ポール・エリュアール「自由」(1942年) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Paul Éluard (1895.12.14. - 1952.11.18)


 自由
 ポール・エリュアール

ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくはお前の名を書く

読まれた すべてのページの上に
空白の すべてのページの上に
ぼくの宝石よ ぼくの血よ 紙か灰のように蒼ざめた
そのお前の名を ぼくは書く

金色の聖像の上に
戦士たちの武器の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く お前の名を

密林の 砂漠の 上に
鳥たちの巣の上に えにしだの上に
ぼくの幼い日のこだまの上に
ぼくは書く お前の名を

不思議の国の夜々の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く お前の名を

青空のぼくの襤褸(ぼろ)の上に
くすんだ日の映る 池の上に
月の輝く 湖の上に
ぼくは書く お前の名を

田畑の上に 地平線に
小鳥たちの糞の上に
宵々の風車の上に
ぼくは書く お前の名を

夜明けの一息ごとの息吹きの上に
海の上に そこに浮かぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く お前の名を

クリームのような雲の上に
流れる汗のような嵐の上に
垂れこめる気抜け雨の上に
ぼくは書く お前の名を

煌めく形象の上に
鐘型硝子の気槽のなかで 息づく季節の色どりの上に
物理の真理の上に
ぼくは書く お前の名を

めざめた森の小径の上に
たてよこに伸びる道路の上に
揺れる広場の上に
ぼくは書く お前の名を

点ったランプの上に
消えたランプの上に
一家の団欒の上に
ぼくは書く お前の名を

二つに切られたくだもののような
ひらき鏡の上に またぼくの部屋の
うつせ貝のようなベッドの上に
ぼくは書く お前の名を

大食いでおとなしいぼくの犬の上に
そのぴんと立てた耳の上に
そのぶきっちょな脚の上に
ぼくは書く お前の名を

ばね付き開閉扉の上に
家具の上に
祝福された火むらの上に
ぼくは書く お前の名を

許された肉体の上に
ともだちの額の上に
差しのべられる手のそれぞれに
ぼくは お前の名を書く

おどろいた女たちの顔の映る窓硝子の上に
待ち受ける唇の上に
そうだ 沈黙をこえて
ぼくは お前の名を書く

破壊された幾坪々の隠れ家の上に
崩れおちた幾坪々の灯明台の上に
ぼくの無連の壁々の上に
ぼくは書く お前の名を

希望もない放心の上に
あかはだかの孤独の上に
死の行進の上に
ぼくは書く お前の名を

戻ってきた健康の上に
消えさった危機の上に
記憶もない希望の上に
ぼくは お前の 名を書く

そしてただ一つの言葉の力をかりて
ぼくはもう一度人生を始める
ぼくは生まれたのだ お前を知るために
お前に 名づけるために

自由 と。

(原題"Liberté"、安東次男訳)

 ポール・エリュアール(1895-1952)は20世紀のフランス詩人中でも最大の国民的詩人とされる存在で、この詩「自由」は第二次世界大戦中の1942年にナチス・ドイツ占領下で書かれて同年に占領を逃れたアルジェの出版社からの詩集『詩と真実 (Poésie et vérité)』に収録され、占領下のフランス国民の間で愛唱された詩篇です。いわばフランス版「雨ニモ負ケズ」(宮澤賢治の遺稿手帳に発見された自己啓発文「雨ニモ負ケズ」は大東亜戦争~太平洋戦争下の日本で国民耐久総動員体制のスローガンとして利用されました)であり、詩には違いありませんが「レジスタンス詩」としてはっきりと民衆を鼓舞するために書かれた特殊な性格を持つ詩です。あとは言わずもがなでしょう。「雨ニモ負ケズ」が詩というよりは人生訓であるように、この「自由」もナチス占領下のフランスの国民感情の支えとなるべき意図が強く、自発的な詩作には違いないでしょうが、全体的な仕上がりでは愛国心の発露を目的としています。

 敗戦後の日本でエリュアールの「抵抗詩(レジスタンス詩)」はまっ先に紹介され大きな反響を呼びましたが、戦時中の断絶でエリュアールが最新のフランス詩人であったのと、敗戦後の日本のアメリカ軍占領下の時勢と大戦中のドイツ占領下のフランスの混同がその背景にあったというねじれた関連がありました。また日本ではこの「自由」のような抵抗詩・反戦詩が生まれなかったことから、エリュアールの詩は憧憬の対象になったのです。しかしその憧憬は誤解の産物であり、この「自由」は今では「雨ニモ負ケズ」と同じくらい不自由な条件を課せられた「感動を強いる詩」に感じられます。たとえこれが20世紀フランスでもっとも重要な詩としてもです。