりの作風のオリジナル曲を書いて歌う(もちろん日本語歌詞)という、こだわりのないヴォーカリストでした。ストロベリー・パスのアルバムはハード・ロック曲は前述の通りレッド・ツェッペリンとユーライア・ヒープ、プログレッシヴなインストルメンタル曲ではピンク・フロイドとELPの影響が見られて、だいたい成毛滋留学中の1970年のブリティッシュ・ロックを総合した内容ですが、するとやっぱり「メリー・ジェーン」は本来のコンセプトから外れていることになります。ですが日本のロック・リスナーはアニマルズの「悲しき願い」からビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー(ジャニス・ジョプリン)の「サマータイム」、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」やイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」まで、品格のない短調のバラードを好む傾向があり、それもロックの幅広さには違いないでしょう。もともと「メリー・ジェーン」は成毛が音楽監督の映画主題歌担当者に採用された際にシングル発売予定で制作された楽曲でもありました。歌謡曲的だが英語の歌謡曲だからいいだろうと、アルバム収録にバンド側も逡巡はなかったそうです。そしてフライド・エッグと改名したバンドは、海外発売を期して日本フィリップス内の日本ヴァーティゴ・レーベルからブリティッシュ・ロック型コンセプト・アルバムの意欲作『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』をリリースすることになるのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)